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日志


1月24日

印象バトン

 
 
 
 
 
 
印象バトンなるものが「親分てぇへんだ!がらっぱち日記」のayaさんから回ってまいりました。
 
0.回してくれた方に対しての印象をドゾ☆

繊細だけど、照れ屋。常に自分戸外界を見つめ、自分をよく知っている人。マニアックな好奇心を持っていて、それを上手に表現できる。知性や配慮が好きな人。一緒にいたら、楽しい人(いえ、口説いてません)。差し歯を交換してくれそうな人。
 
1.周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?5つ述べて下さい。
 
180cmを越えた子供時代もありましたが、現在45歳の自分の子供の部分について語るべきか、法的無能力者で心身ともに子供であった頃のことを述べるべきか、よく判りませんが、前者は妻に直接、後者は幼なじみにメイルして聞いてみました。
 
 
現在の子供の部分。妻は日本語で申しております。
 
1.どうでもいいことでウルサイ。こだわる。
2.議論好き。
3.短気。
4.子供と遊ぶ
5.・・・・
 
これら↑は、子供というよりも、拙の未成熟な部分ですな。
 
日本在住の幼なじみ、安部君(2歳からの友人)に聞いてみた、子供の頃の拙の印象です。5つと言うのに、7つも書いてくれました(メーワクだぞ)そのまま引用します。
 
1.理屈っぽくて、よく考えるのに、行動は粗暴。 → 短気じゃん。
2.ウンチク野郎。  
→ どうでも良いことにウルサイじゃん。
3.ときどき感動させられた。
4.面白いけど、変な奴。(皆、引いてたぞ)
5.先生に嫌われて、損してた。  → 議論だね。きっと。
6.小学では運動全然ダメだったのに、中学に入ったら空飛ぶゴリラになった。
7.いつも本を読んでいた。内容と感想を聞かされた。(ゲソッ) → 子供と遊ぶ?
 
何をして感動させたのか、よく判りません。安部君はいつも面白いことをいう人でしたが、拙は皆の驚く事実や作り話をすることで、興味を引いてました。もちろん、大事にならないようにすぐに「ウソだよ~ん」とは言ってましたが、ときどきすぐに「ウソだ」と見破られ、ムキになってウソをつき続けました。
 
キングコングは日本でも封切りされているんですか?拙は飛んだんですね。確かにガタイの割には、跳躍力に特徴がありました。コングは落ちるんですけど。
 
2.自分の好きな人間性について、5つ述べて下さい。
 
1.転んでもただでは起きない。「俺はもうダメだ~」と、口にしながら最後まで粘る。
2.賢人であること。無知であること自覚するから。まず、人の話をよく聞く。
3.無意味に固執しない。しがらみがない。でも、自分の考えはある。
4.誰に対しても同じ笑顔で接する。
5.常識を尊重しながら、普通とは違うこともできる。実際にしてきた。でも、疲れた。 
 
 
3.では、反対に嫌いなタイプは?
 
1.下心が、どこからか、はみ出ている人。
2.ずるい人。規範の範囲内なら他人を蹴落としても、何でもありの人。
3.悪い人。規範に平気で触れる人。
4.尊重しないくせに、されたい人。
5.「無知の智」を自覚しない人。
6.人種差別する人。されて喚く人。
7.海苔をSeaweedという人。
8.波長が合わない人。(嫌いってわけじゃないけど、居心地が悪い)
  
好きでも困る人ってのもありますね。
 
1.タバコ吸う人。
2.臭う人。
3.大口を開けて咀嚼する人。

4.自分がこうなりたいという理想像はありますか?
 
1.小市民的な魔法使い。小学校の時の「将来の夢」以来変化なし。
2.心身ともにカッコいい爺。単に自己満足。
3.めざせ年金生活。残り20年を切ったぞ。
4.自然の一部になる。そりゃ、死んでからだ。
 
5.自分のことを慕ってくれる人に向かって叫んで下さい。
 
慕うだけではなく、愛してちょーだい。
 
6.そんな大好きな人にバトンタッチ15名!(印象付で!)
 
バトンの嫌いな人もいるし、最近アクセス出来なくなっちゃった人もいるし。リストの皆さんこそ、拙の好きな方々なんですけどねえ。どなたか常連さん、如何でしょうか?アクセスは日に200から300ありますので、どなたか?どたなか?どかなた?どなはか?・・・舌噛んじゃった。
 
前回記事のコメは後日、返させて頂きやす。これから仕事です。
 
お御免。 (←間違った日本語)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1月15日

メイフェアの東西

 
行政域メイフェアの
 
東のボーダーは、リージェント・ストリート、
 
西のボーダーは、パークレーンです。
 
言うまでもなく、リージェント・ストリートの両袖の建物はひと際豪華で、
 
現在でも当時と変わらぬ偉容を感じさせます。
 
 
 
享楽王と言われたジョージ4世が摂政(リージェント)をしていた時に作らせた道楽事業と言われています。
 
だから、リージェント名の付くところは、リージェント・パークやリージェンツ運河にしても、一見して「金が掛かっているなあ」と判ります。その分借金もたくさん抱えて、結婚でその穴埋めをしようと試みたとか。
 
で、このリージェンツ・ストリートについて語るだけで、たぶん4,5回掛かると思うので、それはそのうち。
 
 
 
 
リージェンツ・ストリートからパークレーンの間にある
 
メイフェアの中を東西に走る小道について語りたいと思います。
 
地下鉄オクスフォード・サーカスの駅を出るとメイフェアの北西の端に出ます。
 
ここから少し南下すると、
 
すぐに、プリンス・ストリートが目に入ります。ジョージ2世がウェールズ皇太子になった時に記念して1720年に命名されたそうですが、なんで100mにも満たないこんな道に?という感じです。
 
しかも、プリンスの即位を機にPrinces・ストリートを作って分け判らんと思っていました。それは単に誤解だったんですが、この道の綴りが王女を表すprincessではなくて、王子を表すprinceにsがひとつだけついたものであることが判った時に、気が抜けました。たぶん、本来はprince's としていた道の名をめんどいから princesにしてしまったんでしょう。
 
 見難い地図で申し訳なし。
PrincesストリートはOxford Circus駅の真下の赤い矢印から。
 
 
その西先にはハノーヴァー・スクウェアというドイツの地名の広場が現れます。ハノーヴァー家は現在のウインザー家と同じ家族です。第一次大戦で敵国王室の名前を王室が使っているのも、なんだなあ、と名前をドイツ風から英国風に変えただけのことです。
 
 地図中央の赤い矢印が本日の散歩。
 
ハノーヴァー・スクウェアの南端の出口から、さらに西に進むと、Brook streetに通じます。ここの一部はタイバーン川の支流でした。地下5mほど下には流水。掘る勇気のある方は教えてください。拙は他人の振りして横で見てます。川は見てみたいですねえ。
 
 
New Bond Streetを渡って、Lancashire Courtの前を通ると、
 
南側の壁4mの高さにこれが見えます。
             ↓
 
 没後35年?そんなに前??偉大な人物はわれ等の心から消えない。
 
ジミヘンが近い存在に感じます。え、感じない?
 
では、そのLanchashire Courtへと進入してみてください。
 
そこには隠れ家的なレストランle Clubが忽然と出現。
 
007俳優ロジャー・ムアの息子さんが経営するフレンチ料理屋です。
 
気楽なガストロでもあり、待ち合わせのバーでもあり。
 
このLancashire Courtは古くはタイバーン川の淵のひとつでしたが、
 
現在は雰囲気のある小路にもなっています。
 
 
 
Brook Streetに戻って、西に向きなおすと、国賓級ホテルのクラリッジがあります。
 
開国間近の江戸幕府は1862年、ロンドン万国博覧会に参加するためにここに宿泊。
 
裃(カミシモ)着た矮小な日本人の男たちが、あのバスタブでどのように湯に浸かり、あのトイレにどのように座り、ベッドを見てどこに潜り込んだのか、と想像してしまいます。でも、よく考えたら英国船で航行してきたんで、全部経験済みですね。
 
で、万博に参加するために、その後押しをしたのが、初代英国全権公使のオルコックで、彼のアピールが上手くいったのかどうかは判らないけど、日本初の英国ミッションは国賓として扱われたわけです。
 
クラリッジには拙の宿敵ゴードン・ラムゼイがレストランを経営しています。
 
いや、拙が勝手にそう思っているだけなんだけどね。
 
いつか奴に手料理を食わせて、「どうやって作ったの?」と言わせてみたい。
 
そんな妄想をしながら、西に進むと、左手にグロヴナー・スクウェアが広がります。右手の建物はマリオットホテル。スクウェアの西側正面はすべてアメリカ大使館。
 
厳重警戒の大使館の北側の通りはいつの間にかアッパー・ブルック・ストリートへ。
 
そうそう、大事なことを付け加えておきましょう。このBrook street界隈を境に地所が変わります。ハノ-ヴァスクウェアから西で、Brook Street以北のマーブルアーチまでの辺りは、ロンドンで、つまり英国でもっとも高価な地所でグロヴナーと言うんです。
 
ここらが一番家賃が高いのに、アメリカ大使館があるんですね。大使館は土地に関わる税金を免除されているから、行政側としてはおいしくないでしょうなあ。
 
でもって、ここらは18世紀には「サー」の称号の人々だけが住むところでした。
 
アッパー・ブルック・ストリートで現存する18世紀の建物は33番、35番、36番だそうです。
 
大分前に写真撮ったんですが、日付で整理しているんで探すのは簡便してください。
 
ヒントだけ言うと、赤レンガのタウンハウスです。
 
ここまでで、ようやくパークレーンにたどり着きますが、長くなりましたので、この続きは次回。
 
今度はこのままパークレーンを南下して、アッパー・グロヴナー・ストリートから東に向かいましょう。
 
ロンドンの道は東西になっていないから、そのうち収集がつかなくなります。
 
あれ、もしかして今日がコンテストの最終日?
 
じゃあ、「挑戦」はまだ続く・・・かなあ、ということで。
 
コンテスト最終日なのに、すっきりしない記事ですな。
 
まあ、ぼちぼちやらせてもらいます。そろそろ仕事も大変なんで。
 
あー、築地のホルモン食べたい。(愚痴)
 
1月14日

日本橋に相当するロンドンの橋?

 
ここで言う日本橋とは、
 
五街道の起点となった「にほんばし」のことで、
 
大阪の「にっぽんばし」とは異なります。
 
近年、東のアキバ、西のポンバシと言うんですか?
 
秋葉原に生まれて育った学生時代の友人は、
 
「アキバなんて言うとお里が知れるよ」
 
と憤慨していました。地元のヒトたちは略さない、ということらしいです。
 
そう言えば、25年も前に、アキバと略していたのは、然る地方出身者でした。
 
拙も東京以外の地方出身者です。
 
 
 
 
 
そうそう、日本橋の話でした。
 
ロンドンを起点とした街道というものもあるんですが、
 
ほとんどがローマ時代に帰(き)します。
 
マップのサイトで「ロンドン・ロード」を検索すると、
 
あらららら、と数え切れないロンドン・ロードの数々。
 
必ずしも街道に使われていた道名ばかりではありませんが、
 
現在のように新しい幹線道路が出来てしまうと、
 
旧道は藪の中に消えたり、造成されてなくなってしまったものも少なくありません。
 
意外な小怪がロンドン・ロードだったりします。
 
まだ河川の水流が豊かだった頃でしたから、
 
元々の幹線を作ったローマ人たちは、道路よりも自然の水運を重視していました。
 
街道と言っても、フリントという火打石を敷くくらいで、大した道路造成はしなかったんです。
 
彼らは南の海岸から現在のシティ付近であるLondinium(ロンデニウム)を目指しました。
 
でも、テムズを渡らなければなりません。
 
彼らはどの辺で渡ったんでしょうか。
 
 
 
東京の日本橋に相当する橋って、ロンドンにしてみればどれでしょうか?
 
大半の方がタワー・ブリッジかロンドン・ブリッジを挙げるでしょうね。
 
まあ、それも正解。
 
ロンドンは、シティ・オブ・ロンドンというひとつの国ですから、
 
ロンドンに掛かるいくつかの橋のうちのどれを日本橋のように門前とするか、
 
と言うとどうしてもこの2つの橋になるわけです。
 
 
では、英国としては、如何でしょう?
 
「何言ってんの?」
 
と混乱される向きもおありでしょう。
 
ロンドンは英国の首都なんだから、と。
 
でも、王宮は必ずしもタワーにあったわけではないですよね。
 
グリニッジが王宮になったこともありますし、
 
現在の国会議事堂が王宮であった時期もあります。
 
今だってバッキンガム宮殿はウエスト・エンドにあるじゃないですか。
 
ロンドン塔はロンドン塔として、征服王の時代からその防御機能、威嚇機能を果たし続けてきましたが、
 
あのシティの区域に入るには、王室と言えども、シティ・オブ・ロンドンの市長の許可が必要でした、
 
とはかなり以前に記載しました。
 
「ロンドンという国」はノルマンに征服されずに、
 
「まあ、仲良くやろうや」と手を打ったという意味で、
 
ノルマン時代の「英国」と同等の軍事国家だったのです。
 
だから、ロンドン塔というのはシティの隅っこにあるわけで、
 
ロンデニウムの隅っこと言えば、もっと判りやすいかな。
 
日本の古城と比べたら、粗末な石造りだし、てんで大したことないでしょ。
 
まあ、そうは言っても、隣接するロンドンブリッジは18世紀後半まで、
 
橋の上に教会やら商店が200軒ほどある一大繁華街でした。
 
タワーブリッジに目が行きがちですが、
 
なぜロンドン・ブリッジが歴史の上でも重要な位置を占めてきたかがお判りでしょう。
 
ロンドン・ブリッジってこんな感じだったんす。橋の上に家を建てて暮らしていました。
今で言えば、ショッピングアーケード。
 
これこそロンドン国の象徴だったんじゃないかな、と。
 
おまけに軍事的機能を備えた外患からの防波堤の役割を持ていました。
 
 
 
タワーブリッジからロンドンブリッジを見た絵。19世紀後半。
 
 
ロンドン塔はさらにその東側にあったので、テムズを遡上して来る敵を迎え撃つ位置にあったわけです。
 
でもね、拙は思うんです。
 
日本橋は起点ではあっても、
 
軍事拠点じゃないな、と。
 
 
 
 
Brightonなど、南端の街から100キロほど離れたロンドンを目指す時、
 
古い看板や道標には必ず書かれていたものです。
 
Westminsterと。
 
1996年ごろ? Westminster Bridgeから北西を望む。
二基のタワークレーンが見えますが、これは現在の国会議員宿舎兼事務所である
Porticullis Houseの建設中の様子。2000年に完成。 
           ↓
           完成後
 
 
Portcullis Houseの現在の姿。
この写真もWestminster Bridgeから。この左側の道路の反対側にはBig Ben
 
標識を眺めて思ったものです。
 
「ウェストミンスターは、まさしくロンドンの玄関なんだな」
 
 
国会議事堂があり、官庁街があり、アングリカン・チャーチの総本山があり、
 
バッキンガム宮殿に向かうために一番近い橋なんです。
 
エリザベス女王の戴冠以後の傾向として、
 
1950年代以降の英国映画の多くにWestminster Bridge がたくさん登場しました。
 
それはビッグベンの時計台が象徴的なことだけではく、
 
馬車の時代までは、Westminster Bridgeが大陸からのロンドンの入り口になったからなんです。
 
ブライトンからの自動車レースの出発点になったことも、終点になったこともあります。
 
今でも毎年11月Westminster出発のクラッシックカーのレースが行われます。
 
ロンドン塔よりもビッグベンの方が背が高い、ということだけかも。
 
 
 
1月13日

道路の歩き方

 
 
ロンドンでは道行く人々の歩き方が日本とはだいぶ異なる。
 
そんな面倒くさいことを言うヒトがいた。
 
当時、定年目前のベロニカとテッドという夫婦。
 
この二人、夫唱婦随で日本に駐在するある機関に勤務していたけど、
 
1989年、英国に帰任する途中の第三国(日英以外の国)で交通事故死してしまった。
 
これから悠々自適の年金生活を迎えるはずだったのに気の毒。
 
あんまりいいヒトたちだったので、彼らの居た職場の庭には
 
記念樹が植えられた。この季節になると拙はその樹の前で手を合わせた。
 
話がインフォーマティブで面白かった夫婦。歩くことひとつにもウンチクがあった。
 
その説明の仕方も夫婦漫才みたいだったなあ。
 
 
彼らの言うところでは、男女には役割の別があると言う。
 
それは差別とか公正とかの問題じゃなくて、
 
必要だからそうなっただけなのだそうだ。
 
 
 
歩道を女性と並んで歩く時に、紳士は軒側と道路側のどちらを歩くべきか
 
 
 
 
これは1960年代までの英国映画を見ているとすぐに判る。
 
クリスマス期間は懐かしの映画をたくさんやっていましたからねえ。
 
 
 
で、紳士たるもの、同伴する女性が母であろうと、妻であろうと、恋人であろうと、
 
どこかのパーティで落ち合った高級娼婦だろうと、
 
紳士には、あらゆる災難から、女性を保護する義務がある。
 
そういう紳士のマナーは騎士道に由来し、より合理的に、且つ実質的に変化した。
 
 
紳士は、
 
 
馬車のはねる泥水や、2階から道路に投げられる汚物が
 
女性に掛からないように、常に傘を携帯し、
 
いざとなったらそれ開く。 
 
周囲に目を光らせながら、道路側を歩くわけだ。  
 
 
 
 
道路側、というのが正解。
 
紳士は大変だったな、と。
 
拙は偽紳士なので、デパートのドアなどを支えてあげることはあっても、それ以上の配慮はしない。
 
 
 
 
日本でドアを支えると、どうなるか。
 
誰もが、止まらずに、礼も言わずに、拙にドアを持たせて、
 
目もあわせずにどんどん通り過ぎるだけ。
 
20名ほどが通り過ぎた頃、ドアを支えながら考える。
 
ここで手を放したら、誰か怪我をするかもしれない。
 
でも、この場を去りたい。
 
では、手を放してしまえ。
 
この心理状態を刑法では「未必の故意」という。
 
なんか不都合が起きるのが判っているけど、止む無くやっちゃった、という具合。
 
そんなことをボウっと考えていると、人はどんどん入って来る。
 
このお陰で迷子になったことがある。いや、はぐれた、と言う方が正しいか。
 
嫌な奴と歩いているときにわざとハグレルにはこれに限る。
 
でも、その時はぐれたのは5歳の息子だった。
 
大阪大丸の地下だった。
 
「おい、放すぞ。いい加減にしろ」
 
と一喝すると人の波が止まった。
 
「息子のためにドアを支えただけなのに」
 
この時点で拙は紳士を放棄。日本では紳士になれない。紳士の行いは周囲の理解も必要だ。
 
このフレーズ、以前にも書いたことがあるなあ。
 
で、息子は魚屋の前で泣いているのを発見したので、ご心配なく。
 
 
 
ピカデリー・アーケードは北側がピカデリー、南側がJermyn Streetに面する。
南側にはダンディの始祖ボー・ブラ(ン)メルの等身大の像が飾られています。
詳しくは、音声ブログとここをクリックして関連記事をご覧下さい。
 
 
ところで、ロンドンのメイフェアなどにいくつかあるアーケードだが、
 
雨風を凌げるだけでなく、道路傍よりも一段高くなっていることにお気づきだろう。
 
高くなっている理由は馬車で乗り付け、
 
汚物に溢れた道路を歩かなくて済むから。
 
さらに、アーケードの両端には専属のバトラーが居て、
 
買い物しない者の通行は容赦しない。
 
バーリントン・アーケードはピカデリーに面する、もっとも豪華なアーケード。
ここの作りが典型的で18世紀のカタチを維持しています。
 
 
もちろん、紳士淑女然とした格好をしていれば、それはそれで通してくれただろうけど、
 
アーケードは貴族が安心して、清潔に買い物できるところとして作られたわけだ。
 
だから、メイフェアに一番多く作られたんだと思う。
 
しかし、これは内燃機関や下水が発達する前々世紀末までの話。
 
 
 
 
いまどきのロンドンの歩行者はこんなことを気にしなくても良いけど、
 
その歩く位置について気にする年配の紳士淑女が居ることも確かな話。
 
拙は好んで、公園のおじいちゃん、おばあちゃんと話すから、そういう男女差のマナーの違いを目にする。
 
品の良さそうな夫婦は外国人の拙にでも、様々な言われを社交的に語ってくれます。
 
杖を突いた彼らとの歩みはゆっくりでも、話は弾みます。
 
最後に関心されるのが、拙の英語。
 
「どこで習ったんだ?」
 
「日本の中学と高校だけですよ。大学でも少しやりましたけどね」
 
お年寄りは褒めるのもうまい。コトバ使いも勉強になる。
 
道を歩いているだけなんだが、いい歳の取り方ってのがあるもんだな、と散歩がてらに実感する。
 
テッドとベロニカのような老夫婦は結構いるもんだ。彼らもヒトを褒めるのが上手かった。
 
 
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1月12日

ロンドン?のおいしい

 

記事が消えてもた。

 

でも、挫けへん。

 

こういうときに関西弁は便利だす。(一部トーホグ弁)

 

なぜ便利なのかは、うまく説明できません。

 

なんとなく伝わるニュアンスもコトバの大事さかな、と。

 

 

 

で、本日は、

 

ロンドンのおいしいものなんですが、果たして「ロンドンの」と言えるか、どうか?

 

 

高麗人参茶、顆粒状です。

 

1杯一袋10ペンス。

 

甘みがあって旨いです。

 

緑茶に混ぜると最高です。

 

日本でぺトボトルで販売されている「生ぢゃ」よりもンマイ気が。

  

 娘が買ってくれたポールスミス似デザインのマグどぇす。

 

拙をコンフォートに詰め寄る食事は、

 

中華、朝鮮、和

 

必然的に中華に寄る回数が圧倒的。

 

 ↑

 

中華系英人の友人の一人。

 

中華BBQの専門家。

 

基本アイテムは4つ。

 

クリスピーポーク、チャーシュー、鴨、鳥(鶏)

 

表面が適度に焦げたクリスピーポークは旨いけど、脂身たっぷり。

 

頻繁に食べると太りそうなので、月一に留める程度の摂生と節制。

 

何も言わずに、こんな撮影したら怒られまっせ。(念のため) 

 

着席するなり出されるスープが旨い!

 

 

 

 蓮華匙で掬うと、

 

鳥の足や豚足は当たりまえ。

 

でも、味わいがあるスープです。

 

で、

 

「今日は何が食べたいと思う」

 

と意地悪な質問をする拙(客)。

 

ウェイトレスは、これはどう?と、

 

 

 豚肉の辛唐揚ご飯

 

いや、ホントにちょと辛いのよ。

 

メニューを見れば判るんですが、漢語忘れました。

 

たぶん、

 

猪、辛、揚、飯、葫というコトバが順不同に並んでいると思います。

 

いや、本当は順不同じゃないんだけどね。

 

ただ中国語法が判らないだけ。

 

Is it possible to serve me a hot and spicy garlic salted pork chop on the rice?

 

と、聞いてみることも可能です。 

 

Pork Chopだけを強調すると、ケチャップ味で出てくることがありますので要注意。

 

もちろん、サイドディッシュで緑の野菜を頼みます。(欄外)

 

 

 実は、これは息子がオーダーしたもの。

 

これは自宅で簡単に作れますので、頼んで欲しくなかった。

 

拙は上の写真に並んだBBQと野菜ものを頼みます。

 

或いは、辛辣酢魚とか魚香茄子とかね・・。

 

へへへ、メニュに載ってないよ。

 

場所はLisle Street中腹にある「粥麺」

 

ちゃんと歩かないと、おいしいものにはありつけません。

 

 

  

英国でも、

 

おいしいものを食べる工夫は積み重なって歴史となりました。

 

その伝統作のひとつ、

 

ハギスはスコットランドの料理。

 

↓ 

 

羊の胃袋です。

 

拙も好きですが、

 

ホテルなどの朝食に大量に出されると、

 

どんなに頑張っても3/4は残ります。

 

夕飯でも半分は残すなあ。

 

ここ数年で、味付けのバリエーションが増えて、旨くなりましたけど、

 

味が単調なのは変わらず。

 

飽きてしまいます。

 

許してー。 

 

 

 

菜食者のための まがいもの(褒めコトバ)も出回っています。

 

これらはどこのスーパーでも売っています。

 

日持ちがするので、日本に持ち帰っておつまみにでも。

 

 ↓

 

 

でも、やはり日本人には白飯に海苔の佃煮でせう。

 

 

なんと!

 

名前が Seaweed !!

 

直訳すると「海の雑草」やでー!!!

 

日本人は雑草を食っとるんかい?

 

海産物の乏しい英語のボキャはどうなっとるん?

 

拙はあえてSea Productsと突っ張っている。

 

これを水に浸して、砂や貝微片を落としてから佃煮。

 

商品名「磯じまん」「江戸むらさき」と変わらない見た目。

 

もちろん、旨いに決まっております。

 

そんなわけで、ちょと努力と工夫が必要な「ロンドンの」おいしい・・

 

でした。

 

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1月10日

オードリー

 
メイフェアの続き、
 
 
女優ヘプバーンのオードリーのスペルはどちらだと思いますか?
 
Audleyか、Audreyのどちらか?
 
 
茶色の線で、メイフェアを南北に一刀両断する道。
 
 
Audleyはメイフェアの大地主Grosvenor(グロヴナー)家の娘と17世紀に婚姻した貴族、
 
Hugh Audleyのこと。有名でもなければ、大した人物でもありませんが、
 
Hugh Audleyはグロヴナーの土地を造成し、道を作りました。
 
当初はオクスフォード・ストリートから南にグロヴナー・スクウェアまで下った部分だけでしたが、
 
40年後にさらに道を広げて、既存のAudley StをNorthとし、新しい部分をSouth Audleyとしました。
 
この付近には主に王侯貴族の必需品を扱う店が集まりました。
 
NorthとSouthのそれぞれのAudley Streetが一本道なので、
 
オクスフォード・ストリートから下ってみます。
 
 
 
まず気になるのがスパイショップ。
 
これは土地柄かもしれませぬが、
 
権謀術数とセックスを利用したブラックメイルの世界には、
 
互いの脚を引っ張り合う陰惨な部分が忌まわしき伝統として残っています。
 
それにしても、いくつかのスパイショップが並ぶ開けっ広げさ加減には少々呆れてしまいます。
 
 
 
さらに南下すると、North Audley Streetの終わり。短いです。200mありません。
 
目の前にはグロヴナー・スクウェアという大きな公園が左に広がり、
 
右側にアイゼンハウア大統領の像が見え、その後ろにはアメリカ大使館がそびえ建っています。
 
 
 
このグロヴナー界隈では外交官ナンバーの車両をよく目にします。
 
コンジェスチョン・チャージ(渋滞税)は免除されているのかなあ。
 
先進国に居住する外務公務員にとって、外交特権って無いに等しいんです。
 
それは生活が便利であることと、外務公務に支障が無いから、
 
既得権だった特権はどんどん無くなっているそうです。
 
 
真ん中のDはDiplomatの意味。日本では「外-8001」など。
 
 
日本でも駐禁ステッカー貼られている外ナンバーを見たことがあります。
 
確か、石原都政になってからだ、と。
 
あ、これは石原さん批判じゃないですからね。
 
むしろ、彼にしては正しいことをしていると思います。
 
 
 
また、このグロブナー・SQはベンチの多い公園になっていて、天気の良い昼時は最高に気分が良いです。
 
春夏は、ルーズベルト大統領のモニュメントを背に日光浴をしながら、
 
近くで買って来た昼食を頂くんです。
 
すぐ近くにゴードン・ラムゼイのレストランがありますが、数ヶ月先まで予約がいっぱいです。
 
料理人の人格は味や質に影響しないんですかね。
 
単なる毛嫌いじゃありません。念のため。
 
 
 
 
South Audley Streetに入ると、初めは普通の店があるなあ、という感じですが、
 
ここにはいくつかの特別な店やクラブがあります。
 
 S.A. Street50番、会員制のクラブ入り口。誰が入ってやるものか
 
52番には王室御用達のガンショップPURDEYがあります。
 
 
 
昨今の狩猟反対運動は商売に影響あるか、と聞いたところ、
 
「そうでもない。でも、大量生産の銃が安くなったし、うちの銃みたいに何年も掛かる彫金細工が施されたものをもとめる貴族が少なくなった。職人もなかなか育たないしね」
 
ライフル一丁の最低価格が3万ポンドとは、いくら全品オーダーメイドでもねえ。
 
さらに聞いたところでは、ハンティングというのは、統計学や環境学のデータの元に、ちゃんとしたルールを設けて行う自然に逆らわない行為だということです。
 
そして、反対者たちはその辺の議論に参加もしないで、違法な威嚇行為や妨害をしているのだそうです。
 
拙は聞いたままをここで述べているのであって、ここには拙の意見はありません。
 
でも、自然環境のバランスを取るために、
 
環境学上やむを得ず淘汰する目的で狩をする話は聞いたことがあります。
 
得てして、環境学の立場の人々は理論的ですが、
 
生命倫理の立場を主張する人たちは、行動がちょと違います。
 
人道主義、生命主義という高らかな思想を持っているんですから、
 
急進的な活動よりも、落ち着いて話してくれないかなあ、と。
 
 
 
 
 
 
 
さらに拙の目に止まったのは19番地にある陶器の店、Thomas Goode
 
10年ほど前までは、この店で午後茶を楽しめたんですが、
 
技術が年々向上するパティシエの獲得と午後茶の競争に追いつかなくなり、
 
今では陶器売り専門に落ち着いたそうです。
 
午後茶はどこでも同じに見えると言う人は多いですが、それが大きな間違いであることは拙にも判ります。
 
詳しくはカテゴリの「アフタヌーン・ティ」をご覧下さい。
 
しかし、こうしてクオリティの競争に敗れた名店があったとは露ほどにも思いませんでした。
 
 
注)PURDEYもTHOMAS GOODEもどちらも、以前、ハイパーリンクしたところ、MSNの倫理規定に抵触するという示唆を受けましたので、ここに貼れないことをご了承ください。
 
 
 
 
AudleyからAudrey Hepburnの話へ持って行こうとしましたが、長くなりすぎました。
 
実は、このオードリー・ストリートとオードリー・ヘプバーンは何も関係が無いんです。
 
つづりも異なれば、彼女のロンドン住まいの記録とも接点なし。
 
ヘプバーンのロンドンでの足跡を辿るのは意外に難しいです。
 
「焼きまんじゅう焼き係」のやまけろさん、期待に添えなくてごめんね。
 
それにしても、ヘプバーンはいい表情ですねえ。
 
身体の凹凸だけがフェミニンを示すわけではありませんのこと。
 
こんなことを言うのは拙だけかな。
 
これはおまけ!
 
 
 
 
 
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1月9日

メイフェアを行かむ

 
散歩で一番好きなところのひとつはメイフェアなんですが、
 

 
 
 
メイフェアとは、
 
ロンドンの中でも一等地で、東京で言えば銀座に相当します。
 
Grosvener(グロブナー)公など有力貴族がいまだにその地所を占めています。
 
かなり有名な日本の作家が、
 
「ロンドンでは私有地が認められていない。すべては公有地だ」
 
と書いたことがありますが、それは間違いです。
 
19世紀後半に相続税の導入と第3回選挙法改正で貴族の没落が加速されましたが、
 
実際には少数の貴族が、相続税の掛からない会社制度化することで、財産を確保し、一番おいしいところを占有し続けているという実情もあります。
 
しかし、それでも貴族として身分を維持すること自体に意味がなくなって来ていることも事実で、大半の貴族が財力を伴う社交界とのバランスが取れずにその地位を返上したり、貴族に選ばれても辞退するヒトたちがほとんどです。なりたくても、なかなかなれなかったことがニュースになる時代は戦前で終わっています。いい例がロス・チャイルド家でしょうか。もちろん、両大戦の功績から世襲貴族に昇格されて現在に至ることは言うまでもありません。日露戦争の日本債を支えたことでも有名ですね。
 
どんなに裕福でも、それだけでは貴族にはなりえません。なれないヒトたちのために作られた言葉が「セレブリティ」と言うと、またどなたかからのご指摘を受けそうですが、なぜ拙がそういう言い方をするのかを大局的にお含み頂きたいところです。かつては新興貴族というコトバも19世紀や20世紀初頭に流行りましたが、もはやそういう時代ではないですしね。
 
 
メイフェアについて語ると、貴族制の今昔についても語ることになります。
 
 
貴族制について、もっと詳しく述べることも可能ですが、それでは面白くないので、これくらいにしておきましょう。
 
 
 
 
メイフェアの位置は
 
北はOxford Street、
 
西はPark Lane、                ◎           東はRegent Street、
 
南はPiccadilly
 
 
という大通りに囲まれていて、
 
ひとつの行政区域としては2キロ四方にも満たない狭い範囲です。
 
でも、18世紀末以来、世界の富の集積地です。
 
 
 
拙はこの区域にある企業に約7年間勤務したことがあります。
 
お陰で路地裏まで見る機会にはかなり恵まれました。
 
路地裏にさりげなく駐車されたアストン・マーチンを眺めて、
 
 この車種が何なのか忘れましたけど、タクシーの運ちゃんが見惚れてました。
 
この街の特殊性を感じないヒトは居ないでしょう。
 
その路地裏とは入り組んでいたり、西陽の似合うガレージ通りや行き止まりであったりします。
 
ガレージの並ぶところですが、もともとは厩(うまや)や鷹番の住まったMewsと呼ばれる数々の通りです。
 
表通りが貴族の屋敷の表玄関ですが、
 
Mewsはその貴族の玄関先から私道のように入ったところにある裏路地になっています。
 
貴族が出かけるときのためにいつも馬番や鷹番がスタンバイしていた場所がMewsなわけです。
 
内燃機関が発達すると、馬番も不要となり、単なるガレージになりました。
 
内燃機関が発達した頃には、鉄道も発達し、狩場のど真ん中にメリルボーン駅やユーストン駅のような駅舎が建ち、汽車が通ると、狩猟の対象とされたケモノたちもその数が減少しました。
 
その後の姿がリージェント・パークやロンドン・ズーであるわけです。
 
そうなると、狩ができなくなりますから、鷹番も不要になります。
 
そんなわけでMewsは産業革命とともにその機能を失って、現在では高級な住宅街の一部となっているところも少なくありません。
 
各国大使館、高級レストラン、意外なアミューズメントのあるメイフェアですが、
 
実は、拙の「歩く挑戦」は、200ほどのメイフェアの道を制覇することから始まっています。
 
もう少しメイフェアの話をさせてください。
 
1月8日

ドックランド

 

郊外の散歩の次は、

 

またロンドンに戻ります。

 

 

 

↓ これは地下鉄ジュビリー・ラインの周囲に敷き詰める

 

セグメントという鋼材。

 

日本では鉄筋コンクリートですが、

 

英国では鉄鋼を使っているところが多いのです。

 

 

しかも戦前のセグメントは結構錆付いています。

 

Picadilly線やNorthern線でお確かめください。

 

コンクリと鉄鋼とでは、

 

どちらの方が耐用年数が長いのかなあ、と思い続けて20年あまり。

 

作るコストは鉄筋コンの方が安い、と聞いたことがあります。

 

日本では、「建設物価」という本に相場が書かれています。

 

ちゃんと調べたことはありません。

 

こういう深地下を掘り進める技術を日本ではシールド工法と言います。

 

シールドと言われる茶筒を地中に埋め込むような感じで、

 

掘り進めるのです。

 

大きいものになると、直径15mなんてのもあります。

 

青函トンネル、ユーロトンネルなどの

 

海底トンネルにも使います。

 

掘った先から、こうやって周囲を板で固めるのです。

 

板子一枚下は地獄 ?!

 

板と言ってもかなりの強度ですから、心配しないでください。

 

日本の地下鉄は開削堀の所も多いですが、

 

南北線など地中深い地下鉄や丸い軌道はこんな感じです。 

 

 

さて、話はまったく変わって、本日ご紹介するのは、ドックランド。

 

 

 

↓の写真はCanary WhafというDockLand Light Railway(DLR)の駅です。

 

運転手はなく、モノレールみたいな電車で、窓も大きくなかなか爽快です。

 

 

ドックランドと言えば、

 

 かつてはこんな感じの倉庫街でしたが、

 ↓

 

 

 今ではこんな感じ。

 ↓

 

新宿やお台場を思い出します。

 

六本木ヒルズはちょと違うかな。

 

 

 船の教会もあります。

 ↓

場所はドックランド・ミュージアム正面。

 

 

 ドックランドの散歩と一口に言っても、

 

それは結構大きなテーマになります。

 

ぼちぼちやりましょうか。

 

3つの主たるドックがあるとか、

 

命名の由来とか、

 

貢献した人物たちとか、

 

そのまま羅列してもうまくないですから、

 

日本人との接点や興味を掘り出してみます。

 

今日はこんなのを見つけました。

 

 

 Heron Quays駅のすぐ近くです。

 

Westferry Roadと交差するラウンド・アバウトの中です。

 

信号機にしては、

 

赤、青(緑)、黄色の全部が正面に見えるし、

 

なんか変だなあ、と。

 

近づいてみました。

 

 

 

このオブジェ、実際には、交通信号の機能はありません。

 

ドックランドには、こんなものもあります、ってことで。

 

このドックランドという地域、

 

何度か脚を運んでいるうちに、

 

なんだか好きになって来ました。

 

新旧のアイコン(象徴)が同居する

 

ドックランドも徐々に紹介していきましょう。

 

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1月7日

お答へ-「冬の散歩」の続き

 
 
昨日の解答、
 
 
 
これでは答えになりませんか?
 
では、これでは?
 
 
 
 
ゴルフボールを洗う装置でした。
 
お騒がせしました。
 
マルチカラーの手袋をつけて、引っ張っているのは娘です。
 
 
 
ナショナル・トラストの散歩コースと言えども、
 
多角経営です。
 
単なる広場にしていても、土地は荒れるもの。
 
では、整備の怠れないゴルフでもやるか、
 
ということなんでしょう。
 
注意書きがあちこちにありますが、
 
ボールが当たって怪我すると、
 
それは当然ゴルファーの責任になります。
 
保険加入は任意ですが、
 
入っている人が意外に少ない。
 
 
 
何年か前の話ですが、
 
怪我をさせた相手が海外旅行者だと判って、起きたトラブルを目撃。
 
「歩いていて当たったお前の不注意だから、お前の責任だ」
 
などと適当なことを言い放って、
 
当事者たちとの殴り合いになった場面を目撃したことがあります。
 
ゴルフボールが肩に当たり、傍で、もがいていたのは奥さんで、
 
喧嘩をしていたのは、旦那さんだったようです。
 
フランス人のご夫婦でした。
 
相手に殴りかかる時も、ちゃんと英語で、
 
"B●st●rd" "Mother F○cker" "●ss hole"
 
と叫んでいましたが、フランス語訛りでした。
 
やっぱここはフランス語で、
 
”C◎n !”でしょ。
 
いや、ほかに仏語のスウェアワードを知らないもので・・・。
 
まだ、携帯電話が普及する以前の話でしたが、
 
それから15分後に救急車が2台来ているのを、
 
拙は遠くから見守っていました。
 
喧嘩にはいろんなヒトが仲裁に入っていたので、拙の出番は無し。
 
仲裁に入ると、10万円するメガネが飛ばされるしねえ。
 
ゴルフ場併設の散歩道では、十分気をつけましょう。
 
喧嘩は無益です。
 
しかし、拙でも相手に殴りかかるだろうな。
 
相手はゴルフクラブ持っているので、いきなりドロップキックから・・、
 
今でもバスケリング掴めるジャンプ力あるし(自慢)
 
(学習成果無し)
 
 
 
 
 
ところで、池で見つけた鳥。
 
こいつの名前わかる方、
 
 
 
 
 
 
どなたか教えてください。
 
態度が結構生意気なんです。
 
近づく者を威嚇するんです。
 
威嚇されたので、「この野郎、生意気な」と歩を進めると、
 
スタコラ逃げる鳥。
 
まあ、そんだけ臆病なんでしょうけど、
 
面相も異様で、美しいんだか、グロなんだか。 
 
食べるときには、どんな鳥でも「焼き鳥」だ、なんて答えでもいいです。
 
 
今日もたくさん歩きました。疲。
 
 
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1月6日

冬の散歩

 

久々に快晴でした。

 

 

 と言うのは先日の義弟宅のクリスマスデイの日。

 

雲の端が壁のように厚みが掛かって、光の差が出ているのが印象的でした。

 

で、今回の散歩はこんな感じ。

 

ロンドン中心部から15マイルほどの郊外です。

 

どよ~ん!

 

 典型的な冬の散歩 

 強風に吹かれてもご苦労さん。

 

 

 天気に関係なく、芝を食む鹿たち。

 

 

 ここは Knole Parkというナショナル・トラストの敷地です。

 

クリックすると詳細が出ます。

 

Kは黙字で、ノウル・パークと言います。

 

ロンドン・ヴィクトリア駅かチャリングクロス駅から列車で30分、

 

セヴン・オークス駅から約1㌔の場所です。

 

名門パブリック・スクールのセヴン・オークスに隣接し、

 

24エーカーですから、東京ドーム12個分くらい?

 

 

 

 誰もが散歩できます。

 

平坦なので、怠け者の散歩コースとして有名です。

 

歴史は14世紀まで遡り、

 

首長令の出た頃からは、

 

英国国教会の大主教の住まいとなった場所。↑

 

 

 

 おお、鹿の次に馬が!

 

これでは鹿馬(かば)になってしまいます。

 

あれは河馬か。

 

 

 

 

で、クイズー!

 

さて、これは何でしょう?

 

↓ 

 

ゴルフする人とフランス語の判る人には

 

難しくねいでせう。

 

拙は飛ばす身体能力を備えておりますが、

 

アイアンで刻むゴルフをします。

 

刻むとボールが汚れます。

 

その方が面白いのと、

 

飛距離が、

 

アイアンショットでもドライバショット並みなんです。(自慢)

 

(ドライバで打つと曲がるるるる

                 る

                      るるるる)

 

でも、最終的には、ゴルフとパチンコは指先の勝負ですね。

 

曲がりものは価値が下がる。

 

キュウリと同じ。

 

クイズの答えは、明日。

 

ああ、温泉入りたい。(愚痴) 

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1月5日

チャイナタウンの裏窓

 
 
昨日の続き、
 
 
 
誰もが知っているロンドン中華街のメインストリートは3つ。
 
 
これらは平行して走っている。
 
Shaftesbury Avenue ; 3つの通りの一番北側。南側半分が中華系の店舗。
 
Gerrard Street ; 門が東西に置かれたメインストリート。中華街と言えば、ここ。
 
Lisle Street ; 一番南側の通り。隠れた名店と野菜の充実したスーパーがある。
 
 
歩いていると、「マヤマァ」と声をかける中国人のおばさんたちが居る。
 
「何それ?」と聞くと、タバコだと言う。
 
そう言うからにはタバコなんだろうが、ちょとアブナイたばこに違いない。
 
判っていても、そんな野暮なことを言ってはならない。
 
 
 
時々、花飾りを胸ポケットに差そうとするジプシーのおばさんたちもいる。
 
やられそうになると、
 
Do I look like a tourist?
 
と一喝して差し上げる。それでも怯まなかったら、
 
GardianとかPloiceとかOfficerと叫ぶと、結構すぐに飛んで来る。
 
ジプシーたちは飛んで逃げる。
 
 
 
 
ここまでを経験するのは普通で、
 
 
 
Shaftesbury AvenueとGerrard Streetの間にある2つの場所、
 
Dansey Place(登士坊)とHorse & Dolphin(馬海豚庭) Yardは、
 
ロンドン・チャイナ・タウンの完全な裏窓社会。
 
Horse&Dolphin Yardは17世紀に同地にあったパブの名前で、
 
パブで一杯やる馬主が馬のくつわを掛ける場所がイルカの形をしていたことに由来。
 
 
 
今回、撮影は叶わなかったが、
 
このYardには高さ3m、直径170cmの怪しげな寸胴が数基置かれている。
 
残飯の臭いが漂い、周囲の壁は一面脂ぎっている。
 
 
つい、怖い想像をしてしまいがちなのは、
 
あの寸胴・・・・
 
ヒトが投げ込まれても、
 
切り刻まれても誰も判らないだろうなあ。
 
当局が不法入国者の身元を辿ることもないだろうし。
 
まあ、拙の想像の範囲だけであればいいのだが・・・。
 
最近は↓の写真に示されるようにCCTV(防犯カメラ)が作動しているから、
 
物騒なこともなくなったそうだが、あのCCTVを管理するのは?
 
 
 
10年以上前、Horse & Dolphin Yardの地下で見たもの、
 
地下に厨房があり、そのうちの一軒では料理人が足かせをされている。
 
血の滲む足首から鎖がつながり、先には鉄球。
 
麻雀で負けが込んで金が無くなった者の末路。
 
人権って、なんなのさ。
 
アムネスティはこの国に対してシビアだ。
 
 
 
もうこれ以上は書けない。
 
友人にも悪いし、
 
と言っても、聞いたのはもう10分の1世紀以上前の話。
 
ただ、
 
ロンドンの道の中にも、お勧めではない道も稀にある、というお話。
 
 
1月4日

シンジケート

 
Shaftesbury Avenueにある中国系のあるビデオ屋はいつも繁盛していると思ったら、
 
ある日その店は商売が替わっていた。
 
働いている人たちも異なるようだが、その時は中国語の雑誌を売る店になっていた。
 
さらに数日して同じところを通りかかると、
 
またもやビデオ屋に。
 
そして、繁盛している。
 
いつ店仕舞いして、いつ開店するのか・・・、
 
そういう情報を操作する者、利用する者、他人種には絶対言わない人々。
 
なんか怖いなあ。
 
 
 
Shaftesbury Avenueというのはロンドン・チャイナ・タウンの南面になる目抜き通りだ。
 
シアターも数多く面しているし、高級中華の店も多かった(まだ少しある)
 
高級中華はメイフェア、ケンジントン、チェルシーなどに拠を変えて、
 
ここロンドン・チャイナ・タウンとは一線を画すようになった。
 
やはり中国人同士でも、そのシンジケートとの付き合い方はいろいろあるらしい。
 
赤で囲んだ辺りがロンドン・チャイナタウン。
 
 
秩序を守る本質は、国家権力と警察だけじゃあない。
 
暴力と金。
 
権威の実質的根拠は暴力と金だろうなあ。
 
と、この世界を見ていて思うこと。
 
Mr.Conの塩鱈チャーハンが旨いとか、
 
飯に盛るBBQは粥麺系のどこが良いとか、
 
飲茶はトロリーに乗せないものに限るとか、
 
そんなことを言って楽しんでいるだけでは、
 
ロンドンの中華街を知ったことにはならない。
 
 
でも、知らなくても良いこともたくさんあるなあ、と。
 
メイン・ストリートのGerrard Streetを通る度に聞こえる麻雀牌の音に寒気を感じるのでした。
 
この続きは明日。
 
 
12月31日

年末の風景

 
 
子供たちが映画「キングコング」を見に行きたいと言うので、
 
近くの映画館に行きました。
 
 
 
 
拙宅周辺は問題なかったのですが、
 
4㌔ほど離れた映画館周辺には中流百貨店のM&S、ファッションのNEXT、欧州最大の組み立て家具店IKEA、そして日曜大工の大規模店などなどが一所に集まっています。
 
その近くになるにつれ交通量が増えて来ました。
 
理由はクリスマス後のバーゲンです。
 
50%引きは当たり前です。(昔、日本でそんな宣伝があった?)
 
拙の欲しいものはいつもバーゲン対象外。
 
 
 
 
そんなわけで、
 
ロンドン・クロイドン空港跡周辺から約2キロの渋滞。
 
10年前には都心以外で渋滞することなんてホトンドなかったのに・・・。
 
映画の始まる1時間半前に家を出て、IKEAで子供部屋の棚を物色する予定でした。
 
でも、駐車スペースが見つかりません。
 
妻と子供たちをIKEAの傍で降ろして、拙はスペース探し。
 
探すこと40分あまり、やっとのことで車をねじ込むとちょうど電話が。
 
お目当ての棚もすぐに見つかって、車に乗せるとそのまま映画館に。
 
映画館まで車から歩いていく200m余りの道々、
 
渋滞運転している人々の表情にはなんとも余裕が無い
 
英国人はクラクションを鳴らさない人種だと思っていたのに、
 
若い連中はやたらに鳴らす鳴らす。
 
「お前、25歳だろ」
 
などと聞くまでも無く、言葉遣いが若い。
 
"Oh ! ma-n"
 
 
 
 
 
Anger Control(怒りの制御)は社会問題視されています。
 
でも、成熟したヒトたちの運転はそういう輩にも
 
「二コリ」と手を振り、何事も無かったかのようにその場を去ります。
 
拙も英国ではクラクションをほとんど使いません。
 
クラクションを鳴らす以前にやるべきことがあるからです。
 
安全を確保するのが第一。
 
クラクションを鳴らす余裕があるのだったら、
 
事故に至らない最善の方法を取るべきです。
 
クラクションを鳴らすことで避けられる危険ももちろんありますが、
 
それは運転者や歩行者が余所見をしている時くらいでしょう。
 
割り込まれても事故に至らなかったらクラクションを使うべきじゃない。
 
割り込まれる前に警鐘として使うのも状況次第です。
 
 
 
 
 
で、どうにかキングコングの時間に間に合いました。
 
映画評論に厳しいThe Times紙が2005年作品で唯一5★に掲げた映画。
 
子供の頃からキングコングのリメイクも見て来ましたが、
 
今回はプロモに出てくる主演女優のナオミ・ワッツの身のこなしがとても気になっていました。
 
彼女の運動神経はタダモノじゃないですよね。顔はきれいだけど、ぜんぜん色気ないし。
 
映画にはいつもワクワクします。(見る直前までは)
 
クリスマス前の12月22日に1933年のキングコングがBBC1で放映されていたので、
 
それもチェック。
 
冗長な闘いのシーンが続くことと、いきなり場面が変わることで、
 
昔の映画ならしょうがないのかなあ、と。
 
でも、2005年版も叫び声は同じくらいだったかな、と。
 
見せる映画であることはよく判るんですが、闘いのシーンがクドイ。ストーリーに矛盾が多すぎて、嫌になる。役者はジャック・ブラックとエイドリアン・ブロディ以外は皆「練馬」以下。30分は短くできる映画かと・・・。
 
もちろん、どんな小説でも矛盾だらけですし、映画になると、なお更です。
 
矛盾には目をつぶりましょう。特に良かったところだけ言いましょう。
 
それはコングが心を持ったこと。
 
そのポイントとなるシーンは・・・などと述べるべきではないですね。
 
でも、その心に気づいたことがきっかけとなって、殺されてしまうんですけどね。
 
その辺の演技指導はばっちりだったようです。
 
監督もたぶんその辺を訴えたかったんでしょう。
 
拙も子供の頃にコングを人間と同様に扱えば、
 
ある程度は心が通じるんだな、と思ったものです。
 
 
 
 
それにしても、コングの暴走によって生じたNYのインフラの損害は、すべてプロモータの負債にならないのだろうか、
 
(民事訴訟の問題になる筈)
 
いつも手の中に抱かれていたアンは、コングの吐く息や手の臭いが臭くなかったんだろうか、
 
(映画には臭いが無い)
 
食事や排泄はどうしたんだろうか、
 
(コングが草食なのか雑食なのか最後まで判りませんでした)
 
アルカイダもこの映画の過去のリメイクを見ていて、標的を決めたんではないか、
 
(エンパイア・ステートにコングを昇らせたのは原作者による文明への警鐘だった。ブッシュはそれ以下のことをやって、宗教間の報復戦線にしてしまった。あ、言い過ぎ?)
 
冬のNYでダンスホールからノースリーヴス・ドレスのまま出てきた彼女は深夜から明け方までコングの手の中とは言え、凍えなかったんだろうか。おまけにエンパイヤ・ステート・ビルの上は強風の筈。
 
などと矛盾以上に付帯的状況に想像を巡らしてしまいます。
 
この映画、拙がを点けるなら3つかな。
 
表情豊かなジャック・ブラックと雑技団並みのナオミ・ワッツが好きでした。
 
 
 
 
ここは英国のブログだろって、言う方のために申し上げます。
 
ゲーム、ドンキー・コングのソフトを開発したのは英国人です。
 
ちょっと無理かな。
 
12月24日

道の東西と道の種類

 
 
巷では、クリスマス前の仕事納めが終えました。
 
23日(金)はだいたいの会社が半ドンだったようです。
 
拙も企業人であったころは、朝からシャンパンで酔ってましたな。
 
プールも電車も道路も空いていますが、スーパーの周囲だけは混んでいます。
 
スーパーは明日もまだやっているし、一日置いて、26日の午後から、
 
また開くのに店内は異常にごった返しています。拙は納豆を買いに行きました。ウソです。
 
拙は1日中、PCと格闘していました。
 
でも、そろそろ落ち着いてきたので、本日の仕事に取り掛かります。
 
今晩、家族はキャロル・シンギングに出かけます。
 
近所の家を托鉢に回る感じですかね。
 
賛美歌は簡単なメロディばかりなので、すぐに歌えます。
 
 
曲名をクリックして聞いて見てください。英語でも簡単に歌えます。
 
 
 
 
 
 
さて、本日のお題、 
 
 
昨日、「英語と京都語」の話を述べましたが、今日は道について。
 
 
 
近畿圏では「通り」と「筋」の違いが明白ですが、
 
英國では道が必ずしも碁盤の目の中で東西南北を示しているわけではないので、
 
「通り」が東西、「筋」が南北のような使い分けをする考え方は生まれなかったようです。
 
英国にも律令制が導入されていたら、出来たんでしょうか。・・か?
 
でも、米国のいくつかの都市では、Streetが東西、 Avenueが南北だとか。
 
英国内でもそういう使い分けをローカルで行うことがあるようですが、
 
どなたか、具体的な場所をご存知でしたら教えて下さい。
 
 
 
 
道を表す言葉はたくさんありますが、基本的に、出来た頃の道幅でなんとなく決まったそうです。
 
Road ⇒ Rd と略します。
 
Street ⇒ St と略します
 
Way ⇒ WやWyとされることがあります。
 
Avenue ⇒ AvとかAve。
 
Lane ⇒ L.だけとか。「路地」という意味が強いけど、6車線のPark Laneは路地とは言えないし・・・。 
 
Mews ⇒ M、だけとか。本来は厩(うまや)の意味。だいたい袋小路です。現在でもガレージの様相。
 
Crescent ⇒ 略はCrかな。道が三日月湖のように、湾曲しています。幹線に並行しているかのようですが、幹線に戻ってきてしまう道。抜け道と思って入るとがっかりします。
 
CloseとかDrive  ⇒ Cl.とかDrと略されます。また、「行き止まり」になることが多いので、Cul-de-Sac ⇒ 「カル・デ・サック」袋小路と( )書きされることも。子供たちが遊んでいても安全な住宅街の末端、静かな一画として不動産の価値も高い、人気の場所です。
 
ついでに、ラウンド・アバウトについても言うと、
 
15年くらい前に「●ギリスはお○し○」のシリーズで書かれていた認識について、
 
どこかのパーテーで、筆者ご本人に面と向かって指摘すると、大変に憤慨されていましたが、
 
もしかしたら、そういう書き方をしないと売り物にならなかったのかも、というのは大人の意見。
 
でも、拙の言ったことは、在英経験者なら誰でも同意すること。
 
「ラウンドアバウトは渋滞を作りますよ。事故も多い。それに日本では敷地だけでなく、法の遵守がドライバーに徹底させられるかどうかが疑問。信号機の利権構造もあるしね・・・」
 
ラウンド・アバウトは日本で言えば、ロータリーですか?なぜか伊東や南紀白浜などの海の街にあります。ロータリーに入るときの交通規則が明文化されていない日本ですが、それも数が少ないので大勢に影響なし。英国では右から来る車に優先権がある、というのが鉄則。
 
Piccadilly、Strand、そしてEmbankmentのように「通り」に該当する言葉であるRoadやStreetが付かない道もあります。
 
なんでそういう道名の付け方なのかは、資料が見つかりませんが、推測するに、ほとんどが象徴として固有名詞化したコトバだから、なんでしょうね。先の「京都」と同じです。
 
でも、それならtheが付くべきだろう、と仰る向きもあるでしょう。確かに上の例の中でも、the Strandと言います。これは完全に固有名詞。でも、これ以上の考察は言語学者に任せましょう。the Kyotoって書いても、英語発音だとザ・ケィヨゥトゥに聞こえますがな。
 
 
確かにその言葉を聞けば、「道」であることは、ある地域に長年棲む者の常識になります。
 
例えば、Whitehallと言えば、官公庁や国会のある大通りのことで、現在では実際にその名のホールがあるわけではないのです。
 
そんな感じです。
 
実は、昨日の記事はこの記事の布石だったのね。
 
 
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12月22日

Bull Ring 

「私はドナと言います。突然、皆さんの邪魔をして申し訳ありませんが、お願いがあります。実は今晩、私の泊まるところがありません。政府に頼んでも、賄ってもらえません。ここにいらっしゃる皆さんのご厚意を賜りたいのですが、如何でしょうか?ほんの数ペニーでも構いません。アナタに主のお恵みを。お騒がせして申し訳ありません」
 
ナショナル・レイルがロンドン・チャリング・クロス駅を出て暫くすると、隣の車両から現れた「ドナ」と名乗る女性が、拙を含む乗客全員に語りかけたコトバです。彼女はこの路線の常習者(この呼びかけは犯罪じゃないけど、なんで電車に乗れるお金があるんだ?)で、彼女が去った後に「また、彼女だよ。無視するに限るね。お金に困っているのは事実だろうけど、彼女は電車の中でこういうことをするべきじゃない」という話をしているヒトがいました。
 
言うまでもなく、これはBeggingです。物乞いです。
 
かつてロンドンの地下鉄の中では、こういうことをするホームレスのオジサンたちがたくさんいました。
 
何年も風呂に入っていないので、そのオジサンが車両に移ってきただけで、存在感たっぷり。うぷぷ。
 
出で立ちよりも、臭いが地下鉄の風に乗ってくるので、
 
その臭いだけでご飯が食べられそうです。いや、病気になりそうです。
 
80年代終わりごろのある夕方、座席に座ってアタッシェ・ケースの上に書類を広げて、
 
仕事をしていたんですが、
 
ホームレスのオジサンは「小銭をくれ」と拙のケースを叩いてせがむんですな。
 
あまりに臭いのでさっさと行っていただこうと、小銭を出そうとしましたが、
 
「ダメだ。金を上げちゃいけない」
 
と、隣に座る英人男性。
 
「ここはそういう場所じゃない。電車から降りろ。無賃乗車なら、尚更だ」
 
「でも、このオジサンにこれ以上関わりたくないから、ここはひとつ・・・」
 
「いや、ダメだ。コイツはBull Ringの溜まり場に戻るべきだ」
 
「どこそれ?」
 
とは聞くわけにもいかず、
 
帰宅して妻に聞くと、
 
ロンドン・ウォータールー駅付近にある巨大なラウンド・アバウト、
 
Tenison Wayの中心にある直径40mほどの窪みのことでした。
 
 
今では、開発されて小ぎれいな映画館IMAXが建っていますが、
 
1990年代前半までは、ここはホームレスの一大集積地でした。
 
新宿駅西口の地下から立体交差になったところがありますね。
 
正にああいう広大なスペースに、どす黒い集団がワラワラと群れているわけです。
 
ドラム缶に木や雑誌をくべて、皆が暖を取っています。
 
アルコールの臭い、タバコの臭い、体臭、そして粘ついた笑い声。
 
その中には狂気もあり、様々な中毒者もあり、
 
毎年凍死者の続出する場所であり、突然ケンカも始まり、殺し合いもあり、
 
Bull Ringと呼ばれる由来となりました。
 
政府も合法的な処置に長年困っていた場所です。
 
故ダイアナ妃が開発前にホームレスを慰問した場所でもあります。
 
「暖かいベッドと食事に迎えてもらえる生活をしましょうね」
 
と、励ました彼女のお陰でホームレスたちの中には社会復帰を目指した人々も少なくありません。
 
拙はチャリング・クロス駅を使ってナショナル・レイルで通勤していたので、
 
毎日この大きなクレーターの中の光景を目にしました。
 
大規模な殴り合いを目撃したことがあります。燃える丸太を振り回している様子が見えました。
 
かなりの数の死傷者が出たと記憶しています。
 
さらに、開発前に一度だけ、このクレーターの中を通ったことがあります。
 
確か、道に迷って、営業先に行く近道として、同僚の英人女性職員と二人で通ったことを思い出します。
 
路面は至るところ汚物だらけでした。
 
ちょっと怖いもの見たさも手伝って無謀なことをしましたが、
 
気丈な筈の同僚は吐き気を我慢できなくなっていました。
 
ロンドンってすごいなあ、と思いましたよ。はい。
 
 
 
で、先の地下鉄のホームレス対隣の座席の英人紳士との顛末ですが、
 
あまりに臭いので、我慢できず、拙は次の駅で降りてしまいました。
 
すると、ホームレスのオジサンも紳士に怒鳴りながら降りて来たので、拙はドアに挟まれながら、再び車両に滑り込みました。隣に座っていた英人紳士は、周囲の人たちと議論していました。ホームレスの扱いは政府の仕事だ、と誰もが言ってました。当時、サッチャー政権に不審が募っていた時代でしたねえ。
 
 
 
2005年夏、映画"Ploar Express"を見るためにIMAXの辺りを歩きましたが、
 
ホームレスの跡形は何もありません。
 
再開発でキレイにすることは大事ですが、
 
なんだか白けた、うそ臭い世界だな、という気がします。
 
ホームレスの集積地にはそれなりの人間味が感じられました。
 
小説家ディケンズも人間の交わる混沌とした場所に素材を見つけたわけです。
 
その混沌は少なくなりました。
 
Bull Ringも今はない、ロンドンのicon(象徴)ですが、
 
怖くて、懐かしい場所です。
 
12月20日

未知の道

 
まず、昨日のクイズの答えは、これ!  
 
 
クリスマスツリーの梱包材でした
 
この筒の中にツリーを通して、こんな感じ ↓ で運びやすくします。
 
 
 
ツリーを担ぐお父さんもご苦労さん。この時まだ朝の8時かな。夜が明けたばかり。
 
 
 
で、この近所、つまりVauxhallからBattersea Parkに掛けてのテムズ川沿いの一帯には
 
デカイ建物が多いんです。
 
 
特に興味深いのが、市場の他に表題のBattersea Power Station。 
 
バタシー・パワー・ステーション(バタシー発電所)と言います。
 

「 英国の車窓から」
 
 
今はまだこんな感じで、使われていない発電所跡なので、
 
地図では( Disused)と書かれています。
 
 
 
 
でも、将来は以下のように大きく変わる予定です。

完成予想図1  今は足場材で覆われつつ・・・。

 
 
この煙突と外観は保護されるそうですが、
 
そんなに古いモンでもありません。
 
1920年築で、1977年に発電所としての役割を終えました。
 
1990年ごろまでに遊園地として開発される予定でしたが、
 
スポンサーやインヴェスターが付かなかったまま年月を経ました。
 
合計で約5000名を収容する5つ☆ホテル、コンヴェンション・センター、アパートとしての役割を果たす建物としての開発が既に進んでいます。
 
ParkviewとHyattとの共同運営で、ロンドンの古いアイコン(象徴)をモダンで機能的なコンプレックスに変えてしまおう、という試みです。
 
旧いアイコンの中に最先端の技術が結集するなんてことが、この国ではまた実現するんです。
 
 
 
 
これからテムズ河畔に建つホテルは増えます。それは景観と水運を当て込んだものです。景観はホテルのレートを上げるのに大事な要素ですし、これまでにない水運というアクセスの利便性は、「ボートに乗ってみたい」という消費者意欲をくすぐるだけでなく、渋滞を避けて、異国情緒を満喫させる上で最高の交通になりうるのです。
 
どのホテルにも先立って、バタシーの開発が進んでいますが、
 
ホテルの創業予定は2008年って、もう3年ない状態です。
 
工事は間に合うんでしょうか。 

完成予想図2 英国らしい空?
 
出来たら、倫敦の新しい散歩の名所になることは間違いないでしょ。
 
オープンの頃までにNine Elmesの辺りには新しい道がたくさん整備されると思います。
 
ロンドンの道が増えます。そのネーミングこそ、未知の楽しみ。
 
2012年オリンピック前から盛り上がるロンドンからの報告でした。
 
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12月19日

ロンドンの青果市場

こんなところを朝5時から歩いてみました。

 

いくらロンドンを歩くのが趣味だと言っても、

 

物好きにも程があると。

 

でも、早朝に行かないと見られないものが多いです。

 

Billingsgateの魚市も同じです。

 

ただし、原則としてツアーや観光はお断りなので、

 

ここでURLを紹介するのは憚(はばか)られます。

 

でも、興味ある方はググッて見てください。

 

10年ほど前に鯵を買おうとしたら、

 

「日本人は、こんな屑みたいな魚を食うのか」

 

と言われて、

 

「何にでもヴィネガとケチャップを掛ける魚の味の判らん奴に言われたくない」

 

と切り替えしてやりました。

 

魚市場にはあまり良い印象はありません。

 

 

 

 で、

 

ニュー・コヴェント・ガーデンには、

 

先日紹介した花卉市場の他に、

 

どでかい青果市場も併設されています。

 

花卉市場は100m四方くらいでしたが、

 

青果市場は23ヘクタールほど。

 

東京ドームだと6つ分くらいかな。

 

端から端まで歩くとけっこうな距離でした。

 

 

時々目に付いたのがこれ↑

 

ジャガイモです。

 

中には丸くくり抜いただけで捨てられたものもたくさん。

 

レストランで出される丸いジャガイモは、

 

茹でたり、ローストされて主菜として盛られますが、

 

残りの多い消費の仕方ですねえ。

 

レストランで使われるのはジャガイモ全体の10%ほどでしょうか。

 

で、この「ゴミ」は飼料作物になるんだそうです。

 

どおりで新鮮なわけだ。

 

↑は新鮮なアボカドが放置されています。

 

見ると、そこ、ここにオレンジやマンゴーも散在しています。

 

これはわざと放置してあるのだそうです。

 

理由は市がはける朝8時ごろになって判りました。

 

こういう野菜や果物を拾い集めに来る人々が居るんです。

 

箱が壊れて半分くらいはダメになっていますが、

 

半分は新鮮で品質の高いものです。

 

拙も腹減ったので、落ちているオレンジを失敬しました。

 

ンマイ。

 

醤油とスプーンがあれば、アボカドもやりたかった。

 

 

ご覧のように運搬材はほとんどが通い箱

 

日本のように発泡スチロールを使っていません。

 

築地など、東京の市場では発泡スチロールの回収をする専門業者がいますが、

 

この市場では分別ゴミを徹底しています。

 

 

 

清潔感があって、気持ちいい市場でした。

 

ところで、クイズー!これは何でしょう?

 

答えはまた明日。

 

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12月17日

花の街-倫敦、ロンドン

 
 
忙しすぎてブログのことを忘れていました。
 
気付くと、英国時間で夜中12時ごろ、日本は朝9時、
 
あんまりブログに触れたくないなあ、という気分でした。
 
気になるブログに少しだけ寄らせてもらいましたが、
 
コメを書くと、まだ頭脳が働いていることを実感。
 
でも、腱鞘炎で手と腕も痛いし。
 
その後一眠り、
 
コンテスト参加中だし・・・、ということで、今日のお題。
 
 
 
つい最近撮影したものです。
 
 
暗いのに、フラッシュ焚けなかったのでピンボケ。
 
どこだか判りますか?
 
朝5時、ニュー・コヴェント・ガーデンという場所なんですが、
 
もちろん、ストランド近くの有名なコヴェント・ガーデンとは違う場所です。
 
新しくなったコヴェント・ガーデンが花市場の様相であることに違和感を持つ方も少なくない筈。
 
コヴェント・ガーデンってそもそも何?
 
と聞くと、「大道芸人の集まるところ」「観光客の好きなところ」「昔は青果市場だったところ」「トランスポート・ミュージアムのあるところ」「シアターの多いところ」
 
英人でもこんな答えです。
 
昔のことを知っていても、青果市場だったという程度。
 
映画「マイフェア・レデー」の舞台になった最大の理由は花卉(かき)市場だったからでやんす。
 
ここでヘプバーンの話をしてしまうと、話が長くなってアカンですね。ええ、大好くです。
 
特に38歳で演じた「暗くなるまで待って」の彼女。
 
英国版DVDあります。鹿島線。いや、貸しません。
 
 

年代不詳。でも、出で立ちから1900年ごろと推定。意見または文句はコメで。
  
 
「マイフェア・レデー」の興行は1964年ですから、
 
花卉市場がニューコヴェントガーデンに移転する10年も前のこと。
 
つまり、コヴェント・ガーデンが本来の姿を失ってから30年以上経つわけです。
 
 
コヴェント・ガーデン・フラワーマーケットで働いたことのある数少ない日本人です。
 
彼女と話していると、花のすべてが生活や人生と関わっていることがわかります。
 
 
マイフェア・レデーの舞台も今や交通博物館。
 
 
個人的には、切花が嫌いでした。
 
なぜ、美しいモノを地面のそのまま咲かせてやらないのか、
 
花は繁殖のために美しく咲いて、萎れることも大事な過程ではないのか、
 
野菜は動物と同様に人間の食料とされるので、
 
我々が生きていくためにはその生命を頂くのは仕方ない。
 
と自分を中心に正当化していましたが、
 
どうやら花にはもっと凄い機能がたくさんあるんですね。
 
花のマーケットは今や世界で500億ドルです。
 
これは単に商業主義だけでは広がり得ない数字です。
 
ロンドンの花を語るには、もうちょっと時間が必要ですが、今日はこれまで。
 
12月15日

古茶

 
 
玉露を戸棚から見つけました。
 
英国では買えない貴重品なので、
 
大事に保管して置いたのですが、いつしか忘れてしまっていたものです。
 
賞味期限は2004年の11月。
 
試しにそのまま飲んでみましたが、
 
まあまあ大丈夫。
 
炒ったらどうなるかなあ、とこれも試してみると、
 
香りが良くなったような?
 
でも、葉が黄色っぽくなって、番茶のようです。
 
お茶自体は緑茶の色と香りがします。
 
あの賞味期限とは何なのでしょう。
 
お友達の紅茶の権威、麻子・スチュワードさんから教えて頂いたのは、
 
●賞味期限は未開封の場合それまではおいしく飲めますよ、という目安のようなもので、少し過ぎたからといって例えば変質してしまうとか体に悪いということはありません。開封したら密封容器に入れてせいぜい2ヶ月というところですが。
 
確かに旨さは落ちるような気がしますが、
 
凡人の拙には、「気がする」だけで大勢に影響ありません。
 
で、もっと美味くならないかな、と
 
熱湯昆布だしを湯の代わりに使ってみました。
 
利きお茶をしてみたところ、
 
昆布湯のお茶は美味い、というよりも滑らかな感じでした。
 
 
ギリンさんから販売されているペットボトル入りのニャマ茶のような味になるのかな、
 
と昆布で試したわけですが、ちょっと違いました。
 
アミノ酸のようなものを入れたら、そのようになるんでしょうか。
 
でも、この国にはポカリのような飲み物ないしなあ。
 
普段、拙が愛飲するのはT社のペパーミント茶
 
コーヒーが苦手なので、スタバなどでもハーブ茶を頼みます。
 
一番美味いと思うのはT社です。
 
ペパーミント茶で、誰もが「美味い」と言うのが、ピカデリーのF&M
 
URLではorganic peppermintを探してみてください。
 
飲みに行くと、テーバッグで出てきました。
 
ペパーミント茶は茶葉ではなく、テーバッグしかないとのこと。
 
でも、それは違いました。
 
Yauatchaで頼んだら、生のペパーミントの葉が急須にたくさん入っていました。
 
爽やかさと味わいがテーバッグとは違うので、
 
「これ、ペパーミント以外に何も入ってないの?例えば、アミノ酸とか?」
 
と聞くと、店員は意外な顔をして、
 
「ちょっと聞いてきます」
 
戻ってくると、
 
「葉にお湯を注いだだけです」
 
そりゃ、そうだろうな。 でも、新鮮なペパーミントの香りはテーバッグとはまったく違う。
 
おいしい香り。
 
拙の娘は「歯磨き粉」と言うけどね。
 
実は、この記事も「挑戦」のひとつ。
 
「お茶も歩かなきゃ飲めませんよ」
 
 
YauatchaのあるBroadwick StreetとBerwick Streetの角っこはこちらをクリックしてみてください
 
一日に2箇所でお茶飲んだら、お腹はガポガポですね。
 
 
 
ところで、先にご紹介した麻子・スチュワードさんですが、HPをお持ちです。
 
 
彼女は英国紅茶の先生です。麻子さんに英国のお茶を教わりに、日本から留学される方もいらっしゃるとか。
 
ミント・ティが好きだ、と言うと以下のようなアドバイスを頂戴しました。掲載許可済み。
 
●ミントティーがお好きならモロッカン・ミント・ティーがぜひお勧めです!
緑茶(できれば中国製のもの、この国ならスーパーで売っている「クリッパー」などでOK)ティースプーン2杯、ミントの葉一つかみ、砂糖小さじ12杯(現地ではこんなに、でも減らしてもいいです)に熱湯カップ6杯程度を注ぐだけ。すっきりして本当においしいです。
中東系の店で売っている「バクラヴァ」と一緒にどうぞ。
 
プロフェッショナルなアドバイスですよね。
 
普通では買えないような特別なお茶の仕入れもされています。
 
お茶以外でも、何でも出来ちゃうけっこう凄い方です。
 
「お友達」と呼ばせて頂いても良いものか、どうか判りませんが、とにかくお世話になっています。
 
お会いして一目ぼれしました。あ、旦那さんは日本語が判るヒトだったか、と。
 
12月14日

清潔な市場

 
 
タイバーン川を辿る散歩は、今回こそ終わらせます。
 
これまでは、端折ってもなかなか文章が縮まりませんでした。
 
この項目を書き始めてから、当初はアクセスもランキングも上がったのですが、
 
途中から下降気味です。
 
やはり面白くないのでしょうか。
 
道はたくさんありますから、まだまだ他に歩いた道について述べて行きますが、
 
何とかタイバーン川については、意地でも終わらせたいと思います。
 
 
さて、Curzon Streetの47番まで西に流れていた川は直角に折れて南へ流れます。
 
このクランク部分が淵になります。淵からはパイプが敷かれ、それぞれの作業場へと水が引かれます。
 
Shepherd Marketには本当に羊が居ました。
 
メイフェアのど真ん中では屠殺された子羊たちの血を洗うために、タイバーン川が使われたのです。
 
メイフェアとは、文字通り5月の市のことです。
 
 
元々は現在のHay Marketの辺り(エロス像よりももう少し南)で開催された市だったんですが、いつも市は混雑が激しく暴動気味になるので、現在のShepherd Marketの辺りに移転されたのが1686年頃のこと。水利の大半はまだ自然のものに頼っていたんです。
 
メイフェアという地域は18世紀あたりから貴族が住むようになり、その台所を支えるのは、このShepherd Marketだったわけです。貴族の館は今ではグロブナーなど、メイフェアのホテル群です。
 
今でもその街並みに当時の市場の原形を見出すことはある程度可能ですが、あえて言えば、アルフレスコ(屋外テーブル)のレストランの敷き物や、周囲の石畳でしょうか。
 
ちょっと離れたところには19世紀以来のレッドライトゾーンもありますが、これは必要悪と言われるご愛嬌。
 
川はCarrington Streetに流れ込み、5階建ての駐車場の下を通過しています。その先は日本人もたくさん通う英会話学校になっています。
 
その学校の前にある道の名前がYarmouth Placeで、その先の通りが昔は煉瓦工場のあったBrick Streetです。
 
 ヘビがのた打ち回ったような青い線が川ぢゃ。河じゃ。
  
ピカデリー通りに接するこの部分で、メイフェア地区は終わりですが、18世紀以来、メイフェア自体は世界の富の集積地として、かつてはセックスと陰謀の街としても、世界に知られています。羊の屠殺後に血を洗い流すタイバーンには人間の血もたくさん流されたということです。
 
流された血の話は、いずれするとして、タイバーン川はここからピカデリーの通りを横断して、グリーン・パークの地下へと流れ込みます。
 
流れはテムズ川の方向へ、東へ、と向かう途中、バッキンガム宮殿前のQueen Victoria Memorialのラウンド・アバウトの辺りで3つに分かれます。
 
Spur Roadという道は川と川との間に出来る小さな扇状地のような部分を語源にしています。
 
おそらく、この道が川の本当の分岐点であったのでしょう。そのうちの一つの支流が日の目を見ることになります。
 
そこが、セント・ジェームスズ公園の湖です。
 
タイバーンのひとつは、大蔵省と外務省の間にあるキング・チャールズ・ストリートを通って、ホワイト・ホールの通りを横断し、ヴィクトリア・エンバンクメントからテムズ河に流れ込みます。その位置はエンバンクメントから身を乗り出してみれば、見ることが可能です。落ちても、拙のせいではありませぬ。
 
以上、5回に渡って、タイバーンを辿る道をご紹介しました。普通のロンドンに飽きた方には、少しは面白かったでしょうか。
 
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