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日志


10月28日

年に一度の25時

 
今日でBritish Summer Timeが終わります。
 
25時はありませんから、夜寝る前に時計を1時間遅らせるのです。
 
 
 
 
1916年から2002年まで、英国ではどういうわけかヨーロッパ大陸の国々よりもふた月分ほど夏が長かったのです。
 
大陸ではとっくに冬時間、標準時間(GMT±)になっていたわけですが、
 
英国のサンマータイムの始まりは3月だとしたら、大陸は4月
 
標準時間の始まりが10月末だとしたら、大陸は9月末という具合でした。
 
90年代は航空旅行業の仕事をしていたこともあって、
 
夕方になってイタリア、スペインなどヨーロッパ各国の職員と電話する前には必ず時差を考えました。
 
帰宅間際に電話しちゃ悪いですからね。
 
旅慣れないお客さんのために旅行会社の方々も大変に気を使う期間となりました。
 
旅程表の時刻に時差が考慮されていなくてフランフルト発の列車に乗り遅れたとか、
 
予約していたホテルが大量の宿泊客を捌く際に、1800ブッキングと言われるルールのために、
 
夕方6時以降までにチェックインしなかったお客さんを無視してオーバーブッキングさせたバルセロナのホテルの宿泊が出来なくなってしまったとか、
 
逆に、待ち合わせ時間よりも1時間も早く目的地に着いてしまい、パリの雨の中で一人びしょ濡れで立っていたとか、
 
ローマのベンチで座って待っているうちにウタタ寝をして身ぐるみ剥がされてしまったとか、
 
この1時間の時差の違いが生んだ悲劇の数々を見聞きしましたが、
 
手配になれた旅行代理店の職員は、こういう細かいことにも配慮して旅程表を拵えるのは結構大変だったな、と思い起こされます。
 
日本から赴任して間もない同僚たちが、時間変更に気付くことなく週末を過ごし、
 
月曜日の朝の会議になかなか来ないので、電話してみるとまだ寝ていたなんてこともよくありました。
 
米国ではDST(Daylight Saving Time)と言うそうですが、それは英国でサンマータイムが採用された主旨と同じです。
 
日の出ている時間は光熱費も節約出来るわけですから、明るい時間を有効に使おうというもの。
 
先ほどからサンマータイムと述べているのは、1948年ごろの日本でも夏時間が実施され、当時の呼称がサンマータイムだったからです。
 
秋刀魚のおいしくなる頃にサンマータイムが終わるので、当時の子供達には妙に感じたでしょうね。 ・・でもないか。
 
今後、次のサンマータイムまで、拙のブログ更新時刻もGMTの午後3時以降、つまりJSTの12時以降になります。
 
今度の日曜、また息子のサッカーの試合ですが、集合時刻を間違えないようにしないと。
 
 
8月15日

在英日本人どす。

 
 
日本人であることを強く思う日は年に何度かありますが、
 
特に8月15日は「ある日本」が死んだ日でもあり、
 
「然る日本」が生まれた日でもある、とは言えないでしょうか。
 
外国生活が始まって以来、こういうことを強く意識するようになりました。
 
 
 
ところで、
 
中長期の在英経験者は、大きく2つのタイプに分かれる、と言われます。
 
憧れの英国にどっぷり漬かって、英国かぶれやフリークになるヒト
 
もうひとつは、英国に触れて、自分が日本人であることの意味を考えるヒト。
 
英国と関わった代表的な人物で、漱石、南方熊楠は後者だ、と言われます。
 
漱石は長期滞在者とは言えませんが、ご存知のように在英生活については、リアルで、且つ国粋主義的な発言をしています。或いは、メジャーを諦めて国内のプロを充実させようとした感じ・・かな?
 
ピンクと青、拙はどちらだと思いますか?
 
 
 
 
どちらでもいいんですが、拙がここで最も言いたいことは、教育でも、文化でも、我々の故国を軽んじて欲しくないことです。
 
さらに、英国でのビジネスや文化の中で、日本人があまりにも謙虚過ぎて、英国人を始めとする外国人から誤解を受けていることが歯がゆいこと、
 
日本の歴史、文化、経済などをもっと勉強して、外国人にちゃんと語れるようにしようぜ、ということ。
 
有形、無形の日本を学んで、日本人としての自信を持って貰いたいなあ、と。
 
もちろん、拙自身もけっこう判ってないなあ、忘れているなあ、と思うことはいくらでもあるのですが、
 
課題にぶつかる度に、在外邦人として何が出来るだろうか、と考えさせられるのです。
 
例えば、拙の場合、英人と太平洋戦争の話をする機会がたまにあります。
 
議論として多いのは、なぜ日本が戦争することになったかとか、敗戦国としての責任はどうなっているのか、という話になります。
 
「戦争に負けたから責任を負えと言われても、50年以上前の国家レベルのことだから、俺に言われても困る。それに、もし、お前が日本人で、同じことを言われたら、どうするんだ」
 
と返したこともあります。国際法上のケリは既についていて、そのことも判っている輩でも、こういうことを話題にすることはあります。
 
天皇はなぜ戦争責任を果たしていないのだ、という話にもなります。なんで責任を果たしていないと思うのだ、と聞き返すと、死刑になってないからだ、という人物がいました。拙はいくつかの答えを用意していますが、時節柄一番英人に「オオーッ!」と頷かれるのは、
 
「もし、天皇が死刑になっていたら、亡き天皇を神格化して、今頃日本はアルカイダよりももっと巧妙な地下組織をもった世界最高のテロ国家になっていたかもよ。想像してご覧。日本人の技術力と組織力を。戦前、戦中と、その力を支える精神的背景は、まったく変わっていないんだよ。それは超技術大国、かつての経済大国として一般の民間人が成功に導いていることがいい証拠じゃないか。つまり、神から人間へと変わった天皇制の存続が当時の日本人の心を静めたんだよ。それが国連側の戦後処理の最大の功績だったとは言えないかね。君がマッカーサーだったら、世界中を血の海に変えていたのかね」
 
この話で戦慄を覚えるガイジン方は多いです。議論はここで方向が変わり、日本の戦後の話に向かいます。それが拙のシナリオです。
 
以上は、もちろん拙の作り事です。事実に「たら、れば」を入れたら、際限ない妄想になっても、歴史にはなりませんし、実際には、戦後の日本人の精神的背景も随分変わっちゃいましたしねぇ。
 
単に、答えのバリエーションの一部を紹介したに過ぎません。でも、あながち間違いでもないと思います。
 
 
話はむしろ、なぜ日本が戦争を起こしたか、ということについては手間を掛けた長い話になることがあります。
 
しかし、この話は事実以上のことを話しても面白くないし、どこにでも書かれていることなので、このブログでは書きません。(でも、今までに何度か書きましたかね。)それは大日本帝国の行為の言い訳や正当化するものではなく、日本人が当時何を考えていたかを述べたに過ぎません。事実を書いただけで「右だ左だ」と短絡的な判断をして、このブログを意外なところで紹介するヒトもいるし・・・。当時の国際状況を見れば、日本と英国の利益関係は、ある意味でバッティングしてましたから、拙の話を聞く人の理解度を確認しながら、その辺の表現を考えて説明をする必要もあります。短文で終わらせたいブログでは、表現し切れるものではありませぬ。
 
 
また、事実を知っているだけじゃなくて、自分の意見として熟成させる手間も必要だな、と思います。事実には、そこに至るプロセスが必ずあって、その中に理論では測れない理不尽な要素がたくさん含まれています。でも、それらの経緯や結果は樹形列にして辿ることが可能だし、数式に表すことも出来る、と一見無茶なことを言う学者もいます。そういう知識の運用のことを教養と言うんでしょうかね。これも際限のない話です。
 
まあ、そんなわけで、このブログは、実際には拙の無知をさらけ出しているに過ぎない。
 
いつも一緒に遊んでくれて有難うございます。
 
実は、本日は拙の生まれた日でした。 
 
誕生日の話題にしてはエグイな。
 
 
 
 
8月14日

あな恐ろしや

 
娘が15歳になった。
 
15歳と言えば、拙が現在の身長とほぼ変わらなくなった年齢だ。
 
中学校では3,4番目くらいの背の高さだったので、
 
でかいと言えばでかかったし、態度も表情もマセテいたそうだ。
 
他校の生徒にメンタを切られても、ほとんど相手にする必要もなかったのは体格のせいかも。
 
一方、娘は反抗期の割には大人しいし、ちんぷんかんぷんな口答えもしない。
 
こんなに手間の掛らない娘もいないのではないか。
 
こんなことを我が事に振り返ると、「母さん、ごめんよ。面倒くさい息子で」
 
と反省したくなる。
 
拙は父を7歳で亡くしているので、母と兄に育てられた。
 
150cmの母を追い抜いたのは12歳頃だっただろうか。
 
子供が育つのは嬉しいが、やたらとでかくなるのは嫌だろうな。
 
兄も大きくなる弟がちょっと嫌だったそうだ。本当はかなり嫌だったろう。
 
拙が神のように崇め、慕っていた兄は、拙が背を越した頃には普通の人に見えた。
 
反抗期とは、身体が大きくなっただけで、背景のない自信から、
 
あるいは大人に仲間入りする不安から、生じるものではないだろうか。
 
かつて、中学生に勉強を教えていた頃にそう感じたことがある。
 
児童心理学や教育心理学でもそういうことを学んだ気がする。
 
幸い、娘は170cm前後で止まりそう。 その身長が彼女の人格に影響するとは思われないが、
 
お母さんに似て脚が長いんですね、とか、背が高いんですねと日本人に言われるが、
 
どちらも牧歌的遺伝要因であって、英国人であるからではない。
 
褒め方が気に食わないし、いささか複雑な気分。
 
息子の場合は、赤ん坊の頃、「標準より小さいんですが・・・」と妻が医師に尋ねたところ、
 
「ご主人が日本人なら、しょうがないよ」
 
妻は、「主人は英人よりも大きいです」
 
拙の血筋は妻の血筋よりも全員が背高である。
 
「英人だから・・・」「日本人だから・・・」と思い込むのは偏見とは言わぬまでも正しくないかもね。
 
ともあれ、娘はそろそろ体格も落ち着きだす第二次性徴の時期。
 
15年前は拙の片手の上に乗っかっていた我が子がこんなに大きくなるのも、
 
にょきにょき伸びて女のカタチになるのも、
 
なんだか嬉しいような、寂しいような・・・。
 
ボーイフレンドは・・、旦那になる奴は・・・、どんな奴だろう?
 
などと、ちょっとだけ考えるようになってしまった。
 
まあ、どんな奴でも娘が選んだのなら良いんだけどね。
 
共学なので、男友達はたくさん居るけど、本当に友達の域を出ていないようだし、
 
異性に興味ないのは、同年齢の頃の妻と同じらしくて、色気がないのも同じ。
 
色気は生活に関係ない、と言うとストイックな感じがするけれども、
 
長い婚姻生活の中で、色気はあまり重要な機能ではないかもしれない。
 
然(さ)すれば、娘に付く虫は血を求める蚊ではなく、
 
寄生虫よろしく、心の中までちゃんと踏み入ってくれると有難いな、と。
 
例えば、サナダムシ。
 
オペラ歌手、マリア・カラスは自ら体内に受け容れて、20キロのダイエットに成功したとか。
 
いやいや、本旨から外れた。しかも、例えが悪いか。
 
毎年のことなので、備忘録として記すこともなかったか。 
 
 
 息子が作った誕生日ケーキ。プレゼントを買いたくなかったから作ったそうです。
しかも、ロウソクが足らないし。
 
 
 
ランキング下がりすぎなので、もう外そうか、と。
 
 
 
8月9日

休暇?

 
 
日本はこの時期休みですか?
 
アクセス数もかなり減っているようだし、常連さんも少ないので、たぶんそんなところでせう。
 
では、拙も出し惜しみで記事を書きます。
 
どうせ、一気に書いたって長くなるだけで有り難味もないでしょうからね。
 
で、話の最初は最近当ブログで出てきた「小尾瀬」
 
拙は尾瀬が大好きなんす。
 
あんなに美しいとこはあまりないでしょう。
 
初めて行ったのは、21年前の7月はじめ。
 
会社サボって、英人のGFと二人で行きました。
 
単調な道中にめげそうになりましたが、当時、拙はゼネコンの社員だったので、先輩たちの苦労を思えば、何のこれしき、と思ったかどうか・・・。
 
で、行ってみるといろいろな情報板が出ているじゃありませんか。
 
なんだ。尾瀬ってそういうところだったの?と自分の会社との関係まで知らされる思いでした。
 
で、その時はエコロジーについての認識を強く持つ、1980年代としては前衛的な意識でした。
 
さらに、年月を経ていろいろと情報を重ねるうちに面白いことも判ってきました。
 
そのひとつは、駐日英国大使館と尾瀬との関係です。
 
この続きは明日・・・かもよ。
 
 
 
8月1日

妻誕

 
 
コルシカからちょと外れた話題、 
 
 
年に一度はそういう日がある。
 
夫誕もあれば、娘誕息誕もある。
 
むすめだけ3文字なので、語呂が悪い。
 
つまり年に4回も祝い事をしなければならない。
 
誕生日は西洋文化ではとても大事にされるから、
 
正直なところ、誕生日文化を持たない拙には面倒にしか思わない。
 
何しろ、拙は妻には毎日感謝しておるからな。わはは・・・。
 
 
妻、娘、拙の3人は皆ライオン座である。
 
横浜天王町にある3本立て映画館のことではない。
 
子供のころ、300円で6時間以上、
 
あの冷房の効かない映画館で夏休みは何度か時間を潰したものであるが、
 
あそこで最後に見た映画は「華麗なりギャツビー」であっただろうか、「にゃっぽん沈没」であっただろうか。
 
ライオン座というと映画館の安っぽい印象になるので、ここはやはり獅子座としよう。
 
息子だけ獅子座から漏れたのは、単に着床のタイミングの違いだった。
 
息子は、明るい家族計画から外れて、秋の生まれになってしまったのだ。
 
幸い、息子は一番朗らかで明るい性格をしている。
 
でも、息子の星座が何であるのかを知らない。血液型も知らない。
 
これでは親ばかではなく、単なるバカな親かもしれない。
 
しかし、子育ての大勢には影響がなかったので、良しとしなければならない。
 
親は子供のことを、心の中を、意外に判っていないものだ。
 
そう、だから謙虚であるべきだ。
 
 
 
実は、妻は公立の進学校であるグラマースクールの出身である。
 
英国内でも10指に入る学校で、昨今でも卒業生の30%以上がOxbridgeに進学する。
 
日本で言えば、東大にやたら進学する公立高校のようなものか。
 
妻の両親は娘が勉強がよく出来ることは知っていたが、16歳でどこに就職させようかと考えていたらしい。
 
そう、英国のセカンダリスクールとは11歳に入学し、18歳までが就学できるのだが、
 
16歳で止めることも可能で、無試験入学校の場合は大半がその16歳で就学を終える。
 
だが、グラマースクールの場合は、18歳まで就学する方が普通だ。
 
妻の親友カレンは18歳まで学校に残って、医学部に進むと言い出した。
 
カレンの両親は妻の両親と仲良しなので、娘達の成績をよく知っていた。
 
妻とカレンは常に1位、2位だったそうだ。
 
 
妻の級友達は割りと成績が良く、皆進学の話をしていたが、
 
妻自身は16歳で学校を辞めて働くつもりでいた。
 
しかし、15歳の時のOレベル(現在ではGCSE)の成績が発表されるに至って、
 
進学希望していなかった妻の両親は校長から呼び出しを受けた。
 
答えるのは決まって母親である。
 
「本当に就職させるつもりですか」
 
「ええ、もちろん。女の子ですから」
 
「でも、この女子校からは多くの大卒者や著名人を輩出しているのはご存知でしょう」
 
「知っていますけど、うちは貧しいですから」
 
「大学の授業料は国庫から負担されますし、アナタの娘さんなら企業奨学金がもらえます。是非、得意分野で大学に行かせなさい」
 
1970年代は英国と言えども女性の社会的地位とはこんなものである。
 
どんなに優秀な女性でも、裁量や権利など無きに等しかった。
 
この場合は娘のことを理解していない、というよりも両親達は娘にアドバイスできる選択肢が限られていたとも言える。
 
果たして、我々夫婦も子供達のためにどんなアドバイスが出来るだろうか、と少々不安になる。親は子供の人生に大きな影響を与えるので、我が子を知ろうとするあまりに、思い込みが先行して彼らの人生を窮屈にしてしまいはしないだろうか、と考える。そういうときに、ちょっと引いた関係を持つと良いのかな、という意味での謙虚さは拙の場合に限って言えば求められるのかもしれない。
 
 
 
まあ、そんなわけで、妻はグラマースクールと大学を主席で卒業し、
 
華々しい職歴を持つと世間一般には思われています。
 
結婚も華々しかったかな。あはは。
 
そんな妻の誕生日、また和風レストランに行って参りました。
 
ZUMAと同じ経営者のレストランROKAです。
 
 
 
 
 
クリックすると詳細が判ります。
 
 
メニューが結構違うんですね。
 
ラムチョップの八丁味噌がなくて残念でした。
 
それぞれおいしいんですが、ポーションが小さくて、いつまでも食べた気がしないので、妻は手巻きを2本、拙は白飯とキムチを注文しました。キムチはイマイチだったな。
 
最後に駄目押しのデザートメニューが来ました。
 
焼酎にnatural aphrodiacという但し書きがついています。
 
意訳すれば、「エッツにさせるのみもん」
 
やはり、食欲の次の欲望とはこれなんでしょうか?
 
我ら夫婦、こういうのはもう関係ないね、
 
という年齢になってしまったようです。
 
ねえ、ばあさんや。
 
好々爺。
 
 
 
6月29日

ウィンブルドン・さーやか(?)写真集

 

 本日は2本立てサービス。

 

 

 

 テニスの2週間、ウィンブルドン界隈はいつもと違う雰囲気になります。

 

客待ちのタクシーもロータリーには入れない。

 

 ここから、2.50ポンド支払ってバスに乗っちゃいます。

 

片道2ポンド、往復2.50ポンドって小ずるい値段設定。

 

で、並ぶ道筋がChurch Road

 

 

並んでいると、サンバイザーやラジオのおまけつきの新聞の売り子が行ったり来たり。

他にも、チョコレートやトフィーの試食、香水の試供品、ごみ収集のお兄ちゃん、

ケータリングの注文などがやってきます。

 

 

 

 27日のこの日は有名選手が多いにも関わらず、入りのピークは遅かったようです。

 

拙は並び始めが9時40分でしたが、11時には入場していました。

 

で、中はけっこうガラガラ。

 

こんなに早かった入場は始めて。

  

 

 

それもオーガナイズが功を奏したのでしょうか。

 

歩道橋を渡る前にセキュリティチェックがありました。

 

この後はあまりの人ごみの無さに拍子抜けです。

 

 杉山の試合を見ているときに話した日本人親子はわざわざNYから来ていました。

 

朝7時半から並んだそうですが、

 

拙の状況を伝えると少々お疲れのようでした。

 

明日、つまり28日はもう少しゆっくり来ようと仰っていましたが、

 

逆に28日は9時過ぎに並んだ人が入場できたのが12時半だったそうです。

 

でも、試合が始まるのが12時だから大勢に影響は無い。

 

 

 

 

今年から、審判員とボールボーイ・ガールのユニフォームが変わりました。

 

懐かしのマッケンロー・スタイル?

 

何のイベントかは聞けませんでした。

 

 

 

会場に隣接するアパート。

 

どうせ見えるのだから、と割引があるそうです。

 

でも、うわさに過ぎません。

 

 イケメンの男子プレイヤー、マリオ・アンチッチ(クロアチア)

 

試合中、何度も腰痛マッサージを受けていました。

 

下にもうひとつ写真記事があります。

 

明日はウィンブルドンから話題が離れる予定ですので、

 

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ウィンブルドン・オタク様的写真集

 

2006年ウィンブルドン・テニスの写真集第一弾、

 

なんてね。

 

 ヘンマン・ヒルに象られた花壇。

  

 

 

 

 杉山とCavadayの試合はゲームカウント5対4から。

 

ボールガールの服装も従来の緑から青に替わりました。

 

 

 

 一本取った後の杉山。

 

彼女のテニスに対する姿勢は、

 

トレーシー・オースティン、スー・バーカーなど多くのコメンテイターから絶賛されています。

 

古き良き日本人の姿勢や在り方を彼女に感じるのは拙だけせうか。

 

 

 

 スピード、力、走力は杉山を凌いでいたNaomi Cavaday、

 

正確さを備えたら、さらに良い選手になるでしょう。

 

彼女の地元はケント州のBexleyというところです。

 

昔、棲んでいたところに近いので、なにやら身近に感じます。

 

17歳のマジメそうな娘さんです。

 

インタビューでも言葉がしっかりしていました。

 

将来、きっとメジャーな選手になると思います。

 

 

 ↑

これはアサゴエ-キリレンコ戦での座席から。

 

●×新聞のカメラマンの背後から撮っちゃいました。

 

 

新聞社カメラに映っているのはキリレンコ。近影でも帽子がねぇ。 右は借り物。

 

 

アサゴエに2度も文句を言われた線審。

 

拙もライン上に居たから彼の誤審は明らかに判りました。

 

 

一本とって、ちょっとハッピーなアサゴエ嬢。

 

この試合、結果的には世界ランク17位の選手からの金星でしたが、

 

第二セットでは5ゲームからかなりの追い上げにあいました。

 

4ゲーム続けて取られたので、アサゴエ嬢も悶々としていたと思います。

 

彼女に「しっかり」と声を掛けようとしたら、

 

つい、「頑張れ」という声が出てしまいました。

 

頑張っているのに、頑張れはねえだろ。

 

でも、多くの邦人が拙に続いて「頑張れ」と、

 

やっぱ、頑張れで良かったんだよ。

  

 

 連写一発。アサゴエ嬢の会心のサーブ。

 

アサゴエ嬢の次の相手はタイ人タナスガーン嬢、

 

28日の第4試合、第2セットが5-5で日没中止。

 

続きは29日の第二試合。

 

この続きもまた楽しみだなあ。

6月28日

英国でのシャーワセ

 
 
やはりこの季節は最高の英国。
 
 
 
植生も勢いづき、庭はどこも満艦飾と言わんばかりに花が咲き乱れる。
 
その花々はウィンブルドンの周囲や中にも彩を添える。
 
花と言えば、日本女子テニス選手たちの活躍は目覚しい。
 
カノジョタチ、なんでそんなに凄いのよ。
 
もりがーみ、すぎゃーま、あさごーの3名は2回戦進出。
 
惜しくも敗れたナカミューラ・アイコ選手はセットカウント1対2だった。
 
 
 
変な表記をすんなって?
 
英人たちが発音するとこんな感じになるです。
 
アサゴエの場合は、最初の頃こそ、主審も気をつけて発音していますが、最後の方はアサゴーになっていました。
 
いやー、この審判を見ていても、突っ込みどころがたくさんあるですなあ。
 
アサゴエ選手はラインズマンの判定に2度ほど不服を申し立てていましたが、拙は正にそのライン上正面に座っていました。微妙な判定5つのうち、明らかな間違いが2つありましたな。
 
まあ、それでもアサゴエ嬢は勝ちました。世界17位の美女マリア・キリレンコンちゃんを下してしまいました。
 
アサゴエ嬢もお目目ぱっちりですが、今後は美女殺しと言わせて頂いても良いものかどうか。
 
アサゴエ-キリレンコンの試合のオーディエンスは会場のキャパを越えてかなり多く、
 
美女遊山と撮影オタクの集まりだったかもしれません。
 
はい、拙も撮りました。 しかも連写で。
 
日本のプレスもキリレンコとアサゴエとの二手に分かれての撮影です。
 
拙はアサゴエ選手の応援に参りましたので、
 
遊山でもオタクでもありませんが、
 
結局、どちらもしていたような気がします。
 
写真もたくさんあるので、編集整理しなくては。
 
で、今日はこれまで。
 

 
 
 
6月27日

全英芝庭球及びクロウケー倶楽部

 
初めてウィンブルドンにテニスを見に行った時、
 
All England Lawn Tennis and Croquet Club
 
とあちこちに書かれていたので、ちょと戸惑いました。
 
テニスとは書いてあるけど、クロウケーはとりあえず関係ないもんなあ、この場所でええんだろうか、と。
 
トラムと地下鉄とナショナルレイル、そしてバスサービスが渾然としたウィンブルドン駅周辺からWimbledon Hill坂を上ること15分、Church Road坂を下ること5分、
 
長い列の最後尾に着きます。
 
全部で6000名入れるとのことですが、実際にはもうちょっと入れると思います。
 
配られる整理券の番号が6000番台でも昼までに入れたことがあります。
 
並んでから入場まで3時間ほど掛るので、
 
時間をつぶせるものを持っていくか、
 
列の前後のヒトと仲良くするか、
 
どちらかです。
 
当日の新聞や、当日の試合スケジュールを持っていくと、
 
それが周囲の話題になります。
 
途中でトイレに行きたくなっても、周囲の人たちと仲良くしておけば、
 
「ここ取っといて」と頼めます。
 
二人連れが一番良いんですが、
 
拙の場合は誰を誘っても一緒に来てくれません。
 
理由は、
 
「えー、並ぶのやだぁ」
 
拙は、
 
「えー、高いお金払うのやだー。センターやNo.1などはどうせインタラクティブで見られるし、一緒に並んでいる知らないヒトと無責任な会話を楽しむのが好き」
 
昨日、一番南側にある観客席付の13番コートで、すぎやーま嬢と英国の新人Naomi Cavadayという選手が対戦しました。
 
なんと、このCavaday選手は1989年生まれです。
 
 
今年は90年生まれの選手が出て来ます。
 
試合はすぎやーまの5セット、Cavadayの4セットゲームで降雨サスペンドになってまいました。
 
4-0から見ていたのですが、5-1からCavadayがその若さとスピードで追い上げました。
 
今日はどうなるでしょうか?
 
拙は仕事を兼ねて見に行くつもりです。
 
 
昨日は、もうひとつ、アサゴーエ嬢も強敵マリア・キリレンコンとの試合が予定されていました
 
 
マリア選手はシャラポヴァと同じ87年生まれ。
 
他にも森上選手や中村選手が出ているんですね。
 
 
え、女子選手ばかり追いかけているって?
 
だって、日本男児、出場しないんだもん。
 
しょーがないじゃないですか。
 
 
 
男子はティム・ヘンマンを応援しています。
 
日本では意外に知られていないようですが、英国テニスの英雄です。
 
ウィンブルドンまで観光に来た日本人夫婦が、ヘンマンを知らずに、
 
「写真撮ってください」と、彼にシャッタを押させるのが、最近の人気CM。
 
それはRobinson's という薄めて飲むジュースのCMでした。
 
日本の皆さん、このジュースも知らないよね。
 
1855年操業開始の麦芽飲料なんて言っても、
 
冷茶の好きな日本人には、
 
知らなくても良い英国もあるのです。
 
 
ヘンマンも拙も妻帯者ですが、応援してください。
 
 
 
 
 
 
6月23日

夏至でした

 
6月21日は夏至でした。
 
って、今更ですが、英国が「夏だなー」と一番感じられる日です。
 
カムチャッカ半島と同緯度ともなると、
 
この時間でもこんな明るさです。
 
 
 
太陽は真横にじわじわとスライドし、日没は21時20分、
 
でも、10時になってもまだ明るい。
 
拙宅の南西側は山側なのでちょと暗いですが、
 
 

 
北東の空もまだ明るい。
 
 
ところで、 
 
20日の午後、息子のクリケットの対外試合があったので、それを見ていると、
 
息子の同級生のお母さんが拙の傍にやって来て、
 
例によって彼女の息子キャスパーの自慢話が始まりました。
 
このおっかさんのスポーツ好きと負けず嫌いも相当なもので、
 
拙はいつも相槌を打つだけで、会話が成り立ち(?)ます。
 
まとまりの無い話は彼女の翌日の予定まで及び、
 
「明日はアスコットに行くの」
 
「じゃあ、帽子はあつらえたの?」
 
「もちろんよ。毎年、コンデュイットの同じ店に頼んでるわ」
 
実は、彼女、(貧乏)貴族です。 
 
まあ、子供達を私立に入れるくらいの甲斐性がある程度の資産はあるようですが、
 
生徒名簿にはそのタイトルもMr.やDr.ではなしに、
 
"The Hon "と載っています。
 
でも、本屋ではありません。 The Honorableの略です。
 
最近じゃ、勲位とか、爵位を示すのは恥ずかしいことだ、と隠すヒトも少なくないんですけどね。
 
「階級制や紳士クラブは英国の恥部だ」と言い切るヒトもいるです。
 
彼女の場合、拙にファーストネームで呼ばせますが、そのタイトルに固執することは、家系の強い影響でもあり、ある種の生き甲斐のようです。
 
" The Honorable"は世襲のタイトルですが、伯爵だか男爵だかの次代限りで、彼女の息子キャスパーには受け継がれません。
 
 
あー、こんなこと知っていても腹の足しにならん。
 
 
 
 
  で、
 
 
アスコット競馬は、1711年来の歴史を持ち、王室が主催する夏のイベントです。
 
誰でもチケットを買えば参加可能ですが、キャスパーの母上のような貴族には特別な枠が設けられています。詳しくは、アスコット競馬のURLをご覧下さい。って、誰も興味ないでしょ。いや、拙はありません。人生賭けてっから、小額の賭け事に興味ないのです。あはは。
 
 
 
賭け事なのに、
 
競馬新聞も馬券も散らかっていないし、
 
やけ酒飲んでクダ巻いているおじさんも
 
いませんが、
 
この競馬場に参加するには、
 
貴族といえども、
 
ドレスコードがあります。
 
 
 
以下、
 
女性のものだけ取り上げてみませう。
 
 
 
 
 
 
 
                     エドワード王子の奥さん、ソフィー伯爵夫人
               こういう聡明な顔立ちがいいなぁ。
 
 
Royal Enclosure Dress Code
 
Ladies are required to dress in a manner appropriate for a formal occasion. This means that: a hat must be worn; strapless dresses are not permitted; midriffs must be covered; and trouser suits, of full length, must be of matching material and colour.
 
今時の流行のベアトップなどで肩を露にしたり、ヘソだしルックはいかんのですね。
 
特にここでの女性の帽子の競演は有名です。
 
 
恥かしさのあまり俯く?旦那?                 年齢に奇抜さは無関係。 
頭は蹴られる部分でしょうか?  
 

ストローは自前ですか?
それとも割り箸?
ウィンブルドン前のクルニコワ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アスコット競馬場をモチーフにしてみました。
 
 
 

                                 
          
   フライング・スコッツマン
              のレース結果?
 
夏の風物詩 ロイヤルアスコットは24日までです。
 
来週からウィンブルドンじゃん。
 
仕事になんねえー。
 
スギャーマ嬢や朝声嬢の応援に駆けつけなければ。
 
 おとなしめの帽子?
 
 
誤審に「オバサーン」などと言ってはいけませんよ。それは拙か。ぬは。
 
 
 
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6月16日

1926年生まれ

 
 
手塚治虫、ロジャー・ムア、星新一、マリリン・モンロー、
 
小柴昌俊、安野光雅、菅井キンという方々が、
 
女王陛下エリザベス2世と同じ年齢です。
 
昨日は国と旧連邦国を挙げてのセレモニーが聖ポール大聖堂で行われました。
 
各国のアングリカン・チャーチの司教や国王などもスピーチしていました。
 
有色人種が目立って、とても新鮮な感じがしました。
 
英国の在り方がいろいろな意味で変化していきているのが伝わってきます。
 
 
 
一度だけ叙勲式で接近遭遇したことがありますが、
 
女王陛下はちっちゃくて、健康そうなカワイイおばあちゃん
 
でおはしました。
 
拙母とほとんど同じ年なので親しみも湧くのですが、
 
パステルカラーのスーツを着て、
 
いつも微笑んでいる女王陛下を見るにつけ、
 
いつも病んでいる母を思い出しては、
 
もう少し良い生活をさせたいないなあ、とも考えちゃいますな。
 
 
 
ところで、この女王陛下の誕生日っていくつあるかご存知?
 
本当の誕生日は4月21日ですが、
 
公式誕生日ってのは、いくつかあると思われているです。
 
なぜ?
 
と言うと、女王はUnited Kingdomだけの元首ではないからです。
 
British DominionやCommon Wealthという
 
連邦国内でもかつては(今も)元首だったりした(する)から、
 
それぞれの連邦内で誕生日を記念式典として行う都合があるです。
 
実際、オーストラリアのある地域では独自の公式誕生日を10月に設定して祝います。
 
女王陛下の誕生日はその国の現在の在り方を示す国威発揚の場でもあるですな。
 
英国内の公式誕生日には、
 
Trooping the Colourという軍隊の行進が毎年6月の土曜日に行われますが、
      
クリックすると、出る。何が?
  
 
これは王室軍が女王陛下の誕生日を祝うために設定された日で、毎年異なります。
 
この行進を見ていると、「ああ、英国を守る軍隊が居るなあ」と実感します。
 
それは安心感だったり、気が引き締まったり、立場によって様々なようです。
 
で、今年の公式誕生日は6月17日です。
 
 
 
 
 ところで、
 
こちらはどなたかご存知?
 
女王陛下の若い頃ではありませんよ。
 
とても似ているけどね。
 
答えはまた明日。
 
明日も王室関係・・・かな?
 
 
 
今からサッカーW杯の英蘭戦が始まるので、
 
英国中が静かです。
 
 
応援しやう。

 
 
 
6月9日

油断

 
まだ陽があるので、
 
と、夕食後に濃い緑茶を啜り、机の上の仕事を眺めながら一休み。
 
啜っているうちにふと気づく。
 
もう21時過ぎている。
 
これじゃカフェイン効いて眠れないじゃん。
 
で、そのまま夜更かしをすると、
 
4時には明るくなる。
 
こうして時々寝そびれるのである。
 
疲れの溜まったそんな日に限って忙しかったりするので、
 
食後の8時ごろ、ついうとうと・・・。
 
9時ごろ目が覚めて、また仕事に取り掛かってしまう。
 
明るさは時刻の誤認を招き、生活を乱す。
 
これを油断と言わずして、なんと言おう。
 
 
ところが、
 
英人たちはこの明るさの使い方に慣れている。
 
ティーンになる前の子供達は夜7時には寝て、朝は7時か8時まで起きて来ない。
 
実際、我が子たちもよく寝てくれたから楽だった。
 
日本に住んだ頃、寝る時間がちょっと遅くなったのはテレビのせいかな。
 
マンガが終わって、風呂入って、
 
寝るのは8時半ごろになったけど、それでも長い睡眠を取ってくれた。
 
英人は子供の頃、既にこの時間の使い方に馴染んでいる。
 
 
 
英国の大人の例を挙げると、
 
仕事を終えたお父さんたちは5時きっかりに退社すると、
 
6時には家に着いて、簡単な食事を済ませると、庭仕事やDIYを始める。
 
夏至の頃なら暗くなる直前の10時まで続ける。
 
その成果がイングリッシュ・ガーデンになるわけだが、
 
そんなことを好きでやるようになるのは50歳以上になってから。
 
それ以前の年齢でもやらないと庭は荒れるので、仕方なく・・・。
 
仕事よりも庭仕事やDIYで疲れた彼らは、
 
ちょっと元気が残っていれば、近所のパブに1杯だけ飲みに行ったり、
 
自宅の食器棚から安い瓶入りのビターを取り出し、ソファに寄りかかるなり寝てしまう。
 
 
 
昔、と言っても1930年代までの英国の住宅街には、
 
あれ?と思うような並びに必ずパブがあったもんよ。
 
家並みを見れば、建築の時代も判る、ということ。
 
パブは、テレビのない時代以前からオトーさんたちの避難場所だったんだねえ。
 
英人のライフスタイルって悪くないよな、と思っても日本人のオヤジにはなかなか真似できない。
 
あれ?、表題と関係ない終わり方になっちゃった。
 
 
 
 
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6月8日

ガーデナーズ・ワールド

 
 
 
 
 
5月4日の記事でも紹介しましたが、
 
6月14日から4日間、バーミンガムのNECで、
 
王室植物園芸協会(以下RHS)主催のガーデン・ショーが開催されます。
 
その中で、妙子・マーヴェリーさんは、RHSの依頼で、
 
花アーティストとして、花の造形物を展示されます。
 
下の画像はその一部を送って頂いたものです。
 

 

 
 
 
拙にはよく判りませんが、
 
これをご覧になって、「ハッ」とした方、
 
考えさせられた方、
 
何だろうと思った方、
 
意識の高まった方々、
 
つまり、どなたも是非お越し下さい。
 
拙は17日に行くかもしれません。
 
チケットは当日でも買えるようですが、並ぶ時間を節約する意味で、前売りをお奨めします。
 

 
 
 
 
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5月4日

夏が来た、庭に来た

 
イースタ祭は太陰暦で設定されているので、
 
太陽暦3月の終わり頃になる、
 
と言うと、イエス・キリストの復活日が不定である理由がはっきりするでしょうか。
 
ようやく天気の安定し始める英国ですが、
 
この頃になると、ようやく重い腰をあげるお父さんたちが芝刈りを始めます。
 
毎週末はもちろん、平日の午後7時過ぎにはどこからともなく、
 
芝刈り機のモーター音が聞こえてくるようになり、
 
「ああ、夏だなあ」
 
と実感します。でも、本日の最高気温は15度。夏かよ。
 
 
 
 
そんな夏に向けて、数々のフラワーショーも開催されます。
 
お友達であるフラワー・アレンジメントのアーティストでもあり、講師でもある
 
妙子・マーヴェリーさんは、
 
花を通じて、歴史や文化の日英差やその相違の楽しみ方を語らい、且つ教えて下さいます。
 
我々日本人は「いけばな」という崇高で、且つ卓越した花文化を持ちながら、
 
つい、手軽なフラワーアレンジメントに心が向いてしまいます。
 
ご存知のように、いけばなは室町時代にまで遡ることが出来る日本の伝統文化です。
 
一方、フラワーアレンジメントは、20世紀初頭にコンスタンス・スプライが創始した活け花技術です。
 
 
 
先日、ロンドンの超一流ホテルの玄関先に、直径1.5mの巨大なアーン(鉢のような花瓶)の上に5mの高さのアレンジメントを施すフラワー・アーティストと話す機会がありました。
 
「我々がいけばなからアレンジさせてもらったものはたくさんあるが、いけばなが英国のフラワーアレンジメントから学ぼうとしないのは残念なことだ」
 
拙は思わず噴き出し、彼に言いました。
 
「フラワーアレンジメントが、いけばなにモノを教えられるほど成熟してないってことでしょ」
 
そのアーティストは「あっ!」と言葉を失って、拙にいけばなのことを尋ね始めました。
 
アーティストって、才能が先行しますから、勉強不足でもなれる場合があるんかな。
 
 
 
 
 
いけばなの師範でもある妙子さんに、
 
この話をすると、微笑んで、
 
「アナタも私も、日英のダブルカルチャーを知っちゃっているから、シングルカルチャーの人間の言うことなんかすぐ判っちゃうのよね。何がリアリティで、何がインタープリテイションか。例えば、日本人の考える日本と、英人の考える日本とは違うものなのよ」
 
こんなことをさらりと言いのける御仁を、師と仰げる教室の方々が羨ましいですね。
 
妙子さんの学校は、
 

”TAEKO MARVELLY'S SCHOOL OF FLOWER ARRANGEMENT”

 

で、検索可能です。リンクするとmsnに叱られそうなので、あしからず。

でも、、試しに↑の校名をクリックしてみたら? 

 
 
 
 
昨今はフラワーショーもかなり増えましたが、
 
一番有名なチェルシーのフラワーショーの主催者は、もう10年以上前からどこかの地方で開催したいと考えているらしいのですが、それが出来ない事情があるんだそうです。
 
その理由の一つは、日本からのプレッシャで、「フラワーショーはチェルシーに限る」と思い込まれているそうです。やはり、「秋刀魚は目黒に限る」んでしょうか。でも、日本でこの種の伝統文化や文化傾向が流行りだすまで、必ず時差があるんです。
 
今、英国で主流になっている言葉のいくつか、例えば、animal welfare, confort foodという言葉はおそらく日本のメディアに載るまでに少なくとも3年から5年は掛かるだろうと思います。あるいは10年かもしれない。
 
でも、それが遅れているとか、ダメだとか言うつもりはありません。日本は日本であって、英国ではないだけの話です。むしろ、日本のものが英国に伝わるには、もっと長い時間が掛かります。カラオケなんて何年掛かりました?そして、いまだに英人たちのその使い方は、日本とは大きく異なるし。
 
ダブルカルチャを知るというのは、その国に対する幻想やインタープリテイションを学校の勉強のように現象としてホンワカと傍観することではなく、リアリティを直視し、体感することから始まります。そして、両者の認識のギャップを埋めることで、公正な表現や態度が可能になるのです。
 
カラオケの例のように、ダブルカルチャを把握する姿勢は英人にもほとんど出来ていません。それどころか、彼らは英国で独自の和文明を認識し、独自の和文化を創出しています。
 
日本人を招くのに玄関先で銅鑼を鳴らすなよなあ、とは拙の言葉ですが、
 
妙子さんは花アーティストとして、同様のことを強く感じるそうです。
 
そんな妙子さんの作品が、RHS(王室園芸協会)の依頼のもと、お披露目されます。来る6月14日から4日間、バーミンガム駅に併設したNECで、RHSが主催するガーデナーズ・ワールド・ライヴというイベントが行われます。 まだチケットは買えると思います。
 
 
妙子さんの作品がRHSの肝いりで出展されることは、花を通じて、日英を超えた個人のアーティストとして、世界的に認められている事実そのものなんです。
 
どうぞ、お見逃しなく。おそらく、拙も一日だけ行きますので、会場でお目に掛かれるかも。
 
妙子さんと話しているであろう、大柄な香港マフィアは、たぶん拙です。
 
日本語で話しかけてください。
 
 
4月27日

父の命日

 
 
1968年の今日、父はこの世を去った。
 
38年も前なんだな。
 
すげーって、誰でも年を取るのは当たり前。
 
しかも、現在の拙の年齢と同じ年齢で亡くなった。
 
身体中に転移した癌は2年間の闘病生活で、188cmの大正男をかなり縮ませてしまった。
 
父の姿と、匂いと、家族で介護したことを今でも思い出す。
 
あれは絶望的な状況だったなあ。
 
この場で詳しく語ると皆引くだろな。
 
当時、丸山ワクチンの開発途中であったことなどは中学生になってから判ったことで、
 
その無知さ加減は怒りへと換わり、
 
父の死は我ら兄弟を医師の道に向かわせようとした。
 
しかし、何かが狂って、高校時代に二人ともその道から外れた。
 
今思えば些細なことだったし、
 
軌道修正は出来なかったものだろうか、
 
などと少しだけ後悔している。
 
でも、医師は我ら兄弟には向いていない、とも思った。
 
絵画も、声楽も、運動も学生時代には、ある程度のレベルまで行ったけど、
 
どれも職業に出来る自信は兄弟ともに持ち合わせなかった。
 
たぶん、我々兄弟は学力にも自信を持っていなかっただろう。
 
で、とりあえず勉強してサラリーマンになったわけだ。
 
それは母の望んだことでもあったし、楽で安易な選択だった。
 
やりたいことをやっている人たちは輝いて見えたが、
 
大変そうだったし、その家族には負担になっているように見えた。
 
でも、なんで、そんなに自信がなかったのだろうか。
 
相談する相手がいなかったわけではない。
 
ただ、何をするにもリスクを感じた。
 
我々兄弟はそのリスクに堪えるほどタフではなかったのかもしれない。
 
比較的安全で、安易な道を選んだわけだが、
 
本当は父のような人物に「やってみろ」という言葉だけでも貰いたかったのかもしれない。
 
最近の子供たちを見ていて、よくそう思う。
 
 
 
父の死は7歳の時だったから、45歳の死はとても遠くに感じられた。
 
つい最近まで、そんなに長く生きられないよ、と思っていたが、
 
この年齢になって、まだ当分死にそうもない。
 
ソフトボールで本塁打を連発して血圧上げてポックリ行くのも悪くないが、
 
せっかく知り合ったばかりのチームメイトに迷惑を掛けたくないしね。
 
7歳の息子を残して生命を終えること、
 
まだやりたいことを残して異界に去ることは、
 
さぞかし無念だったろうな、と想像する。
 
拙には、わが子たちを励まし、勇気付ける役割がまだ残っている。
 
余生、つまり残った人生を大事にしたいな。
 
もちろん、自分に課したものをまっとうしたいしな。
 
以上、父の命日に思ったこと。
 
 
 
2月12日

忙中にて

 
時間を見つけて、ちょと更新。
 
 
 
拙の仕事には週末も昼も夜も盆も暮れも関係ない。
 
ある意味、とても自由だが、
 
自由とは自分を律する意志力がないと欲望が制御できなくなる恐ろしいものでもある。
 
自然、プライオリティの決め方がシビアになる。
 
5つの欲望の最先端は、「食」にある。
 
これだけ忙しいと食うことを忘れる。
 
でも、忙しくないときや、やりたくないときはやたらに食う。
 
食うと運動するので時間を掛ける。
 
最近は食う時間も運動する時間もない。
 
一日が短い。
 
でも、ゴールは間近だ。
 
東京に住んでいた頃は、一旦ゴールを迎えると、
 
荻窪萬龍軒に行って、菜肉丼と餃子と塩ラーメンを一気に食べたものだ。
 
30年近い付き合いのマスターと奥さんには仕事の裏話をした。
 
80年代から在英邦人を断続的に続けているのに、英国にはまだそういう店がないなあ。
 
 
 
 
 
1月28日

冬の日常

 朝起きて、「寒気?風邪か?」と思うほどの寒さ!
 
ぶりゅりゅりゅ! と身震い。
 

10分あれば、温風で全部溶かすんですが、時間がないときは、
こうしてガラス面を引っ掻くのが普通です。
 
今朝、車を運転するときに気付いたんですが、
 
車内に置いていた
 
500ccのペットボトルが凍っていました。
 
半分ほど残った水はカチンカチンです。
 
80%くらいが氷でした。
 
こういうのを見ると、握りつぶしたくなるのですが、
 
車内を水浸しにするほど愚かではありません。
 
でも、時々バカなことってしたくなりますよね。               ・・・よね?
 
 
 
 
ことを起こすまではドキドキですが、
 
やってしまうと「あ~ぁ」てなもんです。
 
新雪を踏んで足跡を残してしまったり、
 
ダイエット中に食べ過ぎてしまったり、
 
カサブタを剥がしてしまったり、
 
一夜の契りを思いがけずに・・・して、「しまった」という思いをしたり、
 
「あ~ぁ」という覚えは、どなたにもあることでしょう。             ・・・ね?
 
 
 
 
 
この寒さ、
 
あと2ヶ月くらいはこんな感じかなあ。
 
暖のとり方は様々あれど、
 
英国の平均的な家庭の暖房はセントラルヒーティング。
 
タイムスウィッチで作動します。
 
拙宅のばやい、朝6時半に点いて、9時半に消えます。
 
夕方は4時半に点いて、10時半に消えます。
 
昼間、自宅で仕事をしながら、寒いと感じれば、その部屋だけを温めるヒーターを使います。
 
或いはカサネーギー。
 
カーネギーとは関係ありません。単に「重ね着」
 
指が凍えるのは致命的なんですが、それほどの寒さには至ってないですね。
 
ロンドンは20年前よりも暖かい気がします。 
 
それでも今年は9年ぶりの寒さ。
 
 
 
最近、世界中から届く便りは、
 
「元気?こちらは風邪引き・・・」というものばかり。
 
インフルエンザ(flu)にでもなれば、基本的に自宅療養です。
 
風邪引き出勤は犯罪もの。
 
会社に行って伝染させちゃうし、電車などの人ごみはもっての他。
 
車内でも社内でも、咳を連発しようのものなら、
 
「私は人ごみでウイルスをまき散らかすタワケもんです」
 
と自己申告をしているようなもの。
 
それは英国での常識。
 
日本では、ちょっと違うようで、風邪やfluは根性で治すんですね。
 
根性があれば、伝染させてもいいんでしょうか?       
 
 
・・・でしょうか?
 
 
 
根性!コンジョー!! 
 
 
自営業なので、誰の助けも借りられず、
 
根性とは嫌でもお付き合いしますが、
 
それは個人レベル。 
 
「大日本帝国」は精神論で末期を迎えました。
 
「日本」になっても変わらない部分ですねぇ~。
 
少しは、生活に科学と理論を取り入れて欲しいものです。
 
そして、それが常識になることを・・・。
 
 
  
伝染しなくなる段階、つまり薬無しで熱が冷めている状態までが辛抱なんです。
 
いや、辛抱している人はいませんね。家でゆっくりしましょう。
 
治りかかって、少し動けるようになると、指の運動を始めるようです。
 
そのあて先が拙。
 
拙が自宅で仕事をしていることをいい事に、
 
「腹減った」
 
と不届きなメイルを送ってくる近所の者も・・・。
 
泣き言で、「栄養が足らんから、ぐわんを作ってくれ」などと言われてもねえ。
 
まず、行きません。
 
いくら在宅時間が長くても、そんなにフレキシーではありません。
 
エネルギー不足なら砂糖水でも飲んでろ。
 
腹を壊していなければ、アイスクリームを舐めてろ、ってなもんです。
 
本当に回復します。
 
被災地の緊急援助で実証済み。
 
一時的に弾みがつくので、あとは勢いで動いて栄養を摂取。
 
 
 
 
今日は息子が喉の痛みを訴えていたので、
 
拙の風邪引きも時間の問題でしょう。
 
寝不足で、もはや恒常的な体力不足。
 
明日も終日・・・ううう、
 
でも、仕事はいつか終わる。
 
 
 
ぼうふらはぁ、みんなぁ生~きてぇいるぅ~・・・・、
 
僕らもついでに生~きているぅ~・・・、
 
 
こんな感じです。
 
 
追記;プロファイルの写真を更新したのに、まだ見られないので残念です。MSNさんのメンテは如何なっているのでせう。息子のスーパーキックの足跡を写真に収めました。
 
 
 
 
 
 
 
ところで、昨日はブログコンテストの発表の日だったんですが、結果をご覧になった方もおいででしょう。可も無く不可も無く、公正中立の魅力って結構難しいもんですね。他のブログコンテストでもこういう評価なのかな。やはりマイペースが肝心ですね。
1月21日

婚姻記念日

 
今日だそうです。(他人ごと?)
 
今、メイルで友人に教えて貰いました。
 
現在、午前2時24分。
 
朝になったら、ワインと新聞と花束を買いに行きます。
 
 
夕飯はどうしよう。
 
面倒くさいなあ~。(照れ??)
 
旨いもんなら、子供たちにも食べさせたいしなあ。
 
 
 
何年目かは聞かないで下さい。
 
とにかく長いです。
 
なにしろケコン3年以上前から一緒に暮らしていたもので。
 
いや、同棲のススメではないですよ。
 
そうすることが互いを知るベストでしたね。我々のばやい。
 
人生にマニュアルはぬわい。ぬわい。ぬわい・・・・ぬわい。
1月2日

リトル・ダンサー改め・・

 
 
12日間というクリスマス期間のすごし方は、
 
普通は家族間交流で、ディナーに呼んだり、呼ばれたり、
 
ディナーの合間に散歩したり、ゲームしたり、という具合。
 
その他にもサッカー観戦や劇場鑑賞というのもあります。
 
地方の劇場で行われるミュージカルをなぜかパントマイムと言います。
 
例年はそのパントマイムを見たりするんですが、
 
鑑賞中に拙がいつも寝てしまって、
 
高価な券を無駄にするということで、
 
今回はさらに高価なロンドン・ヴィクトリア駅前にあるVictoria Palace Theatreで、
 
邦名では「リトル・ダンサー」として上映されたBilly Elliotという映画の、
 
ミュージカル版を見て来ました。
 
 
Victoria Place Theatreでごんす。
 
 
このタイトルは既出ですが、それをいつ書いたか探すのも面倒で、
 
その内容はこのミュージカル公開のお知らせ程度の記事にしたものです。
 
で、今回はこのミュージカルになったビリー・エリオットについて、拙の体験話。
 
 
シアターの前にて撮影。時計台リトル・ベンの向こうに見えるのがVictoria駅。
 
 
見終えた後、しばらくは放心状態でした。
 
何なんだろうな、この感動は、と考え込んでしまいました。
 
もちろん、眠くなることなどまったく無く、
 
気付いてみると、ペーパーハンキー(簡単に言うと高質のティシュ)10枚を使い切っていました。
 
恥ずかしながら、観劇中からずっと涙が止まりませんでした。
 
ストーリーもよく知っているし、次にどんなコトバが出てくるかも判っているのに、
 
目からぶあっといい塩加減の温水が止め処なく、
 
ラーメンを啜っているわけでもないのに、
 
華ミズがちょろちょろと口ひげを辿り、
 
今灯りが点いたら恥かしいなあ、と。
 
 
 
もし、拙が、短髪、ひげ面、強面、全身黒尽くめで、
 
胸板の厚い、香港マフィアみたいな出で立ちの
 
6フィートを超える45歳のオジサンだったら、対面を失うほどの
 
情けなーい表情だったことでせう。あはは。(おい、なぜ笑ふ?)
 
 
 
 
ミュージカルというのは、部分部分の表現をデフォルメしたり、演出して、
 
「これでもか、これでもか」と音楽と演技で迫って来ます。
 
これにやられてしまうんですから、単純なんだなあ、と思うんですが、
 
拙はどのミュージカルに行っても、おんなじことになってしまいます。
 
もちろん、楽しいミュージカルや怖いミュージカルに行けば、
 
感動こそすれ、涙が出ちゃうほどのことはありません。
 
でも、鳥肌が立ちます。
 
観劇後に残る感動の種類は同じなわけです。
 
観劇後はコトバに尽くせぬ心の震動と、それを表現しようとする言葉の嵐が、
 
頭脳の中で起きていますから、しばらくの間、何も話せなくなります。
 
ちょうどインストール更新中のPCのような状態。
 
(CD回っている間に不安になりませんか)
 
内容については以下のURLが映画版について、上手に説明してくれています。
 
 
 
ボックス席が見えます・・・か?にゃほん人女性が2人で見ていました。
至って無表情な彼女らに、この作品がどうだったか、と問い詰めてみたかった。
 
 
ところで、
 
ちょっと穿った見方、というのは拙の得意技ですが、
 
ある意味で、この映画は政治が絡んでいます。
 
ビリーの父親は息子をロイヤル・バレエ団に入れるために金策に苦慮します。
 
当時、炭鉱労働者はレイオフの対象であり、政府は保守党でした。
 
炭鉱労働者にとって、マーガレッ怒・サ茶ーは敵だったわけです。(文字ばけ?)
 
映画以上に、劇場ではその部分に強く触れています。
 
子供たちは「ダメじゃん、保守党」というイメージを持つでしょうし、アジテーターも出やすくなります。
 
と言っても、労働党が声高らかに、いい催し物に便乗するわけではなく、
 
支持層やプロデューサーがそういう演出をしているんです。
 
表現はよく練られていて、成熟した演技が心の琴線に触れます。
 
 
撮影禁止ですが、フラッシュを焚かずに隠し撮り。
巨大な人形はマギー・サッチャー。
 
 
映画で見たあの場面が劇場ではどのように表現されるのだろうか、と、
 
目を皿のようにして見ていました。
 
ただ、唯一気になったのは、映画ほど劇場の音楽が頭に残らなかったこと。
 
映画ではタップダンスの部分で、'I like to boogie'を使っていたと思いますが、
 
劇場ではそれはありませんでした。版権の問題でしょうか・・・。
 
でも、エルトン・ジョンが音楽の神様であることには変わりないなあ、と。
 
1月1日

恭賀新年

川柳でご挨拶、
 
本年もどうぞ宜しくお願いします。
 
 
「喪中でも愛でたい気持ち隠せない」
 
正月はクリスマスよりもめでたい気分になります。
あ、いや別に喪中でも、何でもないんですけどね。
 
 
 
 
 
「お年玉自分で稼いで何ぼかな」
 
正月と言えば、子供の頃の元旦の新聞配達が最大の思い出。配達中の早朝にも関わらず、毎年、お年玉をくれたあの家族は、今頃どうしているだろうか・・?その家族の思いやりは、現在の拙に影響しています。
 
 
 
 
「時差9時間聞こえぬ筈の除夜の鐘」
 
天の原振りさけ見れば春日なる・・・の心境。日本は近くなった、とは言ってもねえ。神社にも行きたい。15年ほど前に、英国で神社を作ろうという活動をしたんですけど、バブル崩壊で頓挫しました。お寺はあるんですけどねえ。でも、除夜の鐘を聞いたことはない。
 
 
 
 
 
ところで、2005年を振り返るのを忘れていました。
 
 
 
日本の地震の記事も見られます。
 
日本の新聞社が掲げる10大ニュースとはだいぶ違いますね。
 
 
 
 
拙の上げる11大ニュース
1.ロンドン・テロ
2.息子の怪我
3.パキスタン地震
4.北米大型台風
5.中国の反日デモ
6.ヨハネ・パウロ2世の逝去
7.紀宮様ご成婚
8.原油の値上がり
9.鳥インフルエンザ
10.英国総選挙
11.PCの故障
 
・・・何か忘れているかな。
 
 
映画の興行収益もランキングにされています。「キングコング」はまだ最近だから入ってません。
 
UK'S TOP 10 FILMS OF 2005*
1. Harry Potter and the Goblet of Fire (£43m)
2. Star Wars: Episode III - Revenge of the Sith (£39.3m)
3. Charlie and the Chocolate Factory (£37.3m)
4. Wallace and Gromit: The Curse of the Were-Rabbit (£31.8m)
5. War of the Worlds (£30.5m)
6. Meet the Fockers (£28.6m)
7. Madagascar (£22.6m)
8. The Chronicles of Narnia: The Lion, the Witch and the Wardrobe (£20.5m)
9. Hitch (£17.3m)
10. Nanny McPhee (£16.3m)
Source: Screen International. *Figures correct to 21 December
 
 
2005年は、こんな感じでした。
 
2006年はどんなドッキリがあるでしょうか?
 
本年も宜しくお願いします。