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日志


11月5日

買い物リスト

 
 
Cranchy Oats Cereal
Grapefruits Juice
Chocorate Balck, white
Onion
spinach (スペル正しい?)
Light Brown Soft Sugar
 
うう~、長ったらしくてイライラする。
 
上から
 
クランチオーツシリアル
Gジュース
黒、白チョコ
玉ね
蓮草
中白
 
ね、日本語の方が短くて簡単でしょ。
 
シリアルは別として、
 
これが表意文字の便利さ。とは思わん?
 
 
 
10月29日

異人種婚と遺伝

 
スーパーのレジで支払いをする時、財布を広げると家族写真が出てきます。
 
レジのオバちゃんたちはそういう写真を覗きこんで、娘を見るとBeautifulと言ってくれます。
 
So am I.とか、 I am beautiful, too, ain't I ? と言うとウケます。
 
なぜウケてしまうのでせう?
 
 
 
基本的に、親と同じ形質の子供を作る働きであるけれども、
 
2つの遺伝形質が組み合わさると、それぞれの個体とはまったく異なる新しい遺伝形質が生まれることもあるとか、
 
進化や変異などで形を変えることがあるとか、
 
遺伝とは判っているようで、実は判り難いものだなあ、と常々考えています。
 
親の性質が現れやすいものを優性遺伝と高校生物で習いましたが、
 
わが子らを眺めて、どんな優性遺伝形質があるのかな、と目を凝らして見ていると、
 
「何見てんの?」と娘に嫌がられました。
 
息子もどこかに行ってしまいました。
 
でも、今更確認しないでもいくつかのカテゴリに整理できます。
 
遺伝形質?         娘の場合            息子の場合
髪の毛の色        母                  母方
髪の毛の質        母                  母方
顔の骨格          母               混だけど母方の小顔
目(形、色)        父                   父
眉毛            父                    父
鼻             たぶん父             おそらく父
唇              父                   父
肌の色、感触     母寄りの混             父寄りの混
性格          父寄りの混                母方
学習能力         混                    混 
得意科目         混                    母
運動能力         母                  母方と父との混
身体の骨格      父寄りだが混               母方
身長            混                    母方
脚の長さ          父                    母方
体臭            ?                    母方
声質            母                    母
音感            混                    混
足のカタチ        父                    母
手のカタチ        父                    
異性に好かれる     ?                    父?
納豆            父                    父
 
最後の2つはフライングしました。
 
娘は母が7つ、父が7つで、混が6つ
 
息子は母が13つ、父が6つで、混が4つ
 
「~寄りの混」である場合は2度数えました。
 
こうやって見ると、やはり息子は爺さん、つまり拙の義父に似ているなあ、と思います。
 
性格や学習能力などはBreak Downして詳細に述べるともっと面白いことが判りますけど、まあ、こんな感じでしょう。
 
ここに出ない部分を言えば、眉毛と目との間が狭くて、二人とも精悍な顔つきをしていますが、これは妻方かな。
 
で、このカテゴライズによる傾向性は、混血児の多くに一様に見られるように思われます。
 
日本人のお母さんと白人のお父さんの場合を見てみると、これらと同じような組合せになっている子供たちを多く目にします。
 
例えば、髪の毛の質や色です。顔は白人なのに頭髪は日本人だったりします。
 
これは結構多いなあ、という気がしていますが、気がするだけです。追求されてもお応えできません。
 
皆さんはどう思われるでしょうか。混血児をつくりたいですか?
 
 
 
ランキングで50位未満になったらこのブログは終了します。
 
 
 
10月24日

国際婚の老後

 
ここ数年、このことはよく考えます。
 
考えはじめたきっかけは仕事で日英関係史を調べていた時のこと。
 
当ブログでは何度も既出の元全権公使(1895年~1900年)だったアーネスト・サトウ卿、
 
卿の残した数々の和書簡を眺めるに、その語学力のみらず博物学や文学などの分野でも天才と言わざるを得ないのです。
 
末裔の方々が当ブログにもお立ち寄りいただいているとお聞きしているので、少々表現にも気を使いますが、
 
外交以上に学識者、研究者としての輝かしい成果は、
 
1945年、コロンビア大学教授、国連対日戦後処理次官として現日本国憲法の草案にも関わった英国大使館のサンソム元参事官が、
 
学問の巨人と謳ったほどであります。
 
サトウ卿は生涯独身で通されたと公式文書に載ることがありますが、
 
実際は武田カネさんという方と日本の民法上で言う内縁関係にあり、
 
公使となる以前の長い日本駐在の際には、現法政大学富士見坂の辺りに一軒家を構え、2人のお子様を育てられました。
 
当時の外交法、国際法、国際私法、そして明治民法からなるいくつかの制約を配慮して、武田家は日本に在住し続けましたが、
 
サトウ卿は本国や日英以外の第三国にはご本人一人で外交官として赴任されました。
 
武田家にはそんなサトウ卿からの書簡や贈り物がたくさん届けられています。
 
その書簡は当然「日本語」で書かれていて、ご家族の言語は日本語であったわけです。
 
後年、ご長男は渡米し、ご次男の久吉氏がキューガーデンなどに留学して学位を修めると、
 
ある程度英語が使われる書簡となりましたが、ご母堂カネ様に対しては依然として日本語の草書体の手紙を送られていたのです。
 
サトウ卿が英国外務省を定年退職し、デヴォンシャーで隠遁生活をされているうちも、ご家族との付き合いは書簡で続いていましたが、
 
やがて、サトウ卿に限界が来ます。高齢と共に日本語が書けなくなったのです。
 
70歳前後で出された書簡にそのようなことが書かれていました。
 
「もはや日本語を読み書きすることが大変に辛いので、英語で書かせてくれ」
 
その頃、久吉氏は、既に日本の植物学会、山岳会で最先端の学究者でしたから、英語の読み書きはなどは問題ではありませんでした。
 
ご母堂には翻訳して、お父上サトウ卿の手紙を読んで差し上げていました。
 
しかし、やがて、この手紙にも限界が来ます。
 
サトウ卿は孤独に亡くなりました。
 
家族愛を育みながら、デヴォンシャーの一角で家族に看取られることなく、1929年86歳で逝去。
 
このサトウ卿の生き様を見て、将来の我がことを考えずにおれません。
 
将来とは、「将二来ル」であります。「未ダ来ズ」の未来よりもずっと近くて、確実性の高いことであります。
 
サトウ卿の時代と現代とを比べるとすると、大きな違いはサトウ卿の時代にはなかった航空輸送でしょうか。
 
割と気楽に日英間を往復できるようになりましたが、
 
拠点としての家をどこに持ち、老後はどこで暮らしたいか、ということは、拙にとってかなり差し迫った重要なものになってきました。
 
一回り年上の人々が2年後に定年を迎え、年金局から「アナタの月額年金受給額は~ポンドです」という知らせを受けています。
 
拙もわずか14年後のことになります。いや、それまでに5年延びて19年後になるかもしれない。
 
新西蘭、豪州などは好きな国々であります。英語も通じるし、英国よりも暖かくて魅力だ、と最近までは思っていましたが、
 
よく考えてみると、老化してコミュニケーションが変化するとともに、外国語である英語から得られる情報量にも影響するのです。
 
齢46にして、既にそれを感じます。同年代の英人たちと語っていて、埋めきれないギャップを感じています。
 
今更埋めようとも思いませんし、むしろ日本のものがなんでも心地よく思えてきます。
 
例えば、目が衰えてくれば、耳で憩う時間を作りたいと思います。
 
拙には音楽よりも日本語の語りが何よりも心の平穏を得られるのでありますが、
 
英国には落語はありません。日本語の放送もありません。あっても好きなものを選べるわけではない。
 
今述べていることは、個人の嗜好、能力などに拠ることなので、議論の余地はないのですが、
 
国際婚をしている場合は、配偶者のどらかが避けて通れないことかもしれません。
 
関西と関東との違いでも、こういうことは起こりえることですから、
 
どなたも身近に、共通に感じることではないでしょうか。
 
かつては、英国に暮らしていれば、どんどん英語も上手くなって、英人となんら変わらずに不自由なく暮らせるようになるだろう、
 
と想像していました。 しかし、人間が生きるためには、・・・いや、これは拙に限ったことだけかもしれませんが、
 
輝かしい未来だけではなく、懐かしい過去も必要なんだな、
 
と気付いたのは英国に住み始めて2年ほど経った頃だったと思います。それすらも、ぼんやりとした記憶ではありますが。
 
 
 
10月5日

Stinky Armpit

 
ちょいと暑い日、比翼仕立ての緑の開襟シャツに黒のズボンという出で立ちで出掛けたときのこと、
 
夕方の列車に乗り込むと、やたら汗が出るんですな。
 
暑いとて、ダラダラと汗を流す者は拙以外は皆無で、
 
拙は下着になるようなTシャツも着ていなかったために、
 
そのままシャツに汗が浮いてきました。
 
浮くだけでなく次第にシャツの大半が濡れ、緑のシャツは深緑になってしまいました。
 
その日は朝から体調が悪く、動悸がするような、どうも落ち着かない気分だったので、仕事も最小限に抑えての帰宅の途中でした。
 
で、座るところもなく、ナショナルレイルの中で、汗をかきながらジッと立っていると、
 
少し離れたところに立っている老婦人が拙を気味悪そうに眺めています。
 
たぶん、難癖を付けられるだろうな、と思っていたら、案の定です。
 
「この辺は臭いわね」
 
一緒にいたご主人に話しかけています。
 
「次の駅で降りないかしら。それとも私たちが降りましょうか」
 
「何か誤解があるようですね」
 
拙は汗を流しながら話しかけました。
 
「私は菜食主義者で、しかも耳垢が乾いているんです。あなた方のように湿った耳垢であれば臭うでしょうけど、私の汗は臭わないのです」
 
ご婦人は拙の言う意味を理解出来なかったかったらしく、「臭い、臭い」といいながら、その場から移動しました。
 
「臭いのはこの電車の中だよ。イギリスだよ。日本じゃこんな臭いしないよ」
 
と言うと、車内は爆笑。
 
そして、口々に拙の言うことがバカげていると、腋臭と耳垢との関係を否定していました。
 
すると、一人の紳士が”That's true"と。
 
新聞を広げていた彼はお医者さんらしく、「アポクリン」という言葉を多用しながら、拙に話しかけてきました。
 
「これは医学的な見地ではなく、統計学的に証明されているに過ぎないが、乾系耳垢を持つアジア人の腋臭は臭わないと言われている。但し、ここで私が君の腋臭を確かめる必要はない、・・と思うがね」
 
これで、また車内で爆笑が起こり、彼(拙)と今晩共にして確かめるヒトはいないか、俺もアジア人になりたい・・・などという冗談が渦巻いたのです。
 
果たして、日本人は臭くないということは実証されたのでしょうか?
 
誰からも臭わない、と言われ続けた人生ですが、
 
犬ほどに敏感な臭覚をもってすれば、なんだか意味のない話です。
 
 
 
9月29日

エウロパ

 

ブログランキングを外そうかな、 

ということは何度も考えていますが、 

アクセス元を見るとランキング表からのアクセス数が大半なので、 

やはりこのブログはメディアとして機能しているんだな、と分かります。 

でも、ランキングボタンをクリックして下さるのは来訪者の10%から20%です。 

皆さんなかなか手厳しい。

 

ところで、このランキング区分は日頃からちょっとオカシイと思っています。 

「ランキングのトップページ」に用事があるときは、「要望」の項目に必ずメッセージを残しています。 

「地域情報(ヨーロッパ)を英国ヨーロッパとに分けて欲しい」と・・。

1年以上になりますが、ずっと無視され続けています。

大した理由ではないんですが、

区分の仕方によっては英国は欧州に含まれないからです。 

表題のエウロパとは元来は、神話の話で、クレタ島王妃の名前です。 

端折って言いますと、古代ギリシアのヘロドトスが、

ホメロスの神話の中でゼウスと一緒にドン川以西の欧州中を回ったエウロパに委ねて、

地域名として最初に使い、さらにヨーロッパという言葉に変化したとされています。 

で、ヘロドトスの時代、ブリテン島にはまだ記録に残る歴史は何もなかったのです。

ヘロドトスの描いた世界はせいぜい地中海沿岸です。

 

 

ヘロドトスは各地の戦争を記述したものを「歴史」と名づけたわけですが、

そのカバーする範囲、ヨーロッパにはブリテン島などは含まれていないのです。 

ヘンリ8世以前は欧州のハズレにある小国の島という歴史認識の流れからしても、

現代人の波長も、ファッションも、食事も、いろいろな面で英国と欧州は異なっていて、 

欧州人も「大陸から島への移民は無いよ」と言うヒトも少なくないし、 

英国人も「大陸」と「英国という島」と区別しています。 

「それは極めてコンティネンタルだね」 

「ヨーロピアンでブリティッシュは括れない」 

という表現やニュアンスにはたまに気付かされます。 

レストランでもブリティッシュとヨーロピアンは分けられています。

もちろん、グループ分けで、英国は便宜的に欧州や西ヨーロッパに含まれることがあります。

それはそれで普通のことになっています。だから、大した話ではないんです。 

ただ、ヘロドトスの原義だけでなく、

現代の英国人にも、欧州と英国とはちょっと違うもの、というお話でした。

 

一番判りやすい違いは朝食かな?

コンチネンタル・ブレックファースト ;お茶と珈琲以外は皆冷たい。

と、

イングリッシュ・ブレックファースト ;ソーセージ、ベーコン、目玉焼き、ブラック・プディング、マメ、トーストなどボリュームいっぱい。「英国で一番おいしいもの」という人もいるくらいだけど、脂質が多過ぎ。最近の英人はこんなもん食べないんだけどなあ。B&Bやホテルで出される旅行者メニューですね。一番豪華で美味いと言われる英国式朝食はSimpson's のThe Grand Divanです。料金は20ポンドくらいです。「健康に悪いと言われているけど、ウチは英国式を強調する店ですからね」とはシェフのポール・マディマンの言葉でした。

 

 場末のカフェでも意外に食える英国食であります。 他に食べるものが見つからないと、日に2食摂る日本人旅行者もけっこう居たと記憶しています。それだけ摂れば充分であります。後はビール。でも、食べなれない日本人には、お通じに影響が出るので、一緒に食べるパンは白パンではなく、ファイバーの多い全粒粉(Wholemeal)をお勧めします。

 

 

9月23日

有名の意味

 

昨日紹介したリチャード・ハモンドは回復傾向にある、ということです。

Intactという言葉を使っているんですが、これは概念的に日本語にはないので、訳し難いことばです。

ただ、この表現では死に至ることはない、と言えるかもしれません。

 

 

意外な話の続きで、ひとつ、

タレントのタモリ氏とモンティ・パイソンとの関係。

まず、モンティ・パイソンとは・・・、と語ろうと思いましたが、以下のURLの方が判り易いでしょう。 

いえ、手間を省いただけですが。

 

http://python-airways.cside.com/beginner/menu.htm

 

で、タモリ氏ですが、日本では知らない人はいないわけですが、英国では全く無名です。

タモリ氏のデビューは1976年ごろ、東京12チャンネルで放映されたモンティ・パイソンの枠内でした。

その状況は、スタジオに集まった視聴者とプレゼンターとが、モンティ・パイソンを見て、それを批評するものでした。

さらに局独自のパフォーマンスもあって、その中でタモリ氏が「イグアナ芸」などを見せていました。これが彼の全国区デビューです。

 深夜番組でしたが、寝ぼけ眼の拙にも、今でも鮮烈な印象が残っています。

タモリ氏と英国との意外な接点ではないでせうか。

ただ、懐かしさの中に意外性が隠れている、ということだけですけどね。

 

 

ところで、全然関係ない話ですが、今拙宅には超名門パブリックスクールW・カレッジの学生K君が居ます。

彼の両親は日本人で、友人。拙宅では彼のガーディアン(後見人、あるいは里親)をさせていただいております。

W・カレッジがどれほどのものか、というと、日本で言えば開成、筑波、灘、麻布というところでしょうか。

今週末は親元に帰る日なので、日本に実家のある彼は拙宅でくつろいでおります。

息子とテレビゲームをしていましたが、

息子とK君との会話が終始英語であることにガッカリしました。

おめーら、日本語はどーしたん? ← あ、日貧語?

9月21日

意外な話連射

 
昨日、またもやBBCで、とんでもない報道がありました。
 
プロのプレミアリーグに居た中田英寿選手の移籍に関する裏金疑惑がスッパ抜かれたのです。
 
って、皆さん、もうご存知ですね。
 
今日のブログネタにしたろう、と思い、念のため日系メディアを見ると、既に報道されています。
 
中田選手の居たチーム、ボルトンがBBCを告訴する強行姿勢であることはまだ知られていないでせうけど、
 
このトピックスはメディアに任せませう。
 
それにしても、中田選手が引退したことなど知りませんでした。
 
発表当時、拙はフランスのコルシカ島でヴァケイショーンでしたからね。
 
 
 
 
で、本日は意外な話を連射、
 
英国にはバタピーがありません。
 
でも、時々柿の種(煎餅のみ)が売られています。とても辛いです。
 
これに混ぜるために塩分のないピーナツを探していましたが、
 
ないので、自分でナマのピーナツからバタピーを作ることを思いつきました。
 
ピーナツは炒ると香ばしくなりますが、焦げます。
 
おまけにカタチが砕けます。
 
で、オーブンでローストしてみました。
 
これは正解でした。
 
明日から、柿の種(煎餅+バタピー)の生産者になれそうです。
 
日本なら生の南京マメを探す方が大変でしょうから、あえて作り方は書きません。
 
 
 
次の意外な話。
 
英国ではシラスがなかなか入手できません。
 
でも、とうとう見つけました。
 
ちょっと乾いたタイプのものが、中華スーパーで冷凍販売でした。
 
1ポンドで7ポンドでした。
 
すいません・・・、
 
450gで7ポンドでした。
 
嬉しさのあまり、解凍しそのままシラス下ろしにして食べました。
 
でも、その後「食べ方」の案内を見ると、「火に通せ」と書いてあります。
 
先ほど食べたものが拙の体内で暴れださないか、と心配です。
 
と・・・りあえず、大丈夫のようですが、
 
そこで、少しだけ炒ることにしました。
 
炒ると香ばしくなりますが、焦げます。
 
いえ、焦げません。ちゃんと炒りました。
 
ウケを狙っただけです。(意味不明?)
 
でも、とにかくシラス下ろしはンマカッタ。
 
もっと連射できるけど、もう疲れました。
 
ちょっと仕事もするので、また明日、
 
思いつきなので、明日の連射はないと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9月20日

「萌え~」を活用するプレゼンター

 
先日、BBC4テレビで日本の「オタク」についての30分番組が放送されました。
 
オタクの定義、生態、擬似経験などを英国人プレゼンター、ジョナサン・ロスが秋葉原まで脚を運んで紹介するものでした。
 
 
ジョナサン・ロスとは現在では、BBC放送を中心に毎日のテレビやラジオで現れないことのない売れっ子のプレゼンターです。元々は歴史関係のリサーチャーとして放送関係の仕事に携わっていました。そのうち、正確で広範な情報量を駆使し、対象とするものをちょっと小ばかにして、意外な興味を引き出す独特の言葉遣いで、レポーターの役割から巧みに視聴者の心を捉えたことをきっかけに彼の躍進が始まりました。
 
彼の興味は、重箱の隅を突付いて表現を面白がるだけでなく、人間、文化人類学、文化の流れを掴み取ることにもあるようです。話の内容は軽妙ですが、時々、学術的意見さえ小ばかに扱い、本人のウィットの効いた意見を添えて表現するところに、意外な深みを感じさせる面白さもあるだけに、2005年にはOBE(大英帝国勲章オフィサー賞)というディビッド・ベッカムが2003年に授与した勲位と同じものを与えられています。つまり、それだけ国家に対する貢献が認められた人物でもあるわけですが、それほどのもんかいな?という気もします。御歳46歳。(誰かと同じ) 
 
かつて1941年に日本の憲兵に逮捕されたレッドマン氏は、インシュリンの欠かせない身体で、半年間の拘留生活に耐えました。当初、レッドマン氏は元々英紙の掛け持ち特派員だったのですが、日英間が交戦状況へと進むうちに、日本の英国大使館付け広報官としての採用が確定していました。その申請が日本の外務省に受け容れられるかどうか、という矢先に外交職者ではなく、「スパイ的民間人」として逮捕されたのです。もちろん、その半年間レッドマン氏は憲兵から執拗な尋問を受ける毎日でしたが、命を賭けて英国政府に対する忠誠を守りきったという功績を認められて、彼はその後OBEを授与しました。 ベッカムもジョナサン・ロスもそんな凄いのでしょうか。 でも、金一封の入る日本の叙勲とは異なって、英国の叙勲って、メダルという名誉だけなんです。  「同情するなら金をくれ」というのでは、しゃれっ気を重んじるダンディズムにもそぐわないでしょうかね。
 
ともあれ、
 
世界中の文化のトレンドに敏感なジョナサン・ロスが関わると、一見たじろぎそうなものでも、彼は果敢にそれに挑戦します。反論者のいないところで、小さなことを取り上げては、面白、おかしく仕立ててしまいます。 オタク紹介番組では、何か変なことを言ったら投書してやろうと思っていましたが、反論の余地はありませんでした。 あるいは拙が鈍感なだけかもしれません。
 
この番組で印象的だったのは、ジョナサンが対戦ゲームをしながら、「シネ、シネ」と叫んでいる場面と、ある代表的なオタク氏と一緒に合成樹脂で成型された「ミニスカートの腿マクラ」に頭を乗せて「萌え~」とヨダレを垂らしている場面でした。 子沢山であるだけに、家庭でテレビゲームを楽しんでは日本文化を垣間見ているようです。 でも、「萌え」ってどういう意味なんでしょうね。ちょっと調べてみましたが、癒しの感情でもあり、高揚の感情を含むようであり、よく判りませんでした。拙よりもジョナサンの方が分かっている「ニホンゴ」があるとはちょと複雑な気分。
 
実は、拙にとって、ジョナサンの語りは時々凄く難しいのです。その当事者が聞いたら殴りたくなるような信じられん表現もあれば、知らん表現や単語をたくさん使うこともあり、且つテンポが早くて、言い回しが独特なのです。 ジョナサンを見ていて、英語という言語以上に背景文化を知りたい、感じたいと思ってきたのは拙だけではないでしょう。 でも、「もう、ついていけないからいいや」と聞き流すことも、最近は多くなりました。
 
今自分に出来ることをもっと活かしたい、という気持ちの方が、勉強しようという気持ちよりも強いです。
 
9月13日

切干大根とアイコン

 

ブログ「ウニウニ」のウニさんから頂いた切干大根を煮ると、

英国のエドワーディアン建築の中にも日本のニオイが充満した。

煮えたら鍋にスダレを掛けて冷ます。

最近は天気も良いので、家中の窓を開け放せば、

ニオイは次第に拡散していくし、

冷えた切干大根のニオイはそんなに気にならないし、

完全密閉のタッパーなら冷蔵庫内でもあまりニオイは漏れない。

白飯に最高の組合わせである切干大根の煮物。

他にも即席柚子漬物とふりかけも堪能。 →

ありがとう!ウニさん!! これで完璧ベジタリアン食です。

 

持病があっても、たまには飲酒もしたいので、

日本から来た友人に頂いた日本酒を冷酒にして、

冷たい切干大根を肴にチビリチビリ。

家人がいるので、スタディのドアを締め切って、窓は開けておく。

それでも、食べれば家中にニオイは少し漂うらしい。

が、食べている本人には旨さ以外は分からない。でへへ。

 

そして、目の前にはDVD版ALWAYS「三丁目の夕日」

これはおすすめリンクにある「いぎりすの風」を管理する写真家T氏からのご配慮。

英国でも皆々様のご協力の下、

こうして日本を堪能できるとです。

有難かことです。わずか10年前なら考えられなかったことです。

 

 ところで、拙の切干大根の作り方は、極めて単純。

水で戻したら、それをごま油で少しだけ炒める。醤油、昆布だし、砂糖、みりん、酒で煮詰める。基本はそれだけであります。英国でも入手可能な素材、干し椎茸とニンジンの千切りを入れることもあります。切干大根の酢の物も好きですが、飽きの来ない煮物に偏りがちです。中華スーパーで売っていた「百合の花と茎の乾物」が切干大根に似ていたので、水戻しして調理したけど、貴重な醤油資源を無駄にしてしまいましった。

 

 

 

日頃から、英国のアイコン(象徴)に触れる拙ではありますが、

「三丁目の夕日」で見た昭和32~3年の姿には、

日本の失われたアイコンと残存するアイコンとの両方を確認させられました。

もうひとつ、変化するアイコンというのもありますね。 

英国で言えば、グリニッジ天文台が例えに挙げやすいかな。 

17世紀に建てられ、長いこと観測基地として活躍して来たので、誰もが知る英国のアイコンの一つです。 

でも、光害で観測不能になり、今ではもっぱら観光名所であり、博物館です。 

カタチは変わっていないけど、存在意義が変わったということで、変化もしているけど、残存もしている。 

でも、本来の観測基地としてのアイコンは失われてしまった。 

「三丁目の夕日」では、無形のアイコンを感じました。 

東京って、なんであんなに優しい街だったんだろうって・・。

だんだん高くなる東京タワーを見るたびに目頭が熱くなったのはたぶん拙だけ? 

「切干大根」にはカタチがあるけど、

その言葉だけでもイメージを促し、

安心感、幸福感を覚える無形のアイコンでもあるのでした。 

9月9日

永遠のアイドル、ジル・ダンドー

 
1961年生まれで、非業の死を遂げた英国人女性といえば、
 
まず最初に挙げられる人物がダイアナ妃ですが、
 
拙にとって、
 
忘れられないもう一人の人物がジル・ダンドーであります。
 
彼女はBBC放送のクライム・ウォッチという番組のプレゼンターをしていた1999年4月26日に暗殺されたのです。
 
事件の背景はいまだに灰色の部分が多いのですが、終身刑の判決を受けた犯人はいます。
 
でも、本当かなぁと思わされる事実もあるので、マスコミが発表するレベルの情報では何とも言えないような気がします。
 
ジルが殺害された目的や動機そのものが明白ではないことがこの事件の難しさでもあり、世論の注目点でもありますが、
 
そういうことよりもジル自身の求心力の方に興味が湧きます。
 
彼女の人気が出たのは、ニュースアナウンサーを経て、旅行番組のプレゼンを開始した頃からでした。
 
旅行番組に出る彼女は下っ腹が出ていて、典型的な英国人女性の洋ナシ体型
 
「なんだ、普通の英人の女の子じゃん」という感じでした。
 
胸から上の姿が基調となるアナウンサーであった頃には、知的でソツない会話のできるお嬢さんとしてお茶の間の人気モノでしたが、
 
プレゼンターとなると、全身をさらけ出しますから、その人気に影響が出ると感じたのか、「ああ、痩せなくちゃ」と思ったのか、
 
ジルは30歳ごろから食べても痩せるダイエットに取り組んだそうです。
 
90年代前半の彼女はまだふっくらとしていましたが、
 
いつしかスリムになって、スタイリッシュになっていました。
 
BBC以外のメディアの露出も増え、
 
イマイチ冴えなかったお嬢さんも一躍BBCの華とされた頃に、
 
「やはり俺の目に狂いは無かった」
 
と思った男性諸氏も多かったようです。
 
ジルがBBCの朝のニュースのアナをしていた頃、
 
「牧歌さんの奥さんを思い出します」
 
と何度と無く言われたのは褒め言葉なんでしょうかね。
 
言われたのは、ジルのダイエット前だった筈ですけど。
 
白人の体型は、顔の形にあまり影響しないという利点(?)があります。
 
けっこう太っていても、小顔が多いのです。
 
あ、妻は英人の中に入ると華奢に見えるくらいです。(一応知人読者も多いので)
 
確かに、年齢も一緒だし、顔の形も似ているし、ショートカットだし・・・。
 
でも、顔も表情も性格もまったく異なります。
 
去る9月5日、彼女の事件を追及する番組がありました。
 
この記事はその番組をきっかけにして書いています。
 
しかし、番組は犯人の概要を追跡するばかりで、
 
これじゃあ、彼女の死を興味の範囲でしか見ていないじゃん、というイマイチな内容でした。
 
当時の世論では、社会の中にある理不尽を無くそうと躍起になっていた彼女の正義感を邪魔に思う人物がいた、という認識です。
 
ジル・ダンドーと拙父の二人とも命日が同じであることは、拙の印象を深くしています。
 
誰も死にたくはなかっただろうに・・・。
 
永遠の(オジサンの)アイドルでした。
 
 
9月7日

世界よりもだいじなこと

 
刺激的なニュースの続く毎日ですが、
 
デスクを使う仕事の他に行う肉体労働、料理、各種アドミニストレーション関係の作業は、
 
それら自体がとても英国的だと思います。
 
それらの中から忘れてはならないことをこうして書きとめるのは、
 
ときどき愉快で、且つとても便利であります。
 
ところで、
 
昨日、日本の最大注目の話題は、皇位継承権3位のお子が生まれたことに尽きるでしょう。
 
現行法の下でお世継ぎの目処が立ったということは、
 
これでしばらく法律を変える必要が無くなったということで、「ああ、また先延ばしか」というだけでなく、
 
法を変えるという歴史的偉業をし損なって、「ヒヨコのショー」もとい、Chick Showと叫ぶ政治家の顔がちらちら・・・。
 
chick showはこれで2度目の公開?
 
歴史に名を残そうとして残すと、後世には当人の所業からそのことが分かっちゃうですね。
 
生まれて来た本人もその運命に逆らえないんだろうし、
 
逆らえないような教育を受けるだろうし、
 
むしろ、そういう人物の方が歴史の荒波に揉まれて後世で評価された例もあるかな、と。 
 
拙の20代では、「天下を取る」 「歴史に名を残す」 と気張っていた連中は多かったような気がします。
 
でも、皆が一緒になって小さな幸せを分かち合うことの方が面白かったな、と今になって思います。
 
例えば、小さな幸せの一つはおいしい「ご飯」でした。
 
誰かの家に4,5人以上が集まると、拙は皆から「何か作れ」とよく言われました。
 
いえ、頼まれたのではなく、「お前、作れ」という命令のような暗黙の了解があったんです。
 
そのときの思いつきで、その場で作れるものを作っていました。
 
ですから、料理の名前などないんです。
 
後々、「あれは美味かったな」と言い合う程度なんですが、本当に美味いものだったと思います。
 
一度、オーブンのある家で、大量にスペアリブを作りました。
 
肉屋に行くと、それしかなかったからです。
 
美味しい思い出とは小さな幸せの思い出です。
 
今、皆、ある程度偉くなっていますが、きっと天下は取れないだろうし、それどころか、かかあ天下に牛耳られているでせう。
 
そんな彼らは幸せだろうか? 少なくともたまにメイル交換する時の彼らは楽しそうです。君だよ、君。
 
ホントは幸せなんてどうでもいいんですけどね。
 
感じたくないヒトはいないでしょ。
 
 
昨日、卸売り専門のビルディング・マーチャントの処に行って、
 
「有刺鉄線」という英語をド忘れして悔しくなりました。
 
店員は「プリンスが生まれたね。おめでとう」と言ってくれて、
 
それがヒントになりました。
 
「barbed wireという言葉を思い出せていたら、本当にめでたかった」
 
自分のことしか考えていない拙がそこにおりました、とさ。
 
 
以上、世界よりもだいじな話でした。  単にエゴの話か。
 
 
 
 
 
 
9月6日

一日の出来事

 
1週間掛けて、前庭の階段を作り直した。
 
後ろ庭のリンゴの樹を切った。
 
隣家のガレージに面したつる草を伐採し、塀を取り払い、ガレージ面にペンキを塗った。
 
これだけのことをしたら、さらに問題が出てきた。
 
前庭の垣根をトリミングし直さないとならない。
 
リンゴの樹がなくなると、泥棒の通路を作ってやったように見えるので、
 
有刺鉄線をつけようかな、と思うがそれをやるとすこぶる醜い景観になる。
 
ラインの位置を変えたら、洗濯モノを干すのが難しくなった。
 
ペンキを塗ったガレージは美しくなったが、
 
このままではその美観が保てない。
 
来年の今頃から10年間はここをヒトに貸す予定だから、どうすっかな?
 
庭師もいい加減だからなぁ。
 
そうそう、息子のサッカーも始まった。
 
35分ハーフの練習試合で、上位リーグのチームに1対1。
 
敵に1点のチャンスを与えたのは息子だった。
 
いきなり、それはないだろ。
 
 
 
 
 
 
9月4日

GCSEランキング発表

 
かなり端折った言い方をすると、
 
GCSEとは16歳時で受験する英国のアチーブメントテストのことです。
 
娘は15歳ですが、「日本語」1科目だけ一年早く受験させてもらいました。
 
以前、カテゴリの「親バカちゃん」でも紹介させて頂きましたが、
 
来年は科目数が多いことと、日本語を少しでも忘れないうちにやっとこう、
 
ということでの受験でした。
 
結果はA*という最高評価でしたが、半分日本人なので、当たり前っちゃ、当たり前です。
 
来年は残り9科目のすべてでどんな点数を取るかが楽しみです。
 
その結果で、18歳で受験するAレベルの選択科目も決まるわけで、
 
引いては大学の学部選択へと繋がるわけです。
 
今のところ、日本語のモティベーションは高まっていますが、
 
親としては語学以外の専門を意識するように仕向けています。
 
ところで、 
 
GCSEとはGeneral Certificate of Secondary Educationの略語で、
 
義務教育の終了を意味します。 
 
それは学位を取得するgraduateとは異なりますから「卒業」とは言えません。
 
この「卒業」とgraduateとの間にはかなりの温度差を感じるのですが、英和辞書の精度の問題でしょうか。 ね?
 
まあ、そういう言葉はこれだけに限らないし。
 
 
 
さておき、
 
子供達の学校からは大学進学する生徒が大半なので、
 
このGCSEとAレベルは生徒にとっても、学校にとっても大きな意味を持ちます。
 
どちらも全国一斉に行われ、結果は学校ごとのランキングとして発表されます。
 
以下URLは公立の有試験で入学するグラマースクールのランキングだけです。
 
私立のパブリックスクールも混ぜたランキングがどうも見つからない。
 
 
 
 
でも、何か変です。
 
新聞で見るランキングとウェブで見るランキングとが違うのです。
 
よく見ると、
 
AとA*の達成率が高い順であったり、全体の平均が高い順であったり、などなどとランキングの基準が異なっています。
 
我が子らの学校はあるランキングでは100位以内でしたが、然るランキングでは100位から漏れていました。
 
妻の出た学校はどのランキングでも30位以内でした。
 
なんだかよく判りません。
 
古参で名門の誉れ高いイートンやウィンチェスターはどの基準でも上位でしたが、どの基準でもダントツ1位という学校はありませんでした。
 
やっぱ、自分の目で見ないと良い学校という判断は難しいということでしょうか。
 
幽霊好きの拙ならば、「出る」確率の高い学校にしたいなあ、と。
 
そうすると、やはりカレッジと名のつくウェストミンスター、ウィンチェスターなどでしょうか。
 
両校とも最古を争うパブリックスクールの代表です。
 
イートンはウィンチェスターを模して、王室が作った学校ですから、60年ほど新しいものの、15世紀の代物です。
 
訪れると魂の吹き溜まりのようなものを感じるのは拙だけでしょうか
 
ハリポタに使われたクライスト・チャーチは歴代の駐日英国公使や大使数名の出身校ですが、
 
あの古臭さにもゾクゾクします。
 
古さの中には結界が隠されているような気がしてならないのですが、
 
GCSEのランキングでは霊魂のカテゴリは不問であります。
 
 
 
 
 
 
9月1日

美しい言葉との付き合い

 
31日はダイアナ妃の逝去された日でした。
 
9年前当時、神戸の英国人社会に住んでいました。
 
妻の上司の奥さんMinから突然電話が来て、

 
「一体何があったの?BBCワールドニュースで言っていることは本当なの?日本ではどんな報道がされているの?」
 
ローラアシュレイの似合う、いつも泰然自若としていた筈のMinはとても取り乱していました。
 
ダイアナ妃とは親友だったからです。
 
神戸の教会で慰霊会を行った際もMinはさめざめと泣いていました。
 
よくあんなに涙が続くなあ、と不謹慎なことを考えていましたが、
 
拙よりももっと不謹慎な質問をしてくる人物がいました。
 
「あの、読○新聞ですが、日本人として英国妃のお葬式に、今どんなお気持ちで参列されているのでしょうか?」                       
 
「もっと考えを練ってから質問されたら如何ですか? ダイアナ妃が亡くなって喜ぶヒトはあまりいないと思いますけど」
 
そのとき、拙は仕事として参列を誘導していたんですけどね。 
 
 

 
 
 
で、本日の話題、
 
 
これまた、やぶ先生のコメントから思いついた表題です。
 
Swear wordsについて語ったので、今回は美しい言葉や表現について、
 
これでは先生を焦らせることもないでしょう。
 
むしろ、あの人気ブログの読者をさらに増やしたりして。
 
 
 
 
 
で、この表題もまた、思ったよりも難しいんです。
  
有料の原稿では言葉選びに時間を掛けますが、
 
ブログではそうでもありません。
 
その理由は、拙の独壇場であることをはじめに、字数制限がないし、スポンサーもないし、読者層などなども指定されていない。
 
シガラミにも、制約にも気を使う必要がないから、思いついたままのことを書けます。
 
拙の場合、書くことで精神の衛生状態を整えられるという点で、ブログという媒体は魅力なのです。
 
とても嫌な事が起きても、わざわざお披露目して、そのことをいろいろな角度から分析すれば、愚痴にはならないし、どうやって自分の中で消化するべきか、という心の整理も付きます。
 
まず、分析する時には、感情を織り交ぜずに表現します。さらに、客観、否定、悲観、現実、積極(肯定)等々という見方でいろいろやってみると、その中から輝かしい言葉、美しい言葉が出てきたりしないだろうか、と試みたりするんです。
 
現実的な見方というのは、現状打開の場面では基本的な事ですが、これを否定的、悲観的な見方、考え方と区別しないことが多いように見受けます。
 
でも、それは違いますよね。
 
根拠のない楽観性、現実的な思考を避ける安易な気分転換というやり方が目立つし、多いと思うのは拙の気のせいでしょうか?
 
むしろ、そういう思考方法に問題のある人たちは現実を直視していないから、
 
客観性にも欠けるし、分析が出来ていないし、将来への可能性を自ら押し潰しているのでは、見受けることがあるのです。
 
自分の暗闇の部分に正対しただけで、その対処方法が分からずに、怯えて自らの命を絶ってしまう、という説もあるです。
 
一端絶望しても、這い上がる気持ちや、なんとかしようとする気概から湧いてくる言葉こそ、一番美しいのではないか、と思います。
 
根暗とか絶望とかは、人生で何度か経験する大事な感性と思うのです。 
 
それらをバカにしたり、軽く見て「明るく、元気に、胸張って」と最初から言い切ってしまう安易さのほうがよっぽど危ない。
 
事実 ⇒ 混乱 ⇒ 容認 ⇒ 挫折 ⇒ 分析 ⇒ 熟思 ⇒ 解決、整理 ⇒ 再起の手掛かり ⇒ 行動 ⇒ 美しい言動
 
このプロセスはちょっと違うかもしれないけど、だいたいこんな感じで、
 
根暗や絶望を否定するとこの過程が抜けちゃうので、そういうことをすると将来同じことで何度も悩むのでは、と思うのです。
 
その辛い時に鏡を見るように自分と正対するんですから、
 
オメカシするために鏡を見るような楽しさこそありませんが、
 
とことん考えた人間の目に宿る輝きは表情となり、言葉となって現れるのではないかな、と。
 
今のアナタの気持ちを鼓舞する言葉、支える言葉、好きな言葉、・・・そういう言葉が美しいと思うんです。
 
 
 
言葉の技術、英語の美しい言葉と表現について書くつもりでしたが、思いつくままに書いていたらこんなになっちゃいました。
 
今日はこれまで。
 
 
英人の選んだ美しい単語のトップ70を掲載した記事を見つけました。「母ちゃん」って美しい言葉かな?
 
先日、ダイアナ妃の話題で、「たらちねの母を失った子らは・・・」という言葉を使ったら、
 
「え、タランティーノが好きなんですか?」という若者がいました。
 
「神のみぞ知る」と言えば、「『蟹の味噌汁』だなんてふざけないで下さい」と怒った人もいるし・・・、こりゃキリがない。
 
 
 
6月7日

個人の星

 
昨年の日本の自殺者数は、8年連続で3万人を超えたそうです。
 
かつては交通事故死亡者と自殺の数は1万人前後で拮抗していて、
 
それでも多いなあ、と思っていました。 
 
過渡期を見ると、阪神大震災以降に自殺者は急増しています。
 
 
 
自殺を禁じているキリスト教国の英国でも増加傾向ではありますが、日本ほど多くはない。
 
欧州の生命保険会社は、自殺には保険金を払いませんから、そのことも影響しているのかもしれません。
 
10万人当たりの自殺者数は、日本が24名と世界で10位、英国は7.5名と57位。
 
構成比や理由にはそれぞれ特徴があります。
 
日本の場合は、40歳以上が70%を占め、健康、家庭、仕事の問題。
 
英国の場合は、将来を憂えた20代から30代中盤の青年層が最も多く、
 
逆に40代以上は減少しつつあります。
 
居直りの思想や、社会保障制度の違いがそうさせるのでしょうか。
 
因みに英国保険制度(NHS)に掛って、「病因不明」で亡くなる人々の割合は、
 
日本で病因不明のまま亡くなる場合の3倍から5倍の数になると言われています。
 
有料診療に参加せず、英国に住むこと事態が緩慢な自殺と言えるかもしれません。
 
 
 
 
死とは何だろうか、という疑問は7歳の頃に父を失ってからの付き合いです。
 
生についても5歳から同様の疑問を持っています。
 
生きていても、生についての疑問は解けないので、
 
死んでも「生」と「死」、それぞれについての疑問は解けないかもな、と考えたりします。
 
20代のころ、自殺した友人、知人も居て、
 
彼らのお陰で2週間ほどノイローゼ気味になったこともあります。
 
その時は大変でしたが、良い経験をしたと思います。
 
その後、同じような経験をした人たちにもアドバイスできるようなったし、
 
生の取り扱い方にもいろいろあるんだな、と認識のヴァリエーションを広げられたからです。
 
そういう意味では彼らの死も無駄にはなっていない、と。
 
で、回復の取っ掛かりになったのは、斉藤茂太先生の心理療法の本でした。
 
ググればたくさん著書も出てきます。要は心の整理の仕方です。
 
 
 
 
 
 
死を美化する思想や、生そのものは、我々を俗世に取り残されたような気持ちにもさせます。
 
その思想は死を誘うこともあるようです。
 
自殺者は、「きっと、皆は私の死を心に刻むだろう」と謡いますが、
 
実際にはほとんどの人に忘れ去られるのです。
 
 
 
日本の3万以上の個々の人生が、人生の終わりに自殺を選ぶ。
 
大きな夢を抱いて、「巨人の星」になろうとスポコン並みに頑張った数名の友人たちは、
 
小さな幸せに満ちた「個人の星」さえも見上げることなく他界しました。
 
 
 
もう20年以上前の話ですが、
 
亡くなる2日前、会社近くの中華料理屋で、既に存在の消えかかっていた同僚Kは、一人ホイコーロ定食を突付いていました。
 
その翌日からロンドンに出張する予定だった拙は、遅めのランチを掻き込むために、社交場である社食を避けて、たまたま入った中華料理屋にKが居るのを見て、彼の異変を感じ取りました。
 
食事は進んでいないし、目は妙に潤んでいるし、無理に明るく振舞うし・・・。
 
拙は出張から戻ったら、彼と差しで向かおうと考えて、その場をやり過ごしてしまいました。
 
もちろん、それがKとの最後になったわけです。
 
遺書は彼の父親に宛てられ、「先立つ不幸を・・・」という紋切り型の内容だったそうです。
 
誰もが羨む最高学府で修士まで学び、おそらく学究の世界に戻るだろうと、
 
誰からも前途洋々としか見られなかったKですが、
 
彼が自ら命を絶った本当の理由はまだ判らないままです。
 
ただ、明らかなことは、彼は好物のホイコーロの旨ささえ感じなくなっていたことです。
 
拙が向かいの席に座って食べ始めると、Kはほとんど手をつけずに、その場を去りました。
 
ホイコーロの味は彼個人が感じる小さな幸せだった筈です。
 
それが感じないことを確認して、野望も幸せも放棄することに決めたのではないだろうか、
 
などと思うのでありました。
 
あまり思い出したくない過去でありますが、
 
彼の死の本当の意味はまだ判らないままであります。
 
 
Kの亡くなった6月7日に黙祷。
6月3日

ふぞろいの・・・

 
昔話をすると同世代や近世代のブロガーたちの受けが良いし、
 
その種の昔話を拙独自の価値観で語るのは面白いと気づいた。
 
過去を振り返るだけでは面白くないが、
 
過去の事実を源流に、これまでの経過や現在との関係を語ることは、
 
スポット的な歴史の描出にも関わることである。
 
懐かしさばかりを強調するのでなく、
 
そこから何を学んで、何を失って、どういう人生になった、
 
ということが伝わってくると語り合いも楽しい。
 
拙は1985年以前の日本文化であれば、遡ることが出来る。
 
だから、悪ニャン子クラブなどと言われても判らないのだ。
 
「私達はウマシカじゃない」と声を合わせる女子大生ビームというのも判らないのだ。
 
って、けっこう知っているじゃん。 でも、語る価値はあるか?(反語)
 
 
 
 
最後に見たドラマが83年の「ふぞろいの林檎たち」だった。
 
ドラマの設定が自分の年代や状況とダブっていただけでなく、
 
当時のファッション性からか、出演者のT氏に似ていると何度か言われ、
 
気をよくして良いものやら、なにやら・・という気分を味わっていた。
 
当時の拙は過激な行動、挑発的な発言をするタイプと思われていたらしく、
 
ドラマの中のT氏のキャラまで被(かぶ)って見られていたようだ。
 
本人に言わせれば、あれほど背は高くないし、
 
髪型と唇の厚さが似ているだけじゃん、てなもんだった。
 
それに拙は某予備校で「先生」と呼ばれ、人気商売をしていたので、
 
アウトロー的なキャラに似ていると言われるのはいささか心外だった。
 
 
 
ともあれ、 
 
このドラマは85年以降にも何度かシリーズで続いたが、
 
実際の脚本は違う人物が書いたと聞いているし、
 
初回作品である83年の10回シリーズの内容ほどではなかった、とは友人と一致した評価。
 
85年以降の新作品のビデオを送ってもらったのだが、
 
初回作とは、あまりにもかけ離れた雰囲気と内容であったために見るに忍びなく、
 
上書きしてしまった、と思う。
 
演ずるのは同じ俳優たちなのにね。
 
しかも、あの俳優たちは今や「ふぞろい」どころか、ほとんどがメジャーを維持したままではないか?
 
まあ、それはむしろ喜ばしい。
 
 
 
 
近頃、83年のこのドラマをもう一度見たいと思う。
 
その時に気づかなかったことが今になって気づくかも、  とか、
 
その時に考えていたことにもう一度触れたら、懐かしさよりも、
 
むしろ新鮮なものもあるのではないか、などと期待している。
 
DVDで販売されているので、欲しければ買えば良いだけの話だが、
 
見てもガッカリするだけの予感もある。
 
日本に居れば、レンタルでも何でも安くつくけど、
 
ここは英国、
 
とりあえず、もっと実情に合った、実際に必要なものを買おう。
 
老朽化して「ふぞろい」になりつつある木製フェンスを補修しなければならないので、
 
DIYの店に行って、ボルト&ナット適宜、木ねじ200本、添え木60m分で 
 
概算120ポンド(約2万4千円)である。
 
DIYの方がDVD以上にプライオリティなのである。
 
 
 
「送って」とは頼まないけど、応援クリックして欲しいのである。http://blog.with2.net/link.php?29834

 

 


 
 
5月30日

対抗文化

 

中学、高校で学習する四大文明とは、 

そのカテゴライズの仕方がイマイチおかしいことを 

ご存知の方も増えていると思います。

 

でも、まあとりあえず、学校で教わったことを基に話してみませう。 

文明の発祥地を遡って、発祥から現代までの経過を、 

横一列に並ばせようとしても、これがなかなか並列にはならない。

 

なるわきゃない一つの理由は、起源や事象にずれがあるから。

ある事象が他の文化圏に派生、影響するまでには時間差があるです。

地域文化には必ず距離があるから、時間と距離は切っても切れない間柄。

その時間差が熟成の期間となり、異なる文化圏をつくることもある。

ある文化と然る文化とが接触するとき、何が起きるか。

 

ちょと乱暴ですが、4つのフェイズで考えられます。

 

融合 → 競合 → 淘汰 → 同化

 

外交 → 敬意 → 受容 → 同化

 

羨望 → 敵意 → 略奪 → 同化

 

刺激 → 反発と受容 → 同化 → 変質(創造)

 

2つの国の力関係によって、だいたい上のような現象が緩やかに進められまする。

誰が決めた手続きでもなく、

歴史事実を眺め、編年体に辿られた歴史ものを読んでいると、

こんなことがなんとなく判るです。

そして、この4つのパターンは並行して同時に起こることもありうる。

 

いや、むしろそれが普通かもしれない。

 

大化の改新以後の日本とは、中国の対抗文化の元に成り立ちます。

唐や明から学び、且つ反発し、日本独自のものを創り上げようとしたことが、

その後の日本の歴史の柱になります。

そして、日本は独自の価値観を作り出し、現代の日本国民ですら十分に理解しえない深遠な文明社会を築いた。

こうなると日本文化は中国文化の対抗文化という段階を脱するわけなんで、

 

アジア文化圏を代表する2つの文明と言っちゃおう。

 

ノルマンディ以降の英国文化とはローマ・ギリシア圏文化の対抗文化とも言える。

もっと遡れば、ローマはギリシアを対抗文化にした。

 

で、時代を進めると、アメリカという国は英国を初めとするヨーロッパ文化の対抗文化として生まれた。

今でもそうだ。 歴史を否定するでしょ。

「そんなことは止めて、新しいやり方をすればいいじゃん」

という態度を取る。

「でもね、ウチには歴史や伝統があるですよ。変えられない事情があるですよ」

と古い国が言うと、アメリカは民主主義を大儀に狼藉を働く。

実際に、いくつの国で暴れた? 太平洋、朝鮮、ベトナム、湾岸、・・・・・

アメリカ自身のその歴史は、英国から独立戦争以来だから200年ちょいですか。

 

アメリカが歴史を否定する姿勢はまだ終わっていないわけです。

 

 

 

文化面で言えば、欧州や歴史ある国々への憧れから、

世界中の骨董がもっともたくさん集まるのがニューヨーク。

歴史を持たない彼らが世界中の歴史のものを買い漁る。

かつて、世界で一番骨董の集まる街と言われたロンドンは流失元になってしまって久しい。

手薄になったから、付加価値をつけることで、意外な掘り出し物が23年だけブームになる。

好例はスージー・クーパーとか、ミントンとか、ムアクロフトとかとかとか・・・。

 

みんな、商売上手いよなあ。

 

 

 

つまり、アメリカによる歴史の否定が、主に政治面、経済面でのことであっても、

現在と未来だけが重要であり、過去は捨ててもいいものだと信じ込んできた彼らは、

戦後になってから何かに気づき始めている。

それは内包した矛盾を整理しきれなくなった国家主義という枠組みと、

民主主義の限界そのものなんだろうな。

 

 

ここのところ、アジアの反日感情を眺めていて思うのは、

日本が経済、文化面で卓越しているという世界的な認識の下、

諸国の羨望は、日本に対する敵意へと変化している、ということ。

そして、現在では「日本から搾取してやれ」という略奪の段階に入ったのではないか、という気がしているです。

それはかつて、納税すれども自治権利のなかった英国領北アメリカの住民が英国政府に反旗を翻して出来上がった国と、

現在の反日文化圏の認識には、同じ構造が働いていると言えないでしょうか。

 

つまり、かつては師の国々であったアジア諸国が、今では日本を対抗文化として認識していることで、

これからのプロセスが測れるのかもしれない、ということ。

 

こういう見方をすれば、この時代に我々が何を考え、何をなすべきか、ということが見えてくる筈なんだが、人類はまだそこまで賢くないのか、既得権や楽チンな考え方に盲従していることに気づかないのか・・・。

 

だけど、これはぜーんぶ拙の妄想です。事実と事実をつなげた妄想。

 

異論、反論はご自由に。応援もヨロシクです。http://blog.with2.net/link.php?29834

5月27日

戦争と自分との関係

 
日本に居る老いた母と電話で話すと歳時記や昔話が中心になります。
 
この季節の一番印象的な思い出と言えば、
 
11歳で生まれて初めて行った母の勤め先。
 
そこは巨大な工場でした。
 
母はそこで福利系の仕事に従事する技術者でした。
 
ヒマそうにしている親切なおじさんが、仕事中の母に代わって、構内の案内を買って出てくれました。
 
今にして思えば、あのオジサンは定年間近、あるいは嘱託だったんではないか、と思います。
 
野球場が何面も取れそうな、だだっ広い、白いヤードの中には、黒い幌を被った無数の塊が見渡せます。
 
 
「見てご覧、これ」と言われて、めくった幌の下から露にされたクロガネは陽に照らされて、
 
眩しいほどの黒光り、それはとても冷たく、重たいものに感じられました。
 
そして、地平線の向こうまで並んでいるように見えた無数のそれらが、
 
すべて重戦車であることが判ると、目が眩み、何も考えられなくなりました。
 
そして、おそるおそる質問をしてみたんです。
 
「これはまさかベトナムに?」
 
おじさんは、にっこりと頷いていました。
 
世の中には、戦争で殺される人間と、生かされる人間とが居るんだと知った瞬間でした。
 
その後、家に戻っても吐き気がして、気分の悪いままでした。
 
学年で6つ離れた兄の影響で、アメリカ版ライフの写真を眺めて、
 
ベトナム戦争の悲惨さを知っていたからだと思います。
 
戦車を見たときはなにも判りませんでしたが、
 
今にして思えば、
 
その戦車は、翌年の72年に北爆が再開されるために準備されたものだったんです。
 
手を触れると戦車はひんやりしていました。
 
手の平で叩いてもペチペチとしか音はしません。
 
地雷にも耐える装甲は、厚さが何センチあるとか、
 
ヤスリで削っても、ヤスリが壊れる鋼鉄だとか、そんな話を聞いたような・・・。
 
そんなことよりも、自分がヴェトナム戦争に食わせてもらっているような気分は最低でした。
 
その企業には、当時10万人以上の従業員が居ました。
 
財閥ですから、関連企業を含めるともっとたくさんになるでしょう。
 
その家族を含めるとさらに数字は膨れます。
 
日本はベトナム戦争のお陰で豊かになっているんだ、と実感するには、拙はちょと幼すぎたと思います。
 
以来、戦争のことを自分で調べるようになったんですが、戦争関係資料や読み物というのは、大日本帝国軍の戦記ばかりなんですね。
 
当時、ベトナム戦争や朝鮮戦争について調べようと思っても、まともな記事や読み物は子供の手に負えませんでした。
 
正義感の強い子ならば、戦争のない世界を作りたい、と考えるのでしょうが、
 
拙の場合は人間のプリミティブな内面が心配になりました。
 
何故人間は戦争をするのだろうか、という疑問に応えてくれたのは歴史の学習です。
 
でも、応えるだけであって、正答というものはありません。
 
歴史とは正に「戦争の歴史」そのものです。
 
一番最初の戦争って、何なんだったんでしょうね。
 
拙の想像では、たぶん、食い扶持の争い。 「おめーなんかにやんねえよ」という世界。
 
今の我々には共有し、分け与える理性と知性を有する、と言う人がいたら、その方には南国リゾートの外を歩くことをお勧めします。
 
帰国までに命が持ったら、それは幸運でしょう。
 
腕っ節のある拙でも、GDPのかなり低い国々では3回ほど危ない目に遭ったことがあるです。(3回もかよ)
 
当時、過信は無かったか、と反省したものですが、間違いなくありましたね。
 
「与えに行く」という気持ちを拭えないNGO職員にも遭遇したこともありますが、
 
ある傲慢な旅行者は現地で袋叩きに遭い、殺されました。
 
襲う側は、まず、富める者からモノを貰うのは当然と考えるんです。
 
だから、貰えないと判ると「じゃあ、貰うよ」と刺すわけです。
 
これも戦争の原初的構造だな。
 
 
英国のように取るだけ取って、引き上げて何十年もしてから、ボランティアや国際援助で、少しずつ還元するのが賢明かもしれません。今の救援のほとんどが帝国主義の尻拭いだ、とは言い過ぎでしょうか。
 
うーん、最近社会派ブログ?
 

 

 


 
 
5月24日

恥ずかしいのねん

 
Great Britainの邦訳は大英帝国ですが、
 
なんと起源が1707年だったって、ご存知?
 
まだ大航海時代の真っ最中で、英国が制海権を握るずっと以前、
 
しかも、イングランドとスコットランドという日本よりも小さな国が統合した時に使われた名前です。
 
 
 
昔、と言っても25年ほど前のこと、
 
しっとりと、ゆったりと、明治神宮辺りを歩いていると、
 
年配のお上りさんおご一行から、「大東京」という言葉がたくさん聞かれるんですな。
 
いつから東京に「大」がつくことになったのか。
 
「大江戸走査網」という時代劇もあったくらいだから、「大」を付けるのは格好いいシンボルだったのかな。
 
そう言えば、大阪は元々「大」がついているから、丁寧語にしてもう一つ「御」を付けると、
 
「御大大阪(おおおおおおおさか)」になってしまう。
 
 
 
 
 
「おおえど」と言うと有機的で、寿司を食いたくなるですが、
 
「だいとうきゃう」と言うと半有機的で、鼻毛の長さが気になるほど
 
大気汚染されている気がします。
 
「大東京」と書くと、無機的で感情も欠如した学徒出陣の気分になります。
 
我々の使う「ひゃうじゅんご」とは、何かを忘れているのか、欠如しているのか・・・。
 
では、いっそのこと、大TOKIOでは?
 
ジャニーズの次世代でせうか?
 
 
 
 
出来すぎの話はBig Ben。
 
Benは邦訳してもベンだけど、Bigを付けると「大きなベン」
 
ちなみにVictoria駅前にはノヴァじゃなくて、Little Benがあります。
 
このブログの初めごろに記述した記憶があります。
 
邦訳は各自で・・・。でも、小ベンなどと声に出して言わないように。
 
 
 
で、その大英帝国に文字った、というわけでもないんでしょうが、
 
英国を師と仰ぐ国々や、敵視する国々が、
 
似たような名前を付けたがった時代があるです。
 
一番身近なのが、明治22年に発足した「大日本帝國」
 
でも、英名にするとGreat Japanとは言わないで、
 
The Empire of Japan
 
何か違うじゃん。変じゃん。
 
昭和20年9月を最後に「大日本帝國」は消滅しましたが、
 
約半世紀の間、日本は自からを大日本と名乗っていたんですね。
 
なんだか恥ずかしくない?
 
「大牧歌、大本塁打を大ハイド・パークで盛大に大打ち」
 
やっぱ、大恥ずかしい。
 
GBRという大文字3レターを見るたびに思うことでした。
 
 
 
 
 
 
 
5月20日

努力

 

「嫌いな言葉は努力です」

 

野球選手だった江皮卓氏が言ったとき、

 

「あ、同じことを言う人がいた」

 

 

かねてから、その行為と意味の両方がおかしいとさえ思いました。

 

拙の場合は、「つい努力してしまうから嫌い」でもあるわけで、

 

「私一生懸命に努力したのよ」と押し付けられるのも苦痛なわけで、

 

無駄だと判っているのに、「努力する」のは嫌なわけで、

 

「努力に勝る才能無し」なんて絶対に思わないわけで、

 

必ずなんらかのカタチで報われる、とはやはり思わないのです。

 

経験則や歴史から何も学ぶことのない人たちが、

不毛に継続する目的行為、自慰的行為である可能性もあるわけです。

 

簡単に言うと、無駄な努力。略して無努。…駄力。 どっちも駄目だな。

 

英語の努力にはeffortendeavour2つがあります。

 

make an effortで「努力する」「骨を折る」なんて習いましたな。

 

make my endeavours 「全力を尽くす」なんてのもあるように、

 

両者の使い方が異なります。

 

宇宙船の名前にもendeavourが使われていましたね。

 

あれは英語の「努力」の違いがよく判る用例です。

 

Effortは個人レベルで使う言葉、

 

かたや、endeavourはチーム全体がひとつの目的に向かっていく感じ。

 

英語の場合、try = make an effortって感じですかね。

 

試すんだったら、数回試みてもいいけど、何度かやってみたら「別のこと」をするわけですね。

 

そうすると、tryは工夫に繋がります。

 

これが英語の「努力」の先にあるもの。

 

Endeavourは知の結集みたいなものですから、こちらはアイディアの宝庫です。

 

つまり、この「努力」も工夫に繋がります。

 

そんなわけで、単調な繰り返しでも耐えて続けてしまう思考停止型の「努力」とendeavoureffortの意味は少し違うのです。・・・いや、まったく違うね。

 

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