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日志


9月29日

潜入!英国外務省

 
行って来ました。ホワイトホール。
 
 

 
 
ホントは潜入ではありません。そんなスパイみたいなこと、出来るわきゃない。
 
拙が中に入るのはこれで5,6回目かな?
 
なんで入ったのかは聞かないで下さい。
 
まあ、別に楽しいところではありません。
 
至るところにテロ対策が講じられ、
 
その反面、
 
歴史の長さが感じられ、
 
こういう事務所はさぞ使い勝手が悪いだろうなあ、
 
というのが、率直な感想。

 
 
 
 
建物の歴史は200年以上前に遡ります。
 
同じ部屋で、150年前に、
 
駐日公使となったオルコックやパークスが上司と喧々諤々と議論したんでそうなあ。
 
この両名は日本史の教科書にも出てきますね。
 
でもね、最初の英国全権代表ってのは、オルコックじゃなかとです。
 
日英修好通商条約を1858年に批准しに来たエルギン卿という外交官がいました。
 
エルギンズ・マーブルって、大英博物館に行くと、必ず聞きます。
 
入って、ちょっと奥に行って左側です。
 
あのエルギンは初代全権代表エルギンのお父さんで、梅毒でお亡くなりです。
 
このエルギンのお陰で英国とギリシアはここ30年来喧々諤々(ケンケンガクガク)です。
 
「そのギリシア彫刻、パルテノンに返せよ」
 
「ダメだよ。そこに返しても雨風でダメにしちゃうから」
 
方や国家の威信、此方世界遺産的価値観てなわけです。
 
エルギンの父ちゃんも外交官だったんですが、こんなものを勝手に持って来ちゃったなんて、凄いじゃありませんか。
 
日本から法隆寺を運んでしまうくらいの暴挙ですよ。
 
当時のギリシア人は何を考えていたんでしょうね。19世紀始めの話です。
 
えーと、話がかなり脱線しました。
 
でもね、
 
外務省内の写真を撮ってきたものの、
 
 
 

 
拙の撮った写真の区域は外務省のパンフやウェブにも掲載さ
れているところですので、安全や警備の問題には触れません。
 
 
説明する資料を探すのが大変なことに気づいたんです。
 
 
 
今、忙しくて片道1時間半掛けて、公文書館に行く時間も、そのつもりもありません。
 
でも、いつか行くかもしれないから応援して下さい。http://blog.with2.net/link.php/29834
8月6日

にわっ!

 

庭です。

 

王室園芸協会

 

Royal Horticultural Society

 

が研究管理します。

 

 

 

 サリー州にあるWisley Garden

 

上は研究所です。

 

ここは一年中花々が咲き乱れています。

 

 

 

 この蓮池。

 

45種類の蓮が植えられています。

 

 

 

 

 蓮池を手入れする職人たち。

 

「蓮根はどうなっているの?」

 

と聞いたら、what?という応え(?)

 

彼らは美しく花を咲かせる必要はあっても、

 

蓮根の旨さまでは知らないようです。

 

うーん、45種のレンコンとはどんな味か?

 

 

 

 彼らが身に付けているのは、

 

Royal Horticulutural Societyのシャツ。

 

「王室園芸協会」

 

皆、ボランティアです。

 

でも、威張っています。

 

日本でも英国でもボランティアのヒトって威張っているヒト多いですね。

 

何か勘違いしていませんかね。 

 

 

 

途中でカメラの電池切れ。

 

↑はモニター用の栽培所です。

 

他にも現代風の日本庭園とか、

 

ハーブ・ガーデンが満載です。

 

日本庭園では、

 

京都の竜安寺よろしく、

 

海流を表す砂利の紋様が施されていましたが、

 

あるオジイサンが、

 

ジャリジャリと踏みつけて、

 

海流の流れを変えていました。

 

いや、

 

彼の奥さんの撮影位置を確かめていました。

 

"Hello, Sir. You should recognize YOU have spoiled the design on the gravels"

 

「もしもし、貴方は砂利の紋様をダメにしていますよ」

 

と咄嗟に言ってしまいました。

 

その紳士の言い訳は、

 

"Oh, sorry. But I did not realize it coz it was not more beatiful than Kyoto's" 

 

「いやー、京都のほど綺麗ではなかったので、気付かなかったよ」

 

腐っても紳士か?ん??

 

所詮禅ガーデンなんてこんなものよ。

 

禅庭と言え、禅庭と、・・・と言いたい。

 

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7月14日

イギリスに熊?

 
居たそうです。
 
でも、どんな熊であったかという文献や資料はないんだよなあ。
 

 
 
 
 
この木はその「証人」です。
 
これは樹齢千年を軽く超える樫の木。
 
もはや木の形をしていませんな。
 
この樫の木が大きく茂っていた頃、イングランド最後の熊が捕獲されたんです。 
 
 
 
その古さゆえに信憑性もあろうというもの。
 
この場所はかなり有名なところ、
 
Penshurst Placeの裏手。
 
 

 
 
 
 
中世のマナー・ハウスが起源、
 
最初の所有者は13世紀にまでさかのぼります。
 
 
4度もロンドン市長に選出された所有者もいました。その人物はロンドンから1日で来られる距離で、狩ができのんびりできるところを求めて、この場所を選んだそうです。
 
1552年よりシドニー家(Sidney family)が所有し、今日に至っています。
 
現在の所有者は、フィリップ・シドニー氏で、その父親のウィリアム氏は1960年から1965年まで英国人として最後のオーストラリア提督を務めた人物です。第二次大戦中、ちょっと荒廃していましたが、戦後に館や庭園を復興したのは、ウィリアム氏です。
 
などと、ガイドのようなつまらぬ説明をするつもりはなかったのですが、
 
この木がどこにあるのかをお知らせするには、
 
こういう由緒正しい場所が目印になるかと。
 
熊がここで捕獲されたのが、だいたい12世紀ごろですから、このペンズハーストの歴史の始まりとは、熊が棲めないほど進行した英国の環境破壊の象徴でもあるわけです。
 
でも、まだ牛やウサギは多く、
 
牛に至っては、cowpatという臭いものをこうして散乱させます。
 
 
 

 
すいません。
 
また、英国に対する皆さんの夢を壊したでしょうか。
 
でもね、夢を持つのも勝手、壊すのも勝手です。
 
夢を持ち続けたいヒトは自由に持ち続けまそ。
 
拙も自由に事実と自分の考えをお伝えします。
 
あんまり夢を持ち続けるとそれは幻想になりゃしませんか、と心配です。いや、ホントは心配しないんだけどね。
 
 
因みに、拙はこの近辺の散歩が好きです。カルスト地形なのでアップダウンも激しく、歩くには大変ですが、絶景が多い典型的なケントの地形です。
 
ペンズハーストには、日本から友人が来るたびに何度となく来ていた時期があるので、もう20回ほど内側にも触れたことがあります。でも、もっと面白いのはこういう周囲の散歩です。森の並木の中を馬車が走る光景をイメージできるマーティン・ストリートという1マイル弱の芝目の10m幅の通りがあります。歩いていると、すぐそこに200年前のシドニー家の人々が散歩をして、木の陰から出てきそうな雰囲気です。
 
 
 

 
山手にはグリーンピースの畑も。新鮮で旨そうな豆です。
 
グリンピースはこの近所のファームショップで買って帰りました。
 
近いうちにグリンピースご飯を・・・。
 
 
こうしていると、本当にテロなど起こったのだろうか、という気分になります。
 
久々の田舎の散歩でした。応援クリックどうぞ宜しく。http://blog.with2.net/link.php/29834
 
 
 
 
 
7月2日

ローマンヴィラ

 
ケント州、サセックス州というイングランド南部を散歩していて、「ここはローマンヴィラの古墳があったところです」なんてな掲示を見つけたりするんですが、その汚い板切れ以外には何も無いところも多いんですな。
 
ロンドンでもローマンヴィラの名残は地下鉄タワー・ヒルで見ることが出来ます。でも、このローマ人たちはテムズを遡って来た人たち。
 
 
で、大概が小川沿いにあって、その川を船に乗って遡って来たというからにはローマ時代にはかなりの水量があったと想像します。でも、現代は小川になっていて、周囲を見回すと微妙に河岸段丘になっていたりします。ああ、やはり川幅が狭まったんだな、と。
 
 
川幅が狭まったのは、英国の土地が手付かずの自然じゃないことに関係しています。イングランドはかつてブナとナラなどの野性の広葉樹林に覆われていた緑豊かな島でしたが、燃料にするために全部切り倒すと、食にも生産にも燃料にも困って、大航海時代に入ったということはよく知られたことです。ゲルマン民族の第二の大移動という学者もいるくらいです。
 
 
ケント州にはLullingstoneというローマンヴィラの遺跡があるんですが、ここも小川沿いです。ローマ時代にはこの川幅は現在の4,5mに対して、その10倍以上あったそうです。つまり、2,30名乗りの古代船が遡上できるくらいの水深を持った水量です。
 
 
川は鬱蒼とした森の中を進んだことでしょう。そういう広葉樹林が川幅を広く保たせ、イングランドの土地を肥えさせていたんです。
 
 
で、そのローマン遺跡のなかには貝塚がありました。ローマ人が食べた貝殻の跡です。原形をとどめていないのが殆どですが、巨大な牡蠣の貝殻が見えます。
 
 
これには興奮しました。
 
 
だって、英国の南の海岸で牡蠣が取れたってコトでしょ。Brighton辺りからLullingstoneまで遡上してもたった100キロです。この砦でローマ軍人たちが輸送されてきた活きた貝を食していたのに他なりません。
 
 
たぶん、Dover Oysterなんてものがあったんです。
 
 
現代の海岸線を見ると想像も付きませんが、英国にも適度な流量の川があって森林がそれを守り、海岸には森林の栄養素が溶けて流れ込むために育った牡蠣が豊富だった、ということです。でも、今Brightonなど英国の南海岸に行くとなんて不毛なんだろう、と・・・。
 
 
なんか、人類やばくない?
 
 
英国の赤レンガの家ってのも当たり前に思われているけど、アレだって建材となる木材が不足したことと漆喰となる土が不足したから木造の家が造れなくなった、ということでしょ。
 
 
義理の弟の家は1600年築の関が原時代のコテッジですが、やはり木造の漆喰です。レンガなどを使う筈もなく、修繕費は大変だそうです。天井が低くて困ります。背の低い英人の彼らはあまり不便に思っていないようですが、当時のヒトたちの背丈もそんなもんだったのかな。
 
 
そんな具合で、拙がローマンヴィラを見るとこれだけのことを・・・・、いやもっと妄想しています。こういう妄想が社会科学を発展させるのだそうです。
 
拙の妄想に付き合ってくれる人はクリックしてくだされ。http://blog.with2.net/link.php/29834
 
 
 
 
5月3日

汚染された散歩

 

うー、日本はまだ連休なのか。

 

最近は散歩ネタばかりですが、

 

英国の郊外がそれほど良い、ということが伝わればいいな、と。

 

一枚目の写真は散歩の入口となるパブ兼レストラン、THE WIRE MILL INNに通じる看板。

パティオから湖に臨む景色はこんな感じです。夏になれば、Water Skiのメッカになるそうです。拙は喧しいのが苦手なので、夏は来ないだろうなあ。スキーや釣りをしたい人は、ここをクリックしてみて下さい。行き方も書いてあります。

歩き初めて程なくして、フィールドに一台の巨大なトラクターが大きなブレードを引っ張りながら走って来ました。運転しているヒトはパブリック・フットパスを歩いている我々に迷惑そうな視線を投げ掛けて通り過ぎました。

 

 

ご覧のようにホコリが舞っているように見えますが、これは化学肥料の散布だそうです。この緑を牛が食べるんです。最初は農薬ではないかな、と心配になりましたが、農薬であれば、すぐに体調に異変を来たすとか、臭いで判るそうです。でも、なんだか嫌なので、帰宅してすぐにシャワーを浴びました。

コイツがこれから上の芝草を食べるCow様です。朝採取されたばかりの筈なのに、結構お乳が張っていました。芝草を握って口元に運んでやると、我も我も、と寄って来ました。確かに牧場内の芝草は殆ど食べ尽くされていました。

馬のフィールドは牛の牧場よりもさらに緑が少なかったんですが、それは乗馬のせいかなあ。

 

↓土の様子がもっとヒドイのは豚の囲いの中。コイツラは根っこまで食っちゃうんですね。リンゴ一個を上げると、「ガシュ、ガシュ」と音を立てて食べていました。この白豚嬢は、最初寝ていましたが、我々に気付くとゆっくりと近づいて来ました。こんなに馴れ馴れしいのは珍しいと思います。リンゴを食べた後に、額の辺りに触れると「フガッ」と大きな声を出して拙の手をかじろうとしました。そういえば、昨日はポーク・ピカタを食べたが・・・。

 

後から案内板を見て、気付いたのですが、餌をあげてはイケナイそうです。オーガニック豚なので、自然食を食べさせているんですな。拙のあげたリンゴはスーパーで袋詰めになった普通のリンゴでした。農家に見つかったら叱られるだけじゃ済まないかも。0.00001%ほどこの豚はオーガニックではなくなってしまったので、それは拙のせいにされてしまうかもしれません。そう考えてみれば、人間はことごとくオーガニックから程遠い動物になってしまったような気がします。マスプロ化が進まないと、自然食品自体が高価なままなので、人間はなかなかオーガニックな健康体にはなりきれんでしょう。

野に跳ねるウサギも同様です。乾燥した畑の近くにこうして巣穴を掘って、暮らしていますが、彼らの口にする雑草や穀類はすべて化学肥料で育ち、散布された農薬が掛かっています。

 

ウサギはこうした穴を無数に掘り、大邸宅並みの部屋数を持っているらしいです。

 

ウサギの近影はなかなか叶いませんな。↓ 2匹見えますか?

 

 

牧地の間に、長さ200m幅50mくらいの妙な敷地がありました。下のようにThe Communist Workers Party USSR(共産主義労働者団体 ソヴィエト連邦)と書かれています。

裏側に行くと、Trespassing Uncle Sam Closed (アンクル・サムの通行は禁止)と書かれています。アンクル・サムは元々USを示す隠語です。隠語とは言い難いかもしれませんが、直接にアメリカ人と指摘することを避ける時に使われることがあります。

アンクルサムは架空の人物ですが、星条旗を持った髭のオジイサンの銅像を見たことのあるヒトは多いでしょう。彼は実在の人物ではありませんが、元になった人物は米軍に肉を卸していたブッチャー(肉屋)、Samオジサンの持って来る肉にUSスタンプが張られていたことから、兵士たちがそのUSを文字って、Uncle Samと名づけたということです。

それにしても、この看板の理由は判りませんでした。散歩の後、家族とThe Wire Mill Innで昼食を摂りましたが、ここのオーナーでもこの看板の意味は判りませんでした。

 

思想にまで汚染された散歩・・・?でした。

 

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4月19日

闘い終わって、

 

昨日は、ロンマラが終わると、

また、懲りもせず、

行って来ました。ナショナルトラスト。

 

ここはエメッツ・ガーデンと言って、ここにある木の高さがケント州の標高で最も高い場所だそうです。ややこしい言い方ですが、標高は微妙にここより高いところがあり、そこは鬱蒼としていて見晴らしが悪いとか。

確かに、

遠くまで、

遠くまでよく見渡せます。ここもノースダウンと言われるカルスト丘陵地帯。飛んでいけそうな気分にもなります。

でも、足元をご覧下さい。

 

 

この花の名は、ブルー・ベル。和名に「ヒメツリガネ」とありましたが、そんなもん聞いたことねえ。とある日本の庭師に言われてしまいました。

 

 

これは春を告げる花のひとつです。

 

 

これまでに、水仙や菜の花が春告げ花だと述べて参りましたが、英国の春はこうしてゆっくりと進むのです。でも、時計は夏時間ですが・・・。あはは。

 

 

そうそう、英国の夏時間はGMTではなくて、BST(British Summer Time)でした。3月の終わりから10月の終わりまで、日英の時間差は8時間です。

 

これはまだ2部咲きのブルーベル。これが一面に咲くとブルーの絨毯が敷かれたように木漏れ日の中で輝きます。たぶん、一番良いのは、来週末かな、と。

 

 

美しいものの裏側はこうなっております。これは87年から90年代の初めまでに吹き荒れたGaleと呼ばれる嵐でなぎ倒された木の根っこです。こういう生生しいのを見て、この辺りの地質はどうだとか、植生はどうだ、という話も拙には面白いのですが・・・・。皆さんには如何でしょうか。

このエメッツ・ガーデンはかなりの急斜面上にあります。一番下まで降りると、こんなため池が。しかも湧き水です。冷たい水が岩の間からちょろちょろと流れ出ていました。日本ならこういうところに沢蟹がたくさんいるだろうなあ。英国のこういう水溜りはいつも淀んでいます。流水ではないし、日本と違って生物が少ないから浄化が進まないのです。したがって藻が大量に繁殖してあまりキレイには見えませんね。

 

拙の棲むのはSurrey州というところなんですが、以前は「英国の庭」と呼ばれるKent州に棲んでおりました。今でも、両州をまたがってあちこちの散歩をしています。

 

で、ケント州にはこれまでに紹介したものを含めて以下のようなナショナル・トラストの地所が公開されています。同トラストは自然環境保護のため遺産を譲り受けて維持、管理している慈善団体です。

 

チャーチルのチャートウェル

 

昨日行ったエメッツ・ガーデン

 

アイテム・モウト

 

ノウル

 

シッシングハースト城

 

海岸のホワイトクリフなどなどケント州だけで他に13箇所が公開されています。まだ公開されていない買収途中、交渉途中の土地もあるそうです。どれも行って見たくなること請け合いです。どうぞクリックしてみてみてみて下さい。

 

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4月7日

Polesden Lacey

 

ナショナル・トラストの所有する地所でも、人気の差があります。

 

 

このPolesden Lacyには初めて行きましたが、入口まで車で約2キロの列待ちでした。待たされた時間は30分でしたが、敷地の中に入ると駐車場はまだ余裕で、6つある散歩コースには人影もまばらでした。総敷地面積は1400エーカーですから、170万坪として考えれば、東京ドーム170個分ということになります。

 

 

この日は外周の散歩と子供のクイズ・トレイルをした後、ハウスに入って、前世紀の貴族生活を垣間見て来ました。庭もちゃんと見たかったのですが、広さに疲れちゃったんで、また行こうと思っています。

これがトレイルのクイズ。子供たちは「えー、またお城ぉ」と嫌がりますが、こういうクイズの答えを辿って行けば、楽しみもひとしお。

↓クイズの答えのひとつ。30箇所のヒントから連想するものを答えれば、ちゃんと褒美をもらえます。娘も息子も僅か三問目に答えが判ってしまいました。

 

こういう問題は博物館に行けば、年齢に合わせて難しくなるので、面白くなります。先日はBank of Englandの博物館に行って来ましたが、こちらはなかなかの難問題。詳細は後日。

芝生の上の昼食は清潔感に乏しく、あまり好きではありません。このマナーハウスの芝刈りは羊にやらせているらしく、パチンコ玉の大きさの黒い粒粒が一面に散らばっています。平日に来ると邸内は羊だらけだそうです。先日も紹介した自然放牧ってやつですね。ナショナル・トラストはさりげなく環境問題に熱心です。マイカー規制も検討中のようです。

レストランが混んでいるので、こうして持参したべーグルに、クリームチーズ、サラミを挟んでかぶりつきます。膝の上にちょうど乗る便利な食べ物。拙の脚の長さが判る?

 

↑これは犬の墓です。1898年に東京という名前の犬を飼っていたんですね。ジャパニーズ・スパニエルって狆(チン)のことなんですね。

 

この時代の英文公文書を見ると、東京は既にTOKYOと綴られていますが、特に明治初期にはTOKIOだったり、まだYedoだったりという記述が多く見られました。拙の怪しい記憶では、1880年代にTOKYOに統一されましたが、フランス語では未だにTOKIOですね。

 

東京に住む拙の友人は、猫にウィンダミアと名づけています。また、ロンドンに棲む日本びいきの友人は犬を何匹も飼っていて、「オギクボ」「コーエン(ジ)」「ミターカ」と名づけています。彼は西荻窪に数年住んでいたので、「ニシオーギ」はいないの?と聞いたら、発音し難いとのこと。そうかなあ?「オギキューボウ」の方がよっぽど言い難いと思うんですけどね。他に「メグロ」「ツキジ」も居ました。

 

Polesden Lacyの案内サイトはいくつかありますので、以下にご紹介します。邸内の撮影は叶いませんでした。1824年ごろに建てられたエドワーディアン建築と内装ですので、世界の贅が集結しています。ここに住んだ一番の有名人はRichard Brinsley Sheridanというヒトですが、ざっと調べても、特筆するべきものが見つかりません。彼自身が有名と言うよりも財産を使って多くの著名人を招いたヒトのようです。

 

 

1906年にGreville氏が買い取って、現在のデザインを作り出したのが、ホテル・リッツを担当したMewes & Davisです。そして、最後の所有者Mrs. Ronnie Grevilleが1942年にこの地をナショナルトラストに明け渡すまで、彼女は社交界の花形でした。その美貌は現在でも残された絵画で確かめることが出来ます。

 

 

ナショナル・トラストのサイト

 

Polesden Lacyの簡単な案内

 

Polesden Lacyの歳時記とイベントガイド

 

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4月5日

咲くは野の花

 

これまでの半年間のどんよりした天気がウソのような週末が続いております。

 

 

近所に古い教会から始まる散歩コースがあることを先週の「散歩」カテゴリでお伝えした本に書いてありましたので、早速家族で行って参りました。

 

 

11歳の息子は散歩が終わったらパブでフィッシュ&チップスを食べようねえ、と言えば、それが散歩のモティベーションになります。娘は最近散歩を嫌がります。モティベーションはあえて言えば、爺さん、婆さんが一緒に行くことです。愛される喜びってやつですかね。

 

 

シャルドンという教会。1086年築です。

 

 

 

これがその外観。正式名称はSt.Peter & St.Paul Chaldon。クリックすると行き方と場所が判ります。外壁を見ると、フリント(火打ち石)をコンクリートで固める工法です。古い壁をそのまま利用しているわけです。

 

この墓碑もケルトの名残を残す独特のクロス。このお墓は1750年ごろ。

左はセント・マイケルかなあ?右はセント・ジョージなんだけど。

 

イースタとクリスマスが、キリスト教の2大イベントであることが、これを見るとよく判ります。キリストの墓と復活した洞穴がモチーフのイースタ・ガーデンです。クリスマスはナティビティ(キリスト降誕の場面)ですね。

 

 

礼拝の際には、信者が膝をついて「アーメン」と祈ります。座布団みたいのがあるでしょ。あれがニーラーと呼ばれる膝つき。他の名前もありますが、生憎思い出せません。

 

 

こうして教会の中に入るのは基本的に自由です。いつでも誰でも祈りを捧げに来ることが出来るようになっているからです。昔はウエストミンスター寺院だって、セント・ポール大聖堂だって無料でした。セント・ポールは今でも無料か?

 

でも、場所によっては心ない人々の手で荒らされる教会がないわけでもないのです。日本人として気をつけていただきたいのは、祈祷中の信者がいたら教会の中では沈黙を保って下さい。ということです。

 

 

この教会の維持には、週に300ポンドの費用が掛かるそうです。妻はMethodistですし、拙は原始仏教愛好者ですが、少し献金してきました。10ポンドばかり。

 

 

 

 

↑これはMural(ミューラル)という13世紀の壁画です。天国と地獄を表しています。中世など文盲率の高かった時代には、ステンドグラスや絵画で宗教教育を施したわけですね。

 

教会にも拠りますが、こうした田舎のキレイな教会には高潔な魂が宿っているような気がします。小さなコミュニティの中で近隣同士が身を寄せ合い、神の名の下に自分たちを律する生活。そういう生活を何百年間も支えて来たのはこうした教会に他ならないのですが、現代人はどこに自己を律する基準を持っているのでしょうか?

 

 

「メーワクかけなきゃいーじゃん」という最低規範の考え方は英国でも蔓延しています。これは「見つかんなきゃ何やってもいーじゃん」という考え方に及びます。

 

 

「お前たちの存在そのものが不快でメーワクだよ」と言いたくなることもありますが、拙自身も誰かにそう思わせているかもしれないので、意味のない議論は避けたいと思います。それよりももっと目指すべき姿があると思いますしね。

 

思わず、「チャーチル」と呼びたくなるこの犬、「ゼー、ゼー」と息苦しそうでした。「見失うことがないわ」と飼い主。風邪でも引いているんですか、と聞いたら、喘息とのこと。それでも一生懸命歩いていました。

 

 

菜の花畑です。まだ一部咲きです。来週末辺りには野原一面が黄色の絨毯になるでしょう。拙は若芽を少々失敬してきました。もちろん、農家のヒトがいれば、お金を払って譲ってもらいますが、どこに住んでいるんだか判らないしなあ。まさか人間がそのまま食べるものとは考えられていないようですし、英国では飼料用作物、または油を採るために栽培されています。

調理前の菜の花です。お浸しにしましたが、撮影は忘れました。若芽で細いものだったからでしょうか?日本のものほど苦味はありませんでした。来週もどこかに散歩に行って、10本くらい失敬して来ようかな。それくらいだったら良いでしょ?ダメ?あるいは、農家に頼んで、毎年摘み取らせて貰うようにします。旬の時期が短いから、2,3回かな。

 

「自然放牧」の案内が、ある牧場の前に張られていました。羊に芝を食べさせる方が、機械で刈るよりも環境に良いのだそうです。

ちょっと読み難いのですが、看板にはRook Farmと書かれています。茅葺屋根の上にはそのRook(ミヤマカラス)の彫刻が飾られています。櫓に立って偵察や物見をする場所をRookと言い、その物見自体をlook outと言います。日本人には判り難いRookとLook。Rookは高い処の意味もありますが、繁殖と繁栄の象徴だそうです。この建物も結構年代もので、日本だったら大村昆ちゃんのオ○ナミンCの看板やボ○・カレーの看板が付いていそうな雰囲気です。

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3月31日

チャーチルのチャートウェル

 

写真は、Wseterham(ウエストラム)という村に置かれたウィンストン・チャーチルの銅像ですが、

 

 

 

チャーチルの孫娘、シリア・サンズ(Celia Sandys)に会ったことがあります。

 

気さくなオバサンで、作家でもあり、Churchill Leadeshipという会社の経営者でもあります。

 

邦訳された彼女の作品「少年チャーチルの戦い」では、チャーチルの幼少時代からハロウ校を経て、陸軍士官学校に至る彼の人格形成期が認められています。

 

ある仕事で彼女と会う前に、拙宅から車で30分くらい離れたところにあるチャートウェル(Chartwell)というナショナル・トラストのマナーハウスに行って来ました。そこは生前のチャーチルが生活した姿を想像させるものや、シリアの母上であるダイアナが育てられた当時の風景がそのまま残っています。塀などにその痕跡を認めることが可能です。

 

20年以上前、拙が生まれて初めて来たナショナル・トラストがこのチャートウェルでした。以来、ナショナル・トラストの会員を続けている拙が、何度来ても飽きない景色のひとつとして、いつも気持ちを和ませてくれるところでもあります。

 

 

さて、チャートウェルの地所は生前に遺されたチャーチルの言葉通りにナショナル・トラストに引き渡されましたが、内装品、絵画(チャーチルの直筆も含む)、書籍類はシリアをはじめとする子々孫々の所有物だそうです。

 

 

この20年間で、来訪者もトラストの会員数も増えたために、チャートウェルの様相も少しずつ変わりました。以前は書斎の本に触れて、読んでいても許されましたが、近年は透明なプラスチックシールドの中に整然と並んでいます。

 

 

20年前から目を付けていた本があったので、その本を確かめようと、所有者の一人であるシリアに会う前にチャートウェルに行ってみたのですが、なんでもオークションに掛かるほどの高価な書物だったとか。今はもう書棚になく、メイフェアのあるブック・オークションに掛ってしまい、誰かの個人図書になってしまったそうです。どおりで、大英図書館にもない筈です。闇本であることと、書名が異常に長い英文なので、ここで紹介するのは控えます。

 

 

27日の記事「囲い込みの風景」でもノースダウンについて触れましたが、このチャートウェルはその稜線上にあります。累々と並ぶ牧歌的な緑の景色は南に無限に広がっています。英国ってこんなに広かったんだなあと思います。

 

チャーチルにはうつ病の傾向がありましたが、ハロウ校時代以来、彼はその病気と仲良くする方法を知っていました。ハロウの丘から南を臨む景色はロンドンの北側そのものですが、その景色とチャートウェルから眺める景色には似たような爽快感があります。

 

寝室からサウスダウンを臨むとガトウィック空港からの飛行機が10分毎に滑空しています。音は聞こえませんが、現代のその景色をチャーチルは知らずに、眼前に180度以上広がる広葉樹と牧場の風景を眺めながら、この空の向こうにあるドイツや敵国のことを考えていたことでしょう。

 

ロンドンには最近、チャーチル博物館が新規会館しました。他にもCabinet War Roomsなど、チャーチルの戦争時代の功績を知らせる資料がロンドン中にあります。大分前に漱石を辿るツアーを紹介しましたが、こうしてチャーチルを辿るついでに、ナショナル・トラストに立ち寄るのも一興かと。人物の足跡を辿るって面白いかもしれませんね。リクエストを頂ければ、調べますよ。応援クリックお願いします。http://blog.with2.net/link.php/29834