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11月2日 アップグレード本日は、やや普通に更新。
でも、忙しいことには変わりがない。
だから、引越は当分無理かもしれません。
新しい機能がまだ理解出来ていないし、まだ引越先の新タイトルを考えております。
さて、
世の中、景気のいい話ばかりではありませんなぁ。
子供達の学校に通う同級生達には、比較的裕福な家庭の子供たちが多いことはもうご周知のとおり。
しかし、年に一度くらい耳にするのは親が破産するなど家庭の事情で転校を余儀なくされるケース。
子供の成績が常に5番以内だとか、芸術やスポーツで目覚しいレベルの特技を持っていれば、
学校は理事会に掛けて特別奨学生にすることもあるけど、
私立のパブリックスクールの平均的な費用は日本の私立学校の2.5倍であります。
学校側の査定も相当厳しいものになります。
最近、けっこう優秀な娘が辞めることになりました。
拙宅の子供たちと学年は異なるので、詳しい事情は判らないのですが、
運の良いことに公立で有試験のグラマースクールに中途年齢ながら入れてもらったとのこと。
中途入試はかなり難しいので大したものです。
生活はかなりダウングレードするらしく、
事業に失敗して蒸発した父の行方はわからず、
学校近くにあった10部屋の邸宅は既に競売に掛けられ、
母娘は2部屋だけの公共住宅に入るとか。
生保の普及していなかった時代、幼くして父を病気で亡くした拙も似たようなもんだったが、
子供は逞しい。現状をさほど辛いとは思わない。
そういう経験をしていると、見掛けのグレードの高低などは気にならなくなるもの。
何をやっても食っていけるさ、と思う。
航空会社に勤務していた時、
ある旅行代理店から電話が掛って来た。
普段ならどんな客でも上手にあしらうロンドン支店長だったのに、拙に泣きついてきた。
「このお客さん、自分のミスをどんどん責任転嫁して、いろいろなところに責任をおっかぶせようとするゴネ屋なんですよ」
で、システムで調べて見ると、このお客さんの名前が他代理店でもブラックリストに載っているし、航空会社でも要注意のマークが・・・。
(昔、fuk田U介という作家が暴露したあのコードです。)
「では、そのお客さんと私が直接お話しましょう」
「え?いいんですか?そこまでは期待していなかった。ただ、最終的にはアップグレードをしろ、というごり押しだけなんで、一応こちらに連絡させてもらっただけなんですけど」
「でも、話して納得してもらいましょう」
で、いきなり挨拶もなしに、
「アップグレードなんて簡単なんだから出来るでしょ。さっさとやってくださいよ」
若い女性の声。たぶん、噂のあの方かな、と思った拙は、
「なぜ簡単だと思われるんですか?コストパフォーマンスが全然違うんですよ」
「でも、空港でチェックインするたびに、私たち以外の人たちがアップグレードされて、いつも損をした気分になるのはどういうわけですか?」
「いつも弊社をご利用いただいているんですね。誠に有難うございます。ただ、記録を拝見すると、搭乗のたびにアップグレードを要求されているようですが、毎回理由が異なるようですね」
「・・・だから、正当な理由があれば・・・・」
「正当な理由はコストが最優先されます。私は本社のレベニューマネージメントコントロールにも関与しておりますので、航空運賃の値立ての概念はタリフ以上に承知しております。ビジネスが満席なのに、エコノミーの収入しか上げられなければ、我々はいつ首を切られるか判りません。下手をすれば会社に対する背任行為になります。でも、この場合は、お客様の不都合に感じることがあればこそ、アップグレードを要求されるのではないですか?」
「それは、年老いて気難しくなった母のために快適なスペースとサービスを確保したいということもあるんですが・・・・以下ダラダラと繰り返しなので省略」
「つまり、弊社に落ち度があるわけではなく、お母様のためですね。私にも老いた母がおりますので、ご同情申し上げます。ただ、そうなりますと同じ料金を支払われている他のお客様と同じサービスを提供しなければならなくなりますが、それでも宜しいでしょうか?」
「え?ええ、もちろん」 (誘導に引っ掛かった!)
「では、ご了解頂いた上で申し上げますが、基本的にはご購入頂いた航空券に相当するサービスを平等に提供させて頂きます。また、当日は私は空港勤務をしておりますので、空席、乗客層などあらゆる状況を判断させて頂いた上で、最終的な判断をさせて頂きたいと思いますが、それで如何でしょうか」
で、実際にはその方の搭乗日に拙が空港に行くことはありませんでした。
そのお客さんはその後もリピーターとしてのご利用が続きましたが、ゴネることはなくなりました。
その後に判ったことでは、そのお客さんはロンドン金融街にある日系企業で幹部クラスにまで登りつめた当時唯一の女性で、
会社を始めてフリーになってからは事業が上手く行かず、過去には当然のステイタスであったものが放せなくなっている、ということでした。
彼女の気持ちも判ります。
でも、我々の人生、こういう転落の機会こそ人間性が現れませんかね。 人間性次第で、転落ではなく助走して見えるヒトもいるですしね。
ま、乗り慣れないエコノミークラスに乗って、「ぺリエ下さい」と言うくらいは、
ゴードンラムゼイのレストランで「天麩羅そば」と注文してみたくなるイタズラと同じと思って勘弁してやりたい、と。
英語で言う「サービス」って、必ず対価が伴うんですよね。
8月10日 粗相な話昨日の続きで、
尾瀬と在東京英国大使館との関係を書こうと思いましたが、
違う切り口で昨年の7月31日にこんな記事を書いていたことを思い出しました。
ネタが尽きたと思われるのは癪なので、
今日はちょっと趣向を変えましょう。
英国にはたくさんの宮殿がありますが、
マナーハウスとの違いは判り難いかもしれません。
マナーハウスとは、19世紀以降に造られた新興の資産家によって建てられたものが大半です。
旧くからの宮殿は、元来大所帯で、プライバシーもなく、召使も主人貴族もごったになって寝泊りするところもあったのです。
何よりも異なる点はトイレです。WCです。Water Closetです。水洗式かどうかです。
17世紀以降の建築物に入ると、ようやくトイレとバスルームが一緒になっている構造になりますが、
それ以前はトイレも風呂もない宮殿が多いわけです。
以前、バザルゲットという土木エンジニアを紹介しましたが、
彼の作った下水道システムはエンバンクメントの地下でいまだに稼動していて、
ロンドンをGreat Stink(超悪臭)と不衛生から救ったことで知られています。
って、拙は何人の英国人に教えただろうか? 英人でもバザルゲットを知らないことがあります。
バザルゲットの下水道システムは都市をペストから救いました。しかし、これは大衆レベルの話。
宮殿の方は1596年にキレイ好きだったエリザベス女王のために作られた弁式水洗トイレが始めて採用されました。
その後、マイナーな改良が続くものの、完全に臭いを遮断し、清潔を確保するトイレが出現するまでさらに150年以上の歳月が掛ります。
1775年にアレキサンダー・カミングの作った水洗式が現代のものと同じ原理になりました。
商品化、一般化が進むのはさらに100年後で、
ヴィクトリア女王の治世下である1860年ごろには英国からの輸入品としてフランスなど欧州の上流社会に普及しましたが、
英国内ではまだまだ普及していなかったという英国らしい事実もあります。
1875年、赤レンガ造りだった日本の英国公使館(当時は大使館ではありません)では、
公使公邸のみ水洗式が取り付けられましたが、
他の外交官達の宿舎は汲み取り式だったとのことです。
麹町界隈にも畑が広がっていたので、肥料としての争奪戦に英国人のモノも参加したわけです。
で、ここまで書いて、既にお気づきの向きもあることでしょう。
では、水洗式が設置されるまで、宮殿のご不浄はどうなっていたのか?
それは、皆さん既に目にされておるものです。
宮殿の周囲には美しい庭園が広がります。
宮殿から程遠いところに、雨風を凌げる程度のキャノピーのある藪があります。
そこで、ご婦人たちはジャバラで裾の広がったスカートの中で用を足したのであります。
美貌を誇るマリー・アントワネット妃とて同様でござんす。
あのスカートの中は完全なご不浄空間なのであります。
色気もなにも感じないのであります。
一般には、汚れたドレスをそのまま着ているから、香水が発達したのであります。
そのマリー妃には入浴の習慣があったのでまだマシだったことと、
柑橘系の香水を使用していたことは有名ですが、
それ以前の時代に遡ると、貴族や王室といえども、その臭い身体にはいつも虫が集っていました。
襟元のジャバラ、つまりエリザベスカラーと言われる襟の類はファッションではありません。
身体を這い上がる虫除けなのです。辛うじて、首元で虫を除けていたわけです。
こんなウンチクを思い起こしながら、欧州の宮殿巡りをさらにご堪能下さいませ。
8月8日 苦行難行「買ってでもしろ、若い頃の苦労」
そんなもん、誰が買うかい。
日本人は苦労や努力を自慢し、
英人は要領よくウマイことやったことや、労せずして事を成したことを自慢します。
一つは宗教観にあります。
もう一つは、どちらが頭を使うか、ということでしょうね。
精神的負担を軽減することは、俗世なら当たり前のことだと思うんですが、日本ではどうなんでしょう。
日本人は俗人でも修行を尊しとしますが、
英人一般には面倒なことや精神修養は、ドン臭いことなんです。
神を信じれば、認めれば、許されるんですからいいですよね。この場合、英国式は拙には向きませんが・・。
で、今日の記事はコルシカ島での苦行です。
コルシカ記事はこれで本当に最後にします。書くほうも飽きてしまった。
先にも述べたように、自動車の運転は拙にとって苦行でした。
そして、さらに予期せぬ苦行が待っていました。
快晴の朝10時ごろ、
山のハイキングに参りました。
駐車場の標高が既に1500mです。
気温は23度前後だったんですが、
日差しがつおい。暑い。
凍らせたペットボトルとフランスパンの昼食を持って、
意気揚々と出発。 でも、この水がのちのち・・・。
ロバに一番小さな息子を乗せた一行が前に・・・、
なかなか道を譲ろうとしませんでしたが、
先頭を行くドイツ人の父ちゃんが、
我々一行に気づくと、
先に行け、と。
じゃあ、行くよ。 来るよ。
ロバに乗せられた5歳くらいの子供は、
なんだか夢見後心地。いいよなあ、あの年齢は。
暫く行くと、似たような一行が反対側から・・・。
5歳頃の拙の子供達は芦屋ロックガーデンの散歩を苦にするどころか、
楽しんでいたのに。
子供たちをそんなにスポイルしてどうする。
挨拶は笑顔とボンジュール。
「うるせえな」
と微笑み返す。この炎天下で面倒な挨拶すんな。
日本でもハイキングしていると挨拶されますが、ほっといてもらいたい。
渓谷の道は険しいのですが、こうした光景に囲まれて、
頭の中ではヨーデルが奏でられる。
コルシカ島には山あり、海あり。
そんでもって、歩くこと1時間半、
頂上には「小尾瀬」もあり。
これは先にも紹介しましたが、とても不思議な景色でした。
発音できね。
↓
暫く、この景色に浸りながら、
家族で昼食を食べていましたが、
ご覧のような雨が・・・。
雨脚が強くなるとデジカメも撤退です。
カミナリも鳴り響き、
大粒の雨が木々の間を縫って、
汗で冷えた身体に直撃します。
その雨粒の大きいのなんの。一しずくが顔に当たると、バシャと顔を洗ったように濡れます。
この予期せぬ天候の変動には何の装備もありませんでした。
コルシカでは雨の心配は無用とガイドブックにありましたが、
それは過信でした。
松の木の下の雨宿りも30分間が限界。
この湖沼の周囲を少しずつ移動しようにも、
皆の身体が寒さでぎこちなく、そして歯が噛み合わないほど震えています。
対岸にあったエコロジーの管理人の小屋に向かおうとしますが、
集中豪雨で地勢が変化しています。
対岸にあったはずの小屋がまったく見えない。
湖沼に向かって、いくつもの鉄砲水が濁流となって流れ、
想像していた画像の沿岸とは様相がまったく異なります。
もはや緑など見えません。
拙がリードしなければ、我が家は遭難していたかもしれません。
先に行く息子は出来るだけ近道を行こうとするものの、
危険なところに進もうとします。
「そっちはダメだよ」と、濁流を交わしながら、パンツまでびしょ濡れのまま小屋に・・・。
すると、中には同じ事を考えていた避難者で充満していました。
それでもなんとか入れてもらい、
暖が取れました。
メガネ曇る。
遭難者、避難民の気持ちが判った出来事でした。
寒くて、怖くて、心細いんですね。
小屋の中では立ったまま、雷雨が軽くなるのを待つこと2時間半。
小屋はコルシカ名産のハム臭いんですが、
あれは皆の体臭かな?
あの小屋がなければ、危ない思いをして帰路に着かなければならなかったでしょうし、
それで風邪をこじらせたことでしょう。
いや、それ以上の惨事に見舞われたかもしれない。
以下の写真は同じ場所ですが、左が雨が降る以前、右が後。
右の写真の山肌には水の流れがあちこちに見られます。また、川幅も左に比べて断然広い。
山で遭遇した水の怖さ。
持っていた氷水は身体が冷えて飲む気もならず、最後まで残ってしまいました。
駐車場に戻った時、簡易茶店で出された紅茶がんまかった。
命拾いした思いでした。
コルシカの話はこれでオシマイ。 たぶん。
8月5日 塔のナゾーやはりメイル投稿が出来ない。
メイルに項目の箇条書きをしておいて、後からブログ内に写真を送り込み、記事の体裁を整えるというやり方をしている。
ところが、整えた記事がダメになる現象が続いた。残ったのはmsnの更新前に箇条書きのみ。で、今はメイル投稿すら出来ない。
一時的なもんかもしれんが、作業の大半を無駄にしたことは事実。
アクセスが減っていることも判る。
すぐに開けなきゃ寄ってかないよね。義理もないし。
塔の上から拙を見下ろす元気な若者。息子と娘とも言います。 ちょっと飽きてきたけどコルシカ島の話、
ネタはまだいっぱいあるけど、今日で最後にしようかな。
英国ネタもたくさんあるのに全然更新してないと、もはや忘却の彼方だしね。
泊まった家のバルコニーから海岸沿いに2つの塔が見える。
それぞれの塔の間隔は直線距離で3,4キロ。
灯台にしては変だなあとは思ったものの、
「あれは灯台なの?」
ガイドブックを充分に読んでいなかった拙は妻に質問しました。
「あちこちの岬にあるね」
「いや、あれは塔」
「だから、灯台の役割だろ。まだ使っているのもあるの?」
「違うよ。あれは見張り台」
「でも、多過ぎない?」
「突端の塔からその隣の突端の塔に、敵の来襲を告げる役割をしていた塔だよ」
「すると、ノロシや光で他の塔に連絡を取っていたの?」
「そう。フェニキアとかアフリカの国が押し寄せたり、海賊行為を避けるために、ジェノヴァ時代に造られたの」
確かに、ある塔に行ってみると、その塔からは左右の塔が良く見えます。
左右に一つずつではなくて、2~3つずつ見えますから、
一つの塔で、怠慢なノロシ焚きが居たとしても、それをカバーするセーフサイドが維持できているわけです。
で、この塔は島中を巡って99箇所設置されました。
13世紀にこんなシステムを造ったジェノアとは何と優秀な国だったんでしょうか。
ジェノアがコルシカを統治していたということは、イタリア文化圏に組み込まれた時期もあるということ。
宿のオーナーの名前もGennattiというイタリア名。
でも、会話はフランス語でした。
統治、植民などという言葉の使い方も少し前までけっこうセンシティブだったらしい。
ナポレオン・ボナバルトはコルシカ島最大の街、アジャッシオ出身の田舎貴族だが、
本国フランスでは、コルシカ野郎、イタリア野郎と陰口を叩かれ、コルシカではフランス(かぶれ)野郎という面々も居たそうな。
ナポレオンの生家は観光地化されていても、地元ではあまり人気がないそうだ。
立場ないなあ。ナポレオン。
聖書のどの福音書だったか忘れたけど、
イエス・キリストがナザレに戻ると奇跡が起こせなくなったというクダリがある。
ナポレオンもそんな感じなのかも。
地元ではやんちゃ坊主だったのか、あるいは日常性を知られ過ぎていたので、
神秘性が足りなかったのかもね。
異国人から「母国」を守った象徴だとか。Tシャツのデザインにもなっていて、結構かっこいい。⇒
まあ、そんなわけで従属関係、対抗関係というのは、
実際に行って初めて判る微妙で、複雑な感情を作り出し、
その感情が不思議な出来事をたくさん引き起こすので、
必然的に歴史は不条理な書き物になる。
コカコーラよりも甘め。
その歴史の証人に触れてみたいと思って、いくつかの塔に行ってみた。
ひとつは宿泊先から1時間の塔。
もうひとつは、一番高いところにあると言われている塔。
ここは駐車場から1時間半、
の筈だったが、
実際に掛ったのは2時間。
しかもロッククライミングで、妻は途中脱落。
拙も死にそうでした。
さらにPIANAという港町の塔。
ここだけは駐車場から見あげれば塔。
これら歴史の証人が教えてくれたことは、それぞれの塔に行くまでの道中の難しさ。
塔自体は最小でも直径が10m以上あり、中には4~50人住める。
食料や生活物資の運搬も大変だし、あれだけの瓦礫の道を歩く靴や輸送は難行だったろうな、と想像される。
塔からの眺め。
兵站とは言うものの、それを支えるのはどんな王国であっても商人たち。
彼らの商売は平和が前提だから、平和維持に掛ける費用も相当なものだったようだ。今で言えば、防犯カメラか?
平和を維持するための軍備、
それを維持するための商業活動、
二律背反だね。
それらが人間の繰り返して来たもの
なんだな、と思いつつ、瓦礫の道を
汗だくで戻る。
この景色から塔まで約1時間。へたれました。子供たちは元気。
リュックサックが塩を吹いてました。
下りの道の方が膝が笑って大変。道なんか無いじゃん。
先人たちはどんな靴を履いていたんだろう。
8月4日 コルシカの生きもん3記事ほど消滅しました。
下書き保存しておいた筈なのに、サイバーワールドの異次元の彼方に拙の文字は消えてしまったのれす。
萎えるなあ~。
忙しくて、これ以上時間掛けられないのに、この画面になってからはとても手間が掛ります。
まだまだネタの尽きないコルシカ話ですが、 英日との対比で語れば、まあ良いかと。
川のせせらぎで寛いでいると、コバルトに輝くトンボと緑に輝くトンボ が舞っていました。
緑は緑に、コバルトはコバルトに交尾するんですな。
掛け合わせはないものだろうか、などと眺めていましたが・・・、やっぱ青は青、緑は緑。
捕まえられるかな、と何度か伝統的トンボ取りを試してみました。
まず、トンボの正面に向かい、人差し指をトンボに向けます。
ゆっくり大きく腕を回しながら、次第にその回転を速く、小さくしながら、トンボの目に近づく。
10回ほどやって、4回成功しました。
下がその成果。娘に脚を持ってもらって、撮影に成功。でも、キレイな緑が出ていませんな。
せせらぎは清流です。
日本の河川とよく似ています。
時々、淵があって、泳いでいる人たちもいました。でも、凍るように冷たくて泳げないって。
ハイキングの途中の農場で子豚がたくさん重なって寝ていました。
旨そう、と思うのは拙だけでしょうか?
カメの博物館がありました。
珍しいので、行ってみるとそのバリエーションの多さに見とれること、5時間。
中でも面白かったのは、このメイティングの行為。
必ず時計回りになるそうです。
オスがメスを追いかけるのは判りますが、
この三角関係は何を意味するのでしょう?
これでは同性を追い回していることにもなり、
メスがオスを追い回すことにもなります。
それは変じゃないですか?
そのうち、もう一頭が参加しました。もはや乱交状態?
片道1時間半のハイキングコースの
終点は尾瀬沼を彷彿とさせる光景。
緑の部分には入れません。
とても神聖な感じがします。
尾瀬の景色も神秘的ですが、
この小さな尾瀬にも神が宿っている
のでしょうか。
道中にはこんなヤギも。
トカゲはやたら素早くて、画像に収め切れませんでした。
イモリもいるそうですが、沼に近づけないので、見ることは叶わず。
で、以下は宿泊した家の周りの生き物です。
体長5cmになるダンゴ虫。 プールサイドの蛙は既出。
なんかトロイ感じ。鋭いトゲ球になったハリネズミは動きません。
残念ながら、歩く姿は撮れませんでした。
1時間くらいこうして丸まっていましたかね
左は鶏の籠。
締める鶏を最後に囲うのだそうです。
右は夜の訪問者、蚊トンボ?
たぶん、先のコバルト色のトンボと
同種類なんでしょうが、
こちらは特に美しいわけではありません。
近辺にあるサボテン。
この小さなつぼみを取って、サボテン酒を造るのだそうです。
酒の種類も独特でしたが、画像がアップできない。栗、シトラス系、ベリー系、サボテン系など様々な材料で伝統的なアルコール飲料が造られています。いわば、コルシカ独特のものです。やはり、ここはフランスでも、イタリアでもないんですね。コルシカ、という文化圏です。もちろん、対抗文化や従属文化となったのは、仏伊でしょう。現在の対抗文化は、所属国であるフランスになるという気がします。
文化が一つの地域だけで成り立たないなどということは語るまでもありません。何が起源だから、何処にオーソリティがあるという幻想的な権威付けで、民族の優劣をつけることに躍起になることも紛争の原因になったりします。気持ちは判りますが、そういうことに捕らわれる自分の姿を一度ビデオに撮って、見てもらいたいものです。
また、コルシカの文化を眺めていて、長年琉球の置かれた立場とダブらせるものがあるなあ、と感じました。 実は、英国もヘンリ8世の治世辺りまで、教会関係では同じような立場にありました。従属文化は、対抗文化へと変質し、独特の文化圏を作り出すという一連の過程は、どの国でも経て来たことです。ただ、今後の雑種文化がどのように展開していくか、という例はありそうで、且つ、ない部分も多く、いろいろな説に意見が分かれるところのようです。
おまけの画像が下にあります。見難いので拡大クリックしてみてください。今回はこれに一番感動しました。写真じゃ感動は無理か。
8月3日 おいしくコルシカレストラン、スーパー、パン屋、露店の話でもしませう。
一番利用したのは近所のパン屋、シャレーから徒歩10分強・・だったかな。
本日はパエラという看板。エバラのタレでBBQも旨いか。 毎朝ここでクロワッサンを購入。
昼食は上の写真の店で買ったフランスパンとパテと生ハムとチーズ。
仏人みたいな昼食。拙は四足も食べる原始仏教徒だけど。
と言っても乾物やデリカも売っていて、日替わり料理なんかもある店。
で、よく見ると隔日料理で、しかも要予約。結局一度だけしか使わず、しかも子供達も拙もあまり好きではなかった。その日の料理は「魚のスープ」 単に生臭いだけのクリーム汁(ぢる)でした。妻は「おいしい」と言っていましたが、拙は味噌と白菜を入れたくなりました。他の日はブイヤベースだったり、パエラだったり、予約しなかったけど、見た目には旨そうでした。レストランに行くよりもだいぶ安いしね。たぶん、おいしいと思う。で、こういうデリカ店はあちこちにあります。
レストランは相対的にメニューにバリエーションが少ない。名店だろうが、場末だろうが、どこに行っても同じようなメニューなので、3日続けて外食するとうんざり。子供と妻をレストランに残して帰宅、一人でスパゲティうどんだか、即席サラダラーメンだかを食べて、夕日を眺めながら「ダヴィンチ・コード」を斜めに読んでいました。(ありゃぁ小説になってないね。映画の企画書じゃん。さすがトム・ハンクス)
携帯電話が使えたので、息子から「迎えに来て」と連絡を受けるとショーファーサービス。まあ、レストランは不味くはないんですが、どこでもハムとチーズとサラダってのがどうもね。そんなもん、好みの店を見つけて、好みのものを買ったほうがまだ旨いじゃないですか。結局、昼夜合わせて10回もレストランに行ってないんじゃないかな。でも、メニューやガイドブックは見たし、アルフレスコタイプが多いから遠目にも観察したし、人の意見も聞いたから、どこが良いかの検討はつきます。でも、食べるなら牧歌亭。短期の旅行ではこちらの要求に応えるレストランに仕立てることもできないしね。
マッスルズ(ムール貝)の料理もありましたが、あれは個人的にご法度料理なので自主制限です。ニオイはきついが、残った汁にフランスパンを浸して食べるのが一番旨い。昔は「カラス貝」と呼ばれて、誰も見向きもしなかった貝ですよね。30年以上前、夏の三浦海岸に20cm強の大きさで群生しておりましたな。
魚料理はどこのレストランでも「本日の特選」があって、「見せて」と言うと、ウエィターが厨房から新鮮な魚をトレイに乗せて見せてくれます。皆の注目が集まるパフォーマンスなんですが、所詮、ハーブ、塩コショウでグリルする程度。シェフは魚料理の本質なんかまるでわかっていない。醤油出せ、と言いたくなる。これだけの太陽があって、なんで干物が発達しなかったのかな?乾燥が早すぎる?江ノ島腰越の干物屋が懐かし。
名産の筈の豚肉料理はシチューが大半で、どの店でも何を食べているのか分からない味とテクスチュアです。牛肉とラムは焼き物でも柔らかく、味わいありです。ラムは臭みがまったくありません。肉類はすべてコルシカ産なので、安価でしかも旨い。
スーパーでは、生鮮野菜の種類が少なかった。青いものが殆どない。お陰で毎日インゲンとサラダばかり食べていました。ドレッシングの替わりに、ナスなどのナムルを大量に作っておいて、サラダに乗せて食べていました。つまり、既成のドレッシングもイマイチ。蜂蜜もなぜか苦かった。
スーパーによっては魚のカウンターもありますが、種類や在庫が少ないせいか、午前中だけでしまっちゃうんですな。残っているのはスズキや瓶詰めの魚介類の酢漬けばかり。まあ、これらも旨いが、軟体動物は自主規制品だからね。完全健康体の息子と妻が羨ましい。
豊富で安価なのは干しハム、生ハムの類、各種チーズ、そして生鮮肉。これらはカウンターの順番待ちで購入しますが、どれを見ても安くて生唾ものです。但し、肉屋の職人さんたちは英語を判ってくれません。指さして、「シル・ブ・プレ」と笑顔でコミュニケ。
レストランではなぜかメニューに少ない豚肉。塩コショウしてシャレーのBBQで試してみました。豚肉は柔らかくて、旨みが濃厚なのには驚きました。塩コショウだけで充分ですが、道端にたくさんハーブがあるので、道々千切ったものをよく洗って、それらをこすり付けてマリネするようにしてから焼きました。牛羊も同様のやり方で充分でしたし、レストランよりもおいしゅう出来たと思います。ローストやグリルでもポークチョップは旨いです。
皮を剥いだウサギも並んでいましたが、形がグロイので子供達が嫌がるし、焼いてもササミ肉みたいになるので、今回は経験しませんでした。英国でもサイダー(林檎の発泡酒)で煮るなど、焼くよりも鍋料理が多いウサギ、やはり乾いた肉質ではそうするしかないですね。
自炊旅行に必携なのが、即席味噌汁なんですが、拙の場合は殆どを料理に応用します。ダシ入り味噌なので田楽に使ったり、マリネに使います。ラムにこのマリネは最高です。味噌は八丁味噌が一番いいでしょうけど、旅先ではそうも行きますまい。みりんもないので、砂糖のみ。具も和風料理に使います。ええ、既成概念や体制というものが馴染めないもので。
形は悪いけど、味は最高のトマト。良い女、良い男って意味まで考えちゃうね。
露店では、すいか、メロン、イチジク、かんきつ類、桃類、トマト、きうりなどがスーパーよりも若干安くなっていますが、炎天下に晒されているので、品質は要チェックです。特に旨かったのは、トマトとすいか。すいかは毎食後のデザートと種飛ばし大会になりました。気づくと、庭先には種が散乱し、蟻が集っていました。ごめんよ、オーナー。
これはペイストリーの露店。見た目は旨そうです。
売り子の可愛らしさに惑わされてはいけない、
とは買った男性の言。拙ではないですよ(ウロタエ)
まあ、こんな感じでコルシカの食生活を楽しみました。
肉好きには良いかもね。
あー、糠漬けと白まんま食べたい。
7月30日 コルシカ海岸事情子連れ、あるいは年配の女性は惜しげもなく胸を晒しています。
たまに若いカップルでも女性が胸を太陽に晒しています。
連れの男性もまったく構わないようです。
色気も何もありません。
おばあちゃんと娘の海水浴。仲良しなんでしょうね。
ただデロンとした三笠山の上に銘菓?「キノコの山」が乗っているような感じです。
誰もマジマジと見ません。
トップレスが普通だからです。
胸晒す美女1。 胸晒す美女2
いずれも遠くて判りません。
パラソルの下に座って読書していた拙が声を掛けられて振り向くと、
目の前に乳房がデロンと。
近くを陣取る、子連れで30代と思しき女性でした。
息子の帽子が風に飛ばされたとかで、親切にも拙に乳房を見せに、
いえ、親切にも帽子を拾って来てくれたのです。
Merci と礼を述べると、振り向いてその女性は自分のパラソルに戻り、再び胸を太陽に晒しました。
もちろん、自然界にだけでなく、公衆社会にも晒しています。
つまり、現実的にも、観念的にも晒しています。
現実的に見れば、お乳ですが、
観念的に見れば、オパーイです。
などと、意味不明のことを言いたくなります。
暑さは酸欠を伴い、思考能力を低下させます。
隣にフランス人家族が来ました。子供は3歳と5歳かな。
引き締まった身体の若いお父さんはいきなりマッパになり、
身体の前でブラリと垂れ下がり、振れるものを公衆に晒しながら、
そそくさと水泳用トランクスを着けました。
お母さんはスカート姿で下着から水着へ、
上着を脱ぐとトップレスになり、ブラを着け始めました。
どうぞ観念的に読んで下さい。
日本人の絶対やらない「ちょっと見せ」行為です。
パラソルよりも効果的なものを見つけました。
どの砂浜の両岸にも拙の好きな岩場があります。
潮溜まりは小生物の宝庫です。これは観念ではありませんが、
宝庫に向かう途中、砂浜を横切る際、何人かの完全ヌードを見ました。
太った人は陸に上がったくらげのようです。左右にぶにゅっと広がっています。
うつ伏せだったので、観念的にはあまり見苦しくはありませんでした。
しかし、潮溜まりからの帰り、観念的に許せない光景を目にしました。
男は仰向けに寝てはいけません。
見苦しいです。でも、誰も文句を言いません。パトカーが海岸を見下ろしていても、ケーカンは何もしません。なんとおおらか?それとも観念?
クラゲが大発生。刺されると痛い。
あの先っぽが日焼けすると大変なことになるのを経験しているので、注意したくなります。焼けるのは事実であって、観念ではありません。
「お願いですから、どうぞ現実的にうつ伏せになってください」
とは拙も言えませんが、一応仏語辞書で調べました。でも、忘れました。
どの海岸に行っても皆「ちょっと見せ」の着替えや堂々ヌードを見せるので、
ああ、仏人ってこんなもんかな、と思いました。
人間の肉体って、観念的に醜い方が多いかもしれない。
つまり、裸になる人の心理は、
「自分が気持ち良ければ良い」
ということであって、
恥かしさはほとんど無く、本人が醜いとか、美観を損ねるということは気にしないんでしょう。
もちろん、これ見よがしに晒しているマッチョ君やマッチョ嬢もいますが、
あの美的感覚も様々ですよな。
「食ったら硬くて不味そう」と思います。
たくさんのお乳をリアルに拝見して、特に確信することは、
観念的に巨乳は必ずしも美乳ではないというところでしょうか。
ブラジャーは胸を美しく魅せる効果もあるんだな、と気づきました。
東洋人のすっきりしたお乳の美しさを思い起こさせることさえあります。
因みにヌーディスト・ビーチに行ったことがありますが、
以来、拙も妻も現実的に水着を着るのが好きではありません。
観念的な自分の美醜にこだわらず、現実的な自然の姿を自然の中で晒す。
あの開放感は格別です。
たぶん、日本人は観念という衣服をなかなか脱げないんだろうな。
恥じらいの文化というのも味わいがあって、いいですしね。
どこかに 美しいヒトはいますか?
美醜は、人間が勝手に作り出したフィクションのひとつなんて、誰でも知っているかんねん。
今日から関西人になります。 ウソです。
7月28日 MEGANEメガネの話ではない。
コルシカ島で借りた車の話。
窓が小さく、それぞれの角の車幅が判り難いと思いませんか? 無事だったのが不思議なくらい。
コルシカの交通手段は車しかない、と言い切れるほど
バス時間はいい加減で、鉄道は本数も少なすぎて前時代的で情けない。
そして、市民の運転はヒドイとロンリー・プラネット社のガイドブックに書いてある。
やはりロンリー・プラネット社のガイドか、マニアックな地域ガイドブックが一番だと思う。
知り合いの経営する日系本屋で、一応日本語のコルシカガイドを立ち読みしたけど、当たり前のことやそれくらい知っとるわいという程度のもので、何も役に立ちません。観光客でもフランス本土からの人たちが殆どで、挨拶もフランス語ばかり。2週間で見かけた東洋人は5組ほど。その子供達はフランス語を話していたので、おそらくパリの駐在員家族のバカンスでしょう。
えーと、車の話でした。
レンタカー屋はユーロカーという会社。受付のお姉ちゃんの英語はとても判りにくかった。やめてもらいたい発音をしていた。それでは英検も通りませんよ、と言ってやりたくなったが、もちろん言わない。日本人の英語でも英検通るしね。
「キー」として渡されたのはプラスチックのカード。
800枚も撮ったのに、その画像が見つからない。
消しちゃったのかも。
さーて、どこにキーを差し込むんでしょうか?
拙はすぐに判りましたけど、起動はすぐには出来なかった。
イグニションと思しきスペースに差し込んだは良いが、車はウンともスンとも・・・。
40度の灼熱の中、周囲のフランス人を巻き込んで、ああでもない、こうでもない。
「だから、フランスの車は嫌なんだよ」
ああ、とうとう言ってしまた。
これが拙の最初の文句だったな、確か。
でもね、フランス車に乗ったことある人なら判ってもらえると思う。
フランス車のコックピットは慣れるまでが大変なのだよ。
おまけに左ハンドルで、マニュアルで、ディーゼルで、
車輌感覚が凄く掴み難い変な形、窓も小せえぞ、コノーッ!
左ハンドルだとクラッチは右にあるのだろうかとか、ウインカーレバーはシフトレバー側なんだろうかとか、
いろんな想像力が働いたが、クラッチ、ブレーキ、アクセルそれぞれの位置は万国共通だった。
で、ウインカーレバーはシフトレバーの反対側。
英国車は同じ側なんだよな。
だから、皆ウインカーを点灯しない、と言うかシフトチェンジと同時にウインカーが出せない。
でも、コルシカでは誰もまともに方向指示器なんて使ってなかった。
おまけに道路は70年代の西伊豆並みにぐにゃぐにゃで断崖絶壁の上を走る。
「!マーク」も絶え間なく続くので、もはやびっくりしない。
石垣があるだけこの道はまだマシ。
センターラインも無くて、どうしてこの道を抜けられりょうか。
対向車が007の運転だったら怖いなあ。
確かこの道で150キロ越して運転する映画場面があったか、と。
2週間のうち、崖から転落する夢を3度見た。
でも、同乗者は昔のGFだった。すまん、元GF。
彼女を知っている貴君ら、言うなよ。彼女は美しく存命中だ。
夢の中で彼女に保険金を掛けておけば拙は金持ちになれる。
もちろん、夢の中の話だ。
運転では実際に、何度か怖い思いをした。
だって、対向車が皆カーブでセンターラインを超えて来るんでっせ。
こちらはぶつかっても非がないとは言え、
「南無参」を心の中で連発して乗り切った。
もし、右にハンドル切ったら壁か崖ですよ。
車線の幅がそれだけ狭いんです。
でも、こういうのもそのうち慣れるんですな。
数日後には、対向車線を大幅にオーバーしてくる車がいても、「ふふん」と、交わす自信がついてきました。
それと、安全を確認できる範囲内で、こちらもセンターラインをオーバーしておく方が、対向車を威嚇する効果があることも判ってきました。でも、あんな野蛮な運転はもうごめんだ。
突然、こんな奴も現れるしなあ。
ボタン鍋にして食っちゃうぞ。
英国に戻るなり、空港パーキングからマイカーで岐路に着くと、文明社会に戻ったような気がしました。
こういう牧歌的な車はけっこう乗り心地が悪いです。80年代まで製造されていたそうです。
7月27日 泊まったところパッケージホリデーというのが、英国発や欧州発の旅行の主流ですが、
その内容は宿泊、脚、食事を組み合わせたものです。
宿泊や脚の売り方には
20年ほど前からレヴェニュー・マネージメント・システムという概念が導入されました。
15年ほど前に英国航空が予約スクリーン上にその考え方を反映させたことから、
航空業界だけでなく、一気にホテル業界にも波及し、
どうしたら最も効率良く集客し、稼働率を高められるか、というシステムが一般化しました。
だから、航空運賃にも宿泊料にも、素人から見ればほとんど同じ条件の筈なのに、
たくさんの料金体系があるのれす。
例えば、同じエコノミクラースに乗っていても、
右隣の席の人はフルフェア(正規料金)を払っているかもしれません。
片や、左隣の人は里帰り便や呼び寄せ便などの割引券かもしれません。
そして、アナタはパッケージ料金で乗っているなんてこともありうるのです。
パッケージの旅行条件の厳しさはその制約の組合せゆえなのであります。
「宿泊」にはホテル、B&B、シャレーなど。
「脚」にはエアフライト、地上輸送など。
「食事」はフルボード、ハーフ、朝飯のみ、ナンもなし。
という選択があります。
それぞれの範疇で敷かれた制約や条件の組合せでパッケージが出来上がるのですが、
これは「市場の60%が満足すればいいや」という原理の元に作られています。
商品をマス・プロダクツにするということはそいうことなれのす。
さて、
拙宅で選んだのは、海岸近くのシャレーに2週間の滞在、
つまり、自炊出来る一軒家を借りるものでした。
海に近い、交通が便利、レストランやスーパーが多い、プライベートプール有、というところです。
この家の選択には大分迷いましたが、2週間を快適に過ごすことが優先されるので、
予算から食費を切り詰めてもこれが良いだろうと思われるところにしました。
過去には宿泊先の選択で失敗したことが何度かあるので、
今回は少々奮発したわけです。
以下、写真をご覧あれば、どういうところであったかお分かりでせう。 プールつき渚のバルコニーじゃ。
狭いダブルベッド。拙が占領させて頂きました。
もう一つの寝室にはベッド3つあったしね。 仰向けに寝ると足首が出ちゃうねん。
フランス人って小さいの?
風呂場にはジャクジがなかった。って、これ以上の贅沢は言いません。
暗くなるとプールサイドに現れるアマ蛙。
画像は実物の倍あります。
カジカ蛙と同じ鳴き方をするのが印象的でした。
一晩で数十匹が出没し、プール内は蛙の糞だらけになります。
でも、毎朝6時にオーナーが1時間掛けて洗浄していたので、昼間はキレイでした。
拙の立ち姿を撮ったバルコニーからの景色で目覚めます。
朝の気温は20度くらいだったりしてけっこう涼しいのですが、
朝8時までには30度になります。
岬の丘に見えるポッチが塔であります。
この塔はコルシカの最大の特徴のひとつでありますので、後日これについて語りませう。
台所は広いけど、使い難かった。洗い場がワーキングスペースから3mも離れているんす。
野菜を洗っては、ワーキングスペースと洗い場を往復すると、
かなりの時間のロスですし、床は水浸し。
大きなバルコニーが5m x 15m
寝室のバルコニーが5m x 5m
裏庭のバルコニーが8m x 5m
台所とリビングが10m x 20m + α
他は寝室2つと風呂場2つとトイレ2つ
砂と水対策でしょうか。床は総タイル張りでやんした。
9日の夕方はサッカーW杯の決勝をこのソファーに座って観ました。
街中から悲嘆の喚声が聞こえて来ました。
ジダァ~~ンン
さすが、おフランス。ビデがついております。
大の後はペーパーだけでなくこれに跨って完全に洗浄するらしいですね。
これではウォシュレットが普及しないわけだ。
疑問はどちら向きにまたがるのか、ということ。大なり小なりで決めるもんでしょうか。
で、全景がこちら。
毎食事はバルコニーでした。
クロワッサンに生ハムとサラダ挟んだ朝食を続けていたら、
数日して排泄困難に陥りました。
ファイバー不足です。
やむなく、朝食に糸寒天入り即席味噌汁を添えて対応しました。
寒天は長めの旅行で必需品です。
ジュースで寒天ゼリーも作りました。
野菜不足に寒天は便利です。
んなわけで、応援クリックをば。
7月26日 地中海テムズ川ってのは干潮河川で有名だから、
河口からリッチモンドの辺りまでけっこう見応えのある光景が広がる。
特に有名なのはテムズバリアとリッチモンドのGlovers Island辺りだろうか。
テムズバリアは北海からの高潮を避ける目的で作られた洪水除けとして知られ、
リッチモンド周辺のけっこう谷あいの陥没地や元湿地を蛇行するテムズは、
満潮時に氾濫することでけっこう有名だろう。
この氾濫はフィールドを肥沃にしてきたので、
英国人たちはこの現象を上手に利用して現在もそのまま氾濫させているから、
氾濫というのは間違いだな、と思う。でも、何と言うのか?
丘の上から眺めていると、緑の芝生がどんどん水浸しになる。
しかも、正確な地名が思い出せないなあ。
グリニッジの辺りでも干満差は5mほどあるので、
テムズのあの幅から考えると相当な潮位なんだろうな。
で、コルシカは地中海という洗面器の中の島だから、
干満の影響など受けないんだろうな、と思っていた。
これまでトルコのフェティエ、サイプラス(キプロス)、ボスポラス、バルセロナ、ポルトガル、チュニジアなどの海岸に行ったことがあるけれど、1週間以上毎日海に行ったのはフェティエくらいで、それでもあまり干満差など気にならなかった。
海に行くひとつの楽しみは潮溜まりに集まる小生物を眺めること。
あれはなんだか和みますなあ。
潮溜まりを見つけると、3時間でも4時間でもジッとして海老や蟹のゾエアや小魚を見ています。
時間切れは満潮時。
地中海にはその潮溜まりが少ないんですねん。
しかも、日本の太平洋岸と比べると、生物の種類が少ない。
英国の潮溜まりでは、生物はもっと少ないから、コルシカの潮溜まりは少し嬉しいけどね。
その潮溜まりの少ない理由は干満差があまり激しくないから、
ということも2,3日続けて通ううちに判ってきたこと。
シュノーケリングの穴場に行っても魚の種類は少ないし、
レストランに行っても魚料理は少ないし、
スーパーに行くと地元海産物は少なくて、
チーズ、生ハムの種類がやたら多い。
そもそも漁村というものが少ない。
産業も栗と酪農が殆ど。もちろん、今は観光業なんだろうけどね。
そうそう、地中海の海鮮料理ってのは観光地化が進んで、徐々に目立つようになったもんで、
地元民はあまり海産物を食べないというのが通説のようだ。
そのせいか、どうかわからんが、日本人を唸らせる魚料理なんてお目に掛ったことがない。
航空旅行業時代、年に数回添乗員をしていた頃のこと、
ローマのコース料理でバス(スズキ)のグリルが出されると聞いていたので、
1リットルの醤油ボトルを持参してお客さんに褒められた。
イタリア人給仕には「うえ~、不味そう」と、思い切り嫌な顔をされましたが、
白身魚に醤油の相性を知らないなんてカワイソウだなあ。
海に干満差があることも知らないんだろうな。
井の中の蛙ならぬ、地中海のオジサンたち。
7月25日 赤銅色だぜ
さて、この2週間の旅行を「英国と暮らーす」身としては、
どのように表現しようか、
と昨日は仕事しながら考えた。
そう、帰宅して最初にしたことがメイルのチェック。
すると容赦のない仕事と問い合わせの積み重ねだった。
メイル数はジャンクも含めて1000を超えていた。
なんだよこれ~?
泣くぞ~。と言いつつ、プラオリティをつけて整理する。
え?まだ返事貰ってないって?
間違いはつき物である。ご容赦を。
そうそう、行き先を言いませう。
コルシカ島です。
ナポレオン・ボナパルトの生誕地でやんす。
なぜ、そんなところに行ったのか?
灼熱の太陽を拝みたかったから。
本当はその費用を家の修繕に当てようとも考えていたのですが、
この鬱屈した英国の空の下に何年も居続けるとカビが生えそうな気がしてきます。
出張で大陸に渡っても空の低さは英国以下だったり、
ロンドンよりも暗かったり。
拙は大阪の夏祭り、甲子園の外野席、真夏の丸の内界隈の灼熱地獄の中を
半ズボンとTシャツの格好で歩くのが好きなのであります。
日本は、汗だくだく、ツユだくだくになる素晴らしい熱帯なのであります。
でも、もちろん会社員としてネクタイして勤務している頃、あの暑さはたまらんものでした。
その反動かどうか判りませぬが今ではVネックが好きです。
男のVネックは胸筋が充分でないとみっともないのですが、
と自慢しています。
寝室のバルコニーで息子による撮影。 午後9時日没間近
脚の焼け具合は見えんか。
旅行記と銘打って、
時系列にだらだら述べただけではツマランでしょうから、
コルシカについては、テーマ別にしておいおい語って参りましょう。
昨日はそのリストを作って、「投稿ボタン」を押した途端に
「ページが表示されません」の画面。
萎えましたが、そのまま夜中の2時ごろまで仕事していました。
さて、この続きはまた明日・・かな?
早速、応援クリック再開されたし。http://blog.with2.net/link.php?29834
4月8日 ワイト島を歩く"She's got a ticket to ride. But she don't care"
というフレーズ、ビートルズの歌で有名ですが、
改めて歌詞を見るとたいした内容じゃないですねえ。
ブンポーも間違ごうとるし。
なんでヒットしたんだろうか、と。
ところで、この "Ticket to Ride" というタイトルと歌詞、
これはワイト島の「Ryde(ライド)行きチケット」に掛けた駄洒落だそうです。
「彼女は遠くの田舎に帰っちゃうよん」というニュアンスを含ませたんですね。
ロンドンから130km離れてますから、1960年代なら結構遠い感じです。
リバプールの貧乏人の子倅だった彼らには、距離感としてもっと遠くに感じたことでせう。
Rydeの位置はポーツマスの対岸です。5日の航空写真でお分かりになるでしょう。
ワイト島の美しい面々を写真で紹介しようと思いましたが、
あいにく、4日分の写真を収納したCDが突然開かなくなりました。
よく見ると、小さなキズが・・・・。
修復の方法をこのブログの読者であるカメラマン氏が教えてくださったのですが、
リペアキットを使うとのこと。
で、PC屋に行ってみたんですが、
「これはキズじゃない。CDの質が悪いんだ。キットでは直せないから、ここに連絡してみて下さい」
とのこと。
費用を聞いたら、Maxで200ポンド(4万円)だそうです。
PC内の画像はすべて消去しちゃいましたしねえ。
どうしようかなあ。
そんなわけで、あらかじめダウンロードしておいた画像を数点、
ワイト島最西端のThe Needles Old Batteryという訪問先だけ紹介します。
これは濃霧に包まれる直前の写真
濃霧の翌日、もう一度行ってみました。
こちらの崖には7色の砂があります。
駐車場の隣にある工房では砂細工やガラス細工を楽しめます。
ガラスの色もデザインもかなり独特なので、結構楽しめます。その写真もあったのに、残念。
英国特有の白い崖。満潮時。
同じアングルから光を変えるとこんな感じ。干潮時です。 時々、下の砂浜にはアザラシが見られます。
カラスよりも少し小柄で、頭のでかい鳥。 名前は判りませんでしたが、軍艦鳥の一種か、と。
実は、ローマ時代から第二次大戦まで、軍事的要所でもあったのです。
Batteryとは砲台、要塞の意味もあるんです。
野球でもピッチャーとバッターをバッテリーと言いますね。
電池のように全体を動かす中心的存在というのが、Batteryの概念のようです。
19世紀の初めに開発された9インチ砲の発射風景。
今やフランスやドイツなどの侵略を考慮する必要もないので、
この地は景勝地として、ナショナル・トラストが所有、運営しています。
拙はこんなところにも、国家主義の終焉を感じます。
欧州統合というのは、正にその動きなわけです。
今、国家主義に躍起になっている国は中国と朝鮮半島内の一国など一部の国だけです。
彼らは日清戦争以来の「日本国家」の成功を理想にしているんですが、
権力志向の上層部は、その判断がおかしいことになかなか気づいてくれないようです。
いつまでも20年以上前のグランドマスタープランに固執するどこかの国の役人のようです。
誰が20年前に現在のIT社会を想像できたんでしょうねえ。
旧日本国家も帝国主義終焉のダイナミズムを感じ取れずに、
利権構造の変化に対応し切れずに、
前大戦に巻き込まれて行きました。
今は国家主義の終焉段階、果たしてどうなるでしょうか。
ダイナミズムを的確に見て取れるナヴィゲーターが必要とされています。
ナヴィといえば、海上交通の要所ですから、灯台もあります。
ラテン語のアルビオン(白い国)はイングランドの古名。
ドーバー海峡から英国を眺めると、この白い崖はなかなかの圧巻です。
「おお、なるほどアルビオン」とフランス側から眺める人々は叫びます。
この崖、毎年50センチずつ侵食されているとのことです。つまり、英国は沈没中?
残念ながら、ワイト島の画像はこれでオシマイ。
4万円は高すぎ。でも、これで記事10回分ほど損した哉。あーあ。
4月5日 ワイト島とは? 昨日はアップするのを忘れたわけではありません。
日本との時差が1時間変わっていることに気付かずに、
4日の記事のつもりで更新してしまったのが、3日の二つ目の記事。
てなわけで、
ワイト島の位置はこんな感じです。
ロンドン南部からフェリーの発着港まで車で2時間半、フェリーボートで20分という近さです。
航空写真で見ると、典型的なV字型フィヨルド。湾の周囲が沈没して、南西部分でかろうじて繋がっていたのに、本島と分かれてしまったことが判ります。イベリア半島以北の欧州の海岸には、こういう地形が多いですねえ。あの巨大なテムズの河口も元々はフィヨルドです。
で、この島の対岸となる大きな沈降海岸の奥にはサウザンプトン港、東端のライドの対岸にはポーツマス港があります。
商社勤務時代、どちらの港もよく使いました。仕事では、一度も行ったことはありませんが、歴史もあるし、サッカーチームもあるし、見所はたくさんです。サッカー全日本代表の川口選手がポーツマスに在籍していたことを記憶されている方も多いでしょう。
そして、それらの港が英国の要所であるだけに、船の行き来も多く、
18世紀以降、この島の周囲は船舶のひしめく海域となりました。
どちらの港に向かうにしても、このワイト島と本島との間のソレント海峡を通るか、
ワイト島の南側のキャサリン・ポイントを通るんですが、
どちらも今でも難所です。
昨日も少し触れましたが、
理由のひとつは地形と海流です。
英国の南岸に流れる海流として、一番有名なのは、
メキシコ湾流とも言われる北大西洋海流ですが、
この島が影響を受ける潮流は、
ドーバー海峡やイギリス海峡から流れる北海からの寒流のぶつかる海域でもあることから、
日に4回の干満が生じる極めて特殊な海流のメカニズムが作動しています。
晴れた日はこんな感じ。昨日は、写真のような濃霧で、ここまで辿りつけませんでした。
↓
その海流の微妙な変化を示すのはザ・ニードルズの突端の写真。
この3つの白い岩も奇岩ですが、
水平線よりも手前に白い波が見えるでしょ。
ここが海流のぶつかる地点で、時間によって微妙に移動するのです。
だから、一旦潮流に乗り間違えると、あらぬ方向に舵を取られてしまうんです。
しかも海底には褶曲した岩がこの白い岩のように垂直にいくつも突き出ているので、
座礁の危険もあるわけです。
過去には突端の2つの岩に挟まれた船がありました。
島の周囲には何百という船の残骸が今でも沈んでいるそうです。
ワイト島の美しさと危険とは裏腹なのです。
次回はその美しさなどを。
4月3日 ワイト島ワイト島とはイングランドの沖合い10km南にある島のことです。
380平方kmの面積ですが、
一説に拠ると、世界中の人々を直立させると、ずべてがこの島の中に収まるのだそうです。
英国ではIsle of Wightと呼ばれます。
ヴィクトリア女王の時代から、夏の観光地としても有名で、スポーツ施設や別荘も多いだけでなく、
イングランド南部のプライマリー・スクールの6年生(11歳児)の頃に修学旅行の目的地になるところです。
今回は、3月末から約2週間のイースターホリデーの期間のうちの数日を息子のサッカークラブチームのアレンジで練習及び地元チームとの試合合宿に参加して来ました。
息子のアクティビティは週末だったので、他のメンバーよりも1、2日早く到着して島内を観て回ってきました。
平日の旅行は道路もフェリーも空いて快適で、天気を除いては、最初からいい感じでした。
初日はNeedles Old Batteryという象徴的な場所に訪れました。
見所は岬の崖と~と呼ばれる三つの崖、そして海岸。
駐車場から霧の中を30分ほど歩いて、三つの断崖を見に行きました。
しかし、歩道は濃霧に覆われ、観光客の大勢が途中で引き返していました。
この辺りは濃霧の名所でもあるらしく、
難破船の名所でもあるんです。
もっとひどいところは、St. Catharine岬という島南の先の海で、
ワイト島の周囲は、位置的にも大西洋を渡って来た船が最後に迎える難所でした。
濃霧も難所たる所以なんですが、その海流も独特のものだそうです。
「難破船博物館」
があったりするんですが、行こうと思った金曜日はちょうど閉館日。
土日は地元のクラブチームとの試合がたくさんあるから行けないし。
でも、地元のいくつかの博物館に行くと必ず置かれているのが、「難破船コーナー」
いろいろな資料を読み込んで行くと、
難破の最大要因は日に4回もある干潮と満潮を起こす南北の海流の影響とのこと。
大西洋や地中海から来た船は必ずこの辺りを通って英国のポーツマスやサウザンプトンに辿り着くので、
難所たる所以はその交通量の多さも要因だったのだな、と判りました。
ワイト島は観光地化されていないところも多く、
自然も豊かで、美しいところだ、
と言うだけでは拙の見方にはなりません。
なぜ豊かなのか、
なぜ美しいのか、
という話になります。
路傍の石を観て、「なんだこれは?」と感じ、考える姿勢はほとんど性癖とも言えます。
ワイト島での経験、今後しばらく続きます。
6月9日 呼び寄せ・里帰り何年間か航空旅客業の仕事をしていたことがあります。 経験したのは地上職で、予約、発券、旅行企画、マーケティング、営業、空港でのアテンダンスなどですが、ひとつの会社に勤め上げれば、もっと経験することもあるので、経験としては並でしょうか。 今日は航空券の話をしましょう。 どんな航空券をご存知でしょうか? いきなり、余談ですが、航空券と旅券との区別がつかないお客さんは意外と多かったですね。 それから、航空券(クーポン)と搭乗券との区別もつかないヒトはさらに多かった。 最近はクーポンをそのまま搭乗券にしてしまうしうシステムになって来たので、お客さんには便利なことでしょう。 さて、 日英間の往来に関して言えば、航空券には3種類あります。 片道、往復、周遊というところですね。 エーゴで言うと、one way, round trip, circle trip. もっと細かい分け方もありますが、この際それらは良いでしょう。 片道航空券は往復の割引券よりも高いんです。往復航空運賃の値立ては、市場の需要によって決められるので、殆ど需要の無い片道航空券はIATA(国際航空運送協会)の決めたAir Tariff(国際航空運賃)通りの金額を適用することになります。 でも、いつの頃からか、企業が独自の値段を設定しても良いようになってから、少しずつ値引きがあるようです。 値引きの手始めは「里帰り便」「呼び寄せ便」というカタチで始まりました。 この2つの商品はリンクしています。 元々は1960年代の終わりごろ、欧日間を往復する日航機のチャーター便の運用から出た発想だったのです。 チャーター便は片道が空の状態になってしまう危険性があります。空荷で乗り物を動かすほど効率の悪い話はないでしょう。 例えば、チャーター便は、日本を出るときに欧州の息子に呼び寄せられたご両親を乗せた「呼び寄せ便」に乗るお客さんを乗せて欧州まで来ます。欧州からは「里帰り」のお客さんが乗って、一時帰国するわけです。「里帰り」のお客さんが欧州に戻ってくると、今度は飛行機も「呼び寄せ」のお客さんも日本に帰らねばなりません。と、いうことで以下のような、旅行形態と飛行機の運用になります。 日航機の往路 日 → 呼び寄せ便の乗客 → 欧 本 ← 里帰り便の乗客 ← 州 日航機の復路 日航機の往路 日 → 里帰り便の乗客 → 欧 本 ← 呼び寄せ便の乗客 ← 州 日航機の復路 以上、チャーター便の時代の話でした。 里帰り便、呼び寄せ便というコトバは1990年代始めから、安売り航空券のイメージとして他社でも頻繁に使われ始めました。これは宅急便と宅配便の違いにも似ています。ご存知の方が殆どでしょうが、前者は商標名で、後者は一般商品名です。 でも、「呼び・里」は日航のオリジナル商品なわけですから、日本でも海外各地でも商標登録されました。だって、しないと他社から使っちゃダメと言われるかもしれませんからね。でも、日航はことを荒立てたくないので、他社にダメとは言いませんでした。今、どこの航空会社も呼び寄せ・里帰りという安売りチケットを売っていますね。でも、これは本当は日本航空の戦略商品であって、単なる割引航空券ではなかったのです。 続く。 でも、どのように続けようか。専門用語を使わないと結構難しいですね。 今日も応援クリックお願いします。 http://blog.with2.net/link.php/29834 |
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