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日志


9月15日

金曜日は魚を食べる日

 
英国の魚屋、それも古めのfishmongerに行くと、
 
なんだか馴染めない光景に出くわします。

1910年ごろの魚屋。この頃にも水鳥が吊るされています。

 
魚屋なのに、なんでガチョウやカモがぶら下がってんの?
 
と思った方々もお出ででせう。
 
ジョージ4世か5世か、ヴィクトリア女王以前の狩り好きのどの王様か忘れましたが、
 
「水鳥は水の中に居るから魚と同じだ」
 
と言い切ったところから、魚屋が扱う羽目になったのがFowlと言われる水鳥。
 
王が決めた魚屋の憲章というのもあるそうですが、
 
ある魚屋のオジサンはそれを記述したURLが期限切れになってしまった、と言っています。
 
でも、王様がなぜそんな戯けたことを・・・?
 
ただ、単に金曜日に魚を食べるのが嫌だったのであります。
 
食のタブーというほどではないのですが、キリスト受難の金曜日は肉食を避ける習慣が欧州にあることはご存知のとおり。
 
おまけに、フィッシュ&チップスの美味い店、長息の店の経営は、ほとんどがギリシア人であることは意外に知られていない?
 
ホントは英国のオリジナルアイコンではなく、移民の作り出した英国のアイコンかもしれない、という説もあり。
 
 
 
ところで、2002年以降に新規営業を始めたfishmongerには、水鳥を販売する許可は下りていませぬ。
 
Gameと言われる野鳥などはButcher以外の専門店にもあるそうです。
 
美味いだけに尿酸値が高い。
 
 
 
 
 
 
 
 
4月21日

Away Run

 
拙がソフトボールをしに行った16日、
 
家族で義弟宅のBBQにも呼ばれていました。
 
実は、ソフトボールか、義弟宅か、どちらに行くかで迷っていました。
 
なにしろ義弟宅の庭が好きなんです。
 
拙宅の庭の100倍、いやもっとあるでしょうかね。
 
200m x 200m の敷地ですから、野球場の外周くらいの広さがあります。
 
1600年築の農家を改装し続けて、維持された畑の中の一軒家です。
 
もちろん、外観を維持しただけで、家屋内は超近代的な造りです。
 
梁が低いので頭をぶつける恐怖感と圧迫感がある以外は、雰囲気もあってすこぶる快適。
 
もう一つの楽しみが、義弟の妻ミシェル姉、リサ夫婦家族と会えること。
 
この家族はプロフットボーラーの家族でもあります。
 
何度か既出なので彼らの名前は省きますが、
 
気持ち良い人たちです。
 
こちらも彼らを気分よくさせたくなる。
 
この日、拙はハイドパークでホームランをかっ飛ばしていたわけですが、
 
「家族で日本語を話せる稀な機会だし、息子が野球に参加して日本文化?に触れる機会にもなるのでは・・・?」
 
と、妻と子供たちは迷った挙句、結局、義弟宅に行ってしまいました。
 
当然、その場にいない拙のことが話題になるわけで、
 
話は野球に及びました。
 
妻はリサに聞かれたそうです。
 
「野球ってどんなスポーツなの?なんか気になるのよ。あの棍棒を振り回すのが・・」
 
続いてミシェルも、
 
「そう。あのバットって、武器みたいじゃない。それに言葉だって変だし。ストライクって何?打ってないじゃない。ファウルって何?ファウルしてないじゃない」
 
彼女の認識はすべてサッカーとクリケットから来ています。英国スポーツで使われる言葉と、野球の言葉との両方の違いを理解していないと、比較している尺度が判りませんから、正しい理解に導くことは、なかなか難しい。
 
「他には、どんな?」
 
拙に付き合って、甲子園の高校野球や神宮の大学野球を何回か見たことのあるは、彼女たちのために説明を買って出ました。
  
「そうそう、ホームランって何?ホームラン(Home run)があるってことは、アウェイラン(Away run)もあるの?」
 
うーん、リサ。  実に理論的な発想だ。
 
おまけに、さすが英国人。野球をまったく知らないだけのことはある。
 
でもね、打球が場外にAwayするんだったら、Away Runも間違っていないんじゃないの?
 
野球を何も知らないってのは、英国の無形の象徴ですな。
 
 
最近BBCで放映された野球の話題は、数年前に松井がヤンキースに移籍したことのみ。でも、松井が誰で、ヤンキースがどんなチームであるかを知っている英人は皆無。だから、このニュースを目にした時は、これは何のための報道だろうか、と考えてしまったほど。ロンドンオリンピックでは野球が開催されないことや、先日のWBCで日本が優勝したことなどにはまったく触れていません。
 
 
 
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10月7日

んー、似てる?

 

英国を象徴するコメディアン

 

ロニー・コーベット

 

 

彼もOBE(大英帝国勲章オフィサー章)持っているんですねえ。

 

ベッカムと同じですって、

 

もっと他にも勲章や勲章以外の

 

ステイタスを持っているので、ベッカム以上です。

 

彼を知らない英国人はいないでしょう。

 

彼はロニー・バーカーというコメディアンとコンビを組んで、

 

Two Ronnie

 

として有名でしたが、

 

去る4日にバーカー氏が逝去されました。

 

ロニー・コーベットも記事の引き合いに出されて、

 

いろいろな写真で紙上に掲載されたのですが、

 

誰かに似ていると思いませんか?

 

そう、

 

このヒトです。

 

 
この二つの写真ではイマイチかもしれませんが、
 
年恰好もそっくりです。
 
152cmしかないので、
 
野村さんの方がずっと大きいですが、
 
野球選手の中に入ってはかなり小柄ですから。
 
ご両名とも有識者ですが、 
 
大きな違いは人柄です。
 
ロニーは活舌が軽快で、回転が速いけど、
 
野村さんは凄いことをつぶやきます。
 
陰と陽ほどの違いがあります。
 
京都と英国ってメンタリティが似てると思うんだけどなあ。
 
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9月25日

最優秀英帝国勲章

 
日本人なんですが、友人が授与しました。
 
受章者は英国益に貢献した人たちです。
 
大英帝国勲章という通称もあるようです。
 
友人は日本の英国大使館の大使公邸で授章します。
 
授与(式)のことをInvestitureと言います。
 
彼の勲位はMBE(Member of British Empire)です。この勲章は、かつて5等級に分かれていました。今では等級とは言わずに、その章の名前だけで示されます。だから、形式上は勲位というものがないんですね。でも、以下のように示すことが出来ます。MBEの年間の受章者数は文人で261名、軍人で1209名ですから、文人として授章する希少性が知れるというものです。
 
今でも5種類に分かれています。こうやって見ると、Sirの称号もそんなに稀少ではないような気がします。
 
・ナイトまたはデイム・大十字型章(KGC)Sir やDameの称号が与えられる(約100名)
 
・ナイトまたはデイム・コマンダー章(KC)Sir やDameの称号が与えられる(約1000名)
 
・コマンダー章(CBE)         年間受章者数約8000
 
・オフィサー章(OBE)         年間受章者数約900
 
・メンバー章(MBE)           文中   
 
でも、残念ながらオフィサー章以上は日本人には授与されません。英国での授与式は、主にバッキンガム宮殿で行われますが、セント・ポール大聖堂やウエストミンスター寺院が使われることもあります。
 
メンバー章を授与したヒトで、拙の周辺のヒトは、彼の他にも数名います。チャーチルのお孫さんのシリア・サンズも受章者です。東京の英国料理ケイタラー"1066"の女性主人も受章者です。
 
受章者にはある共通性があります。長年従事してきた仕事以上に裁量を自ら広げて行ったヒト、勤め人というよりも職人気質なヒト、社交性の高いヒト、人生に積極的で目の輝いているヒト。
 
拙の知る限りの受章者はそんな感じです。
 
2003年にディヴィッド・ベッカムがOBE(オフィサー章)を授章したことは記憶に新しいと思います。その年、拙の近親者が同じくOBEを授章したので、拙もバッキンガム宮殿に招かれてインヴェスティチュアに行って来ました。授与式の日取りは年に20回ほどあって、その中から都合の良い日を選べます。バース勲章、シスル勲章など他に五つある大英帝国勲章以外の他の勲章も一緒に授与式が行われます。ガーター勲章だけはちょっと特別です。
 
 
ここをクリックすれば、公式サイトにも行けます。以下の写真はそこからの抜粋。拙の近親者の写真はありません。
 
 

JaneSeymourという女優

 

 

 このオジサンが式次第を説明します。
 
バッキンガム宮殿の中は砂利道です。ハイヒールの奥様方は大変歩きにくそうでした。
 
ベッカムとは異なる日取りでしたが、コメディアンのジャスパー・キャロットが居てました。拙はトイレで彼と鉢合わせて、握手をしました。手を洗った後かどうかは忘れました。
 
男子小用トイレは20基のうち、2基が壊れていて、床に水が散って広がっていました。
 
「こんなところまでイギリスかよ」
 
と日本語で言っても誰も反応しません。デジカメでその様子を撮ってやろうか、と思いましたが、さすがにそれは控えました。何か勘違いされたら困るし、カメラやケータイはクロークに預けなければいけないのです。拙はその後カメラをクロークに預けました。
 
宮殿の赤い絨毯を辿って、金襴趣味の階段と廊下を行くと、授与式場です。プロフェッショナルの奏でる曲が荘厳な雰囲気を盛り上げていますが、盛り上がっているのはこの場に来る人たちだけでしょう。毎日演奏している彼らは間違えないで当然の仕事をしているに過ぎないのでしょうが、それでも拙には素晴らしいものに思えました。
 
曲のプログラムを辿って聞いていると、だんだん終わりに近づいていました。でも、授与式はこれからじゃあないのかい?
 
最後の曲は女王陛下を迎えるための曲でした。(すいません。資料となるプログラムを探すのが大変なので、話を端折っています)
 
エリザベス女王はちっちゃくて、血色の良い、きれいなオバアチャンでした。グリーンのパステルカラーのスーツ姿で拙の4,5m手前を通り抜けて行かれました。
 
授与式はたまにチャールズ皇太子が代行することもあるそうですが、今日は女王で良かったと思いました。皇太子とは既に謁見したことがあったからです。
 
隣の人に「何で授章したの?」と聞いてみたら、食肉協会の会長で輸出益を上げたからだとか。結局、金かい。と思いましたが、ジャスパー・キャロットはチャリティで貢献したからだそうです。彼はMBEだったかな?
 
授章の瞬間というのは、身体に電流が走るものですね。拙に関わる名前が読み上げられると、息が止まりました。一言も聞き漏らすまいと緊張したんですね。でも、何のことはない。式は型どおりで、当日は100名あまりの授与者が順繰りに女王の前で膝を着くだけでした。
 
撮影は一切禁止でしたが、それには王室のちゃっかり具合が良く出ています。パレスの中庭での撮影と授与式の個人別編集ヴィデオはべらぼうな値段で販売されます。そして、誰もが例外なく買うんですよね。ええ、もちろん、拙も買いましたよ。ビデオなんか80ポンド(1万6千円)でっせ。
 

 
 女王陛下は授与の際にそれぞれの人物の功績を後ろに居る
スタッフから耳打ちされ、その情報を元に二言、三言の声を掛けます。 
 
 
それから、勲章のレプリカとかね。これはその勲位を貰ったヒトにしか売ってもらえないレプリカで、装着しやすい大きさになっているわけです。それが100ポンド~300ポンドかな。軍人ならまだしも、これ見よがしに着けることもないんではないかなあ。
 
装着するのは、女王陛下の誕生日パーティくらいですかね。
 
まあ、こんな感じです。
 
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9月3日

とってもエゲレスなもの

 
このタイトルだと何回か書けそうだなあ~。
 
じゃあ、手始めに盲点をつくか。
 
と、いうことで、今日紹介するのは英国の夏の風物、
 
Beach Huts。
 
昨日も英国は暑かったしね。
 
 
 
そこのお兄さん、お姉さん、
 
HatとHutを間違えちゃいけないよ。
 
いや、そういう拙も、文脈で推測しないとこの単語の発音の聞き分けは出来ないんだけどね。
 
発音の違いはちゃんとでけるよ。エッヘン!
 
aは「ア」と「エ」との中間音、uは発音記号が[∧]、つまりやや強めの「ア」音、
 
これが英語では結構違うんだよね~。
 
でも、日本語で発音すりゃ、どちらもハットだろって。
 
半蔵門はハットリハンゾウの屋敷の近くだったというけど、古地図を見るとそんなに近かぁない。近かったのはご家老との仲、江戸庶民との仲。これはハット違い。
 
さて、Beach Hutとは何か?
 
ビーチ・ハット?
 
ビーチ・パラソルやシャンプー・ハットは聞いたことがあっても、シャンプー・パラソルは聞いたことがない。
 
頭洗えへんがな。
 
で、種明かし、
 
下の写真をご覧あれ。いくつも並んでりゃ、ハットもハッツ(Huts)になる。
 
 
 
 
  
Charley(シャーレィ)という言い方もあるんだが、この綴りは不問。
 
  → chaletが正しい綴り。ブログ「まばたき40回」の作者、猫さんのご指摘。綴りがいい加減な傾向は昔からなので許されたし。
 
 
とにかく、これは夏の人気モノ、必需品。
 
日本で言えば、「海の家」
 
と言っても、水もガスも電気も何も引かれていない。
 
引かれるのは賃貸料か毎月のローンだけ。
 
平均的な間取りは、12x8のみ。
 
英国はフィートだからメートル換算すると、3m60cmx240cm。
 

 
 
 
 
 
なんだ、物置小屋じゃん。
 
こんなところで眠れないじゃん。
 
「おばちゃん、ラーメンとチャーハン」なんて頼めないじゃん。
 
海の家じゃないじゃんか!
 
醤油もない醤(じゃん)か。
 
でも、こんな小屋が大人気なのが英国の不思議。
 
使い方は、海岸遊びをするための物置小屋、家族の避難所。
 
中にはビーチ・パラソル、テント、ゴムボート、浮き輪、シャベル、スコップ、マレット、御座、ウェット・スーツ、長期保存できる食事、ポータブルテレビ、短めのサーフ・ボードなどが置かれています。
 
 
ある海岸では自治体が貸切をしていて、12年先まで予約がいっぱい。一年毎の契約で、年6000ポンド(120万円)とか。ところにも拠るのでいろいろな値段があるけど、今のところそれ以下のところは見たことない。

 
  
買取もある。その場合も様々で、一番安いので4万ポンド(800万円)也。
 
 
サーヒンも入らないハットにそんな銭はらう金(かな)?哉(かな)?
 
場所によっては8万ポンドなんてところもありやがりました。
 
 
 
 
 
短い夏のためにこれを借りるヒトは多い。
 
雨が降っても、この小屋に簡単に避難できるし、いろいろと使い勝手があって、便利なんだそうだが、
 
うーん、
 
お金持っていても、拙なら、ぜってー借りません。
 
真夏でもうすら寒い英国の海岸凍るように冷たい水が好きになれませんのだ。
 
そんな金あるんだったら、黒海沿いのサマーハウスが買えるぞ。でも、いつ行くんだ?
 
鼻毛嬢の文体をいくぶん拝借してしまった今日のブログ、如何だったでしょうか。
 
明日をどうぞおみたしのに。
 
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8月2日

臭い英国?、香る日本??

 
「文化とは香りを消そうとする都市のことであり、
 
文明とは香りの失われた都市のことである」
 
 
こういう物議を醸し出しそうなことを平気で言う農業史学を専攻する知人がいます。
 
でも、名前を出すな、というからにはあまり自信がないのかも。
 
彼に拠れば、
 
ロンドンやNYや東京などのメガロポリスには固有の臭いがない。
 
文化が進んでくると、もう臭いがしなくなっちゃって、
 
たまに少しでも変な臭いがすると、それだけで大騒ぎになる。
 
と言うのです。
 
 
 
ところで、英国人はけっこうニオイます。
 
正確に言うと、民族、種族によって、体臭の種類は結構違います。
 
日本では誰もがオーデコロンをつけるようになったのは、25年くらい前から、かなあ?
 
通勤電車の中は少しマシになったなあ、と思ったものです。
 
で、電車から降りると、駅蕎麦のカツオ節出汁の香り。
 
この臭いが四六時中充満していたら、気分悪くなるでしょうが、駅でその匂いを嗅ぐ時は空腹を感じるほど。もちろん、二日酔いの時を除く。
 
でも、ガイジンの友人たちは、駅蕎麦の匂いが大嫌い。
 
「うう、日本の駅のニオイ!魚くちゃい」
 
一方、
 
電車、地下鉄、バスという換気のないロンドンの乗り物の中に入ると体臭が凄いです。
 
「おお、これは肉食人種特有の・・・」
 
毎日風呂に入っていても、デオドラントを使っていても、コロンをつけていても、真夏日に数日放置したバーガーのようなニオイを放散させる人々がたくさんいます。
 
でも、当事者間同士では、そのニオイはあまり気にならないようです。
 
これも、ひとつの文化差かなあ、と。
 
 
 
 
 
 
「アイツは人間臭いやつだ」
 
という誉めコトバ?がありますね。
 
「人間味のあるやつだ」
 
も同義に使われますが、どちらかと言えば、人情深く、心温まる話や失敗談の多い善人を評する表現でしょうか。
 
こうした表現にも使われるように、ニオイと味は関係あるんですねえ。
 
ニオイは味覚の大勢を支配する、というくらい繋がりの深いものです。
 
 
 
以下は英国で発行された日系ミニコミ記事で紹介されました。
 
10年以上前のことなので正確な媒体名は勘弁して下さい。
 
「死んでしまうなら、末期に何を食べたいか?」
 
という質問をすると、
 
英人は「シェパーズ・パイ」という回答が一番多く、
 
日本人は「おにぎりと味噌汁」
 
だそうです。
 
おにぎりの中身は塩鮭。
 
どうです?
 
鮭の香がして来ません?
 
或いは、味噌汁のカツオ出汁の香かな?
 
どちらにしても、魚。日本人にはノスタルジーでも、英人には「くちゃい」だけ。
 
 
 
シェパーズ・パイは、炒めた挽肉と野菜のみじん切りの上にマッシュド・ポテトとチーズを乗せてオーブンで焼く料理です。肉のニオイはするんですがバーガーと変わらないんですよね。そして、地下鉄の英人たちの体臭と同じニオイなんです。(註:「拙にとって」と付け加えておこう)
 
「英国人は人間臭い」ってこういうこと・・・、ではないと思いますが・・・。
 
人間味のあるヒトも多い英国です。
 
 
それでも、清潔になって、都市や人間のニオイは消えつつあるそうです。
 
 
バザルゲット以来、ロンドンはキレイになったけど、究極の都市化がここまで進むとはバザルゲット自身は思わなかったでしょうねえ。
 
 
因みに、拙が末期に食べたいものは、荻窪萬龍軒の菜肉丼です。
 
やっぱ、ご飯もの。
 
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5月7日

ダンディの始祖2

 
Brummelは英語読みでは一つ目のmが殆ど黙字になるので、ブラメルと読む筈だが、こういう日本語表記の場合、実際とは異なることが少なくない。
 
 
仙台ブランメルというサッカーチームがあるが、これは伊達藩に因んだ伊達男のブランメルに由来するそうだ。
 
 
しかし、ここではブラメルで通す。英人に話すとき、ブランメルでは通じないからだ。
 
 
ブラメルは貴族ではなかったけれど、貴族の秘書をしていた父の意向で、貴族たちと同様の教育を受けることになり、そこが社交界への足掛かりとなった。
 
 
イートン校に在籍した頃から、彼のその出で立ちは傑出していた。
 
 
名門パブリックスクールは、貴族や紳士としてのたしなみを育むところでもある。
 
 
大概は在学中に野暮ったさが抜ける程度で、時間を掛けて次第に洗練されていくものである。
 
 
しかし、ブラメルは違った。
 
 
学生である彼の立ち姿、振る舞いは、享楽王と言われたジョージ4世がプリンスであった頃の目にも止まることになった。
 
 
このジョージ4世が父3世の摂政(リージェント)をしながら、政治に関与する制限をつけられた腹いせで、作られたのがリージェント・ストリートである。
 
 
ジョージ4世の放蕩振りは没落する貴族と新興するブルジョワの共存社会の中で、ダンディズムという新しい価値観を見出し、ブラメルのような究極の伊達男を輩出した。ジョージ無くして、ブラメルもなかったであろうとも言われる
 

ブラメルの銅像はJermyn StreetのPiccadilly アーケード
の前に立っています。銅像のスポンサーがRITZやDunhillなど
ダンディズムによって、ステイタスが支えられた豪奢な
企業です。この銅像の存在を知らなかったので、たまたま見つけた時は感動しました。
 
 
日本で言われるダンディズムとは、着こなしがいい、男性のおめかしということだが、ブラメルのダンディズムとは、ひとつは、凄まじいばかりの服装へのこだわりにある。
 
例えば、
 
・ネッククロスと言われるネクタイの原形の結び方は完璧を期すこと。糊付けして結んでも上手く行かない場合は、失敗したクロスが山積になる。

・装飾・色彩・無駄を極力抑制する代わりにシンプルで最高の素材を用いて体に完璧にフィットするように仕立てる。

・徹底的な清潔に努め、身支度には3時間以上かけ、ブーツ底に到るまでシャンパンで磨き上げる。

ここまで手間ヒマかけた「着こなし」を他人に振り返られるようでは不完全であって、他人に衣服を印象付けないような象(かたど)り方がブラメルの求めた完璧であった。

当時は貴族制社会から市民社会への過渡期で、新興ブルジョワの台頭する時期でもあった。そして、ブルジョワも貴族のエレガンスに憧れ、対抗意識を燃やした。
 
 
また、単に服装へのこだわりだけでは名を残す人物にはなり得ない。時代の変革期の社交界で停滞した価値観を撹乱し、貴族社会の「マナー」をも変えてしまうほど、奇抜でありながら、優雅を感じさせるインテリジェントな会話の妙、粋にも通ずる微妙な限界点を示すことで、ことごとく注目を集めた人物、それがブラメル。
 
時代の寵児としてロンドン社交界と宮廷を支配すると、彼の着こなしと立ち居振る舞いはジョージ4世だけでなく、他の貴族までを魅了することになる。お洒落だけでなく、機知に長けたジョーク、お洒落哲学は、彼を女性のアイドルとし、男性の羨望の的となった。彼の言葉は誰もが絶対だと思ったのである。
 
 
「君、それは靴かい?スリッパを履いてきちゃいけないよ」
 
 
現代の男性ファッションの原形を作り出したと言っても、良いだろう。今日では一般的なダークスーツを着こなすことで、他を圧倒した、という当時の情景を想像して頂きたい。
 
 
しかし、ブラメルの最後は破滅的人生となった。その傲慢不遜な態度は王の寵愛を遠ざけ、賭け事に負けて大きな負債を作ると、フランスに亡命。そして、ジョージ4世の退位を受けてウイリアム4世が王位に就くと、友人たちの尽力でフランス、カーンの英国領事に任命される。しかし、またしてもブラメルは奇行に走る。自らその部署は不要であると、当時の大臣パーマストン卿に書き送った。ブラメルには労働そのものが彼の流儀に反するのだ。
 
 
なぜ、傲慢不遜であり続けたのか。それはダンディズムそのものが軽蔑と傲慢に彩られたお洒落哲学であるから。軽蔑は言い換えれば、優越のスタンスである。そして、ある対象に軽蔑の念が生じれば、傲慢不遜な態度も湧いて来よう。ブラメルの時代、軽蔑の対象となったのは、ブルジョワ、台頭する小市民、あるいはトレンドそのものだったかもしれない。
 
 
 
債権者たちは、職を失ったブラメルをロンドンの刑務所に送った。友人たちが保釈金を募ってなんとか解放されたが、その後のブラメルは洒落者の面影を残す老人に過ぎなかった。1840年に62歳で養老院で逝去。偉大なダンディズムの始祖としてはあまりにも寂しい晩年だった。
 
 
彼のもたらした歴史的意義は何だったのだろう。
 
 
旧来のマナーやエチケットをも否定して新しい価値観を提唱し、彼の存在そのものが絶対視された。「服装」「立居振る舞い」「趣味」「話術」そして「生活」 など人生全般をひっくるめた人格自体を、芸術にまで高めたといわれる人物。
 
そういう人物が輩出する時代とは、民主化が進むに連れ没落する貴族の心の世界、いわばデカダンスが背景にあった。ダンディとは、そういうモヤモヤの中から生じて来たものらしい。民主化が進み、ヴィクトリア時代に入り、貴族の考え方が質実剛健に進んでいく課程で、頂点を極めたダンディズムは次第にその表面だけを残していったのだろう。
 
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拙はこの人物、ブラメルを知って、ある人物の発言を思い出した。
 
 
 
「私の職業?私の仕事はデビ夫人よ」
 
 
 
 
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5月6日

ダンディの始祖

 
少し乾いたライ麦パンにパテを付け、ワインをちびちびと楽しんでいると、
 
やがて、遠くからカツーン、カツーンというヒールの音が近づいて来る。
 
赤ワインのシブさを少し気に掛けていると、その音は彼の独房の前で止まった。
 
「サー・ブラメル、あ・・、明日のご予定は大丈夫ですか」
 
看守は慣れぬコトバ使いで尋ねる。
 
「午後に法廷に参りますので、そ、それまでにご準備下さい」
 
「うん、判った。6週間は長かったなあ。まあ、退屈はせんけどね」
 
「失礼します」
 
看守はただならぬ囚人の扱いにただ緊張していた。
 
 
***************************************
 
 
ブラメルとはジョージ・ブライアン・ブラメルのことで、通称はBeau Brummel=美しきブラメル。1778年生まれ。
 
英国の王侯貴族を威圧し、破産し、借金が返せなくなったために1835年に投獄された元名士。
 
普通なら誰でも嫌がる独房を選んだのは、彼の強い自己崇拝ゆえだった。
 
政治思想犯の部屋に投獄されるなり、彼は独房を希望した。
 
「私はこの者たちと一緒に生活するわけにはいかない」
 
刑務所の食事も彼には不十分だった。
 
面会に来てくれる友人に伝えると、ブラメルを崇拝する女性や知人たちが、彼に食事の差し入れをした。
 
ホテル並かそれ以上の食事を楽しみ、猫を飼い、朝起きてから掛かる身づくろいは昼頃まで続き、
 
午後は独房の中で一人過ごすか、面会に来る友人たちと談笑する。
 
彼の審理が午後になったのも、その身づくろいの時間を考慮した上でのことだ。
 
 
彼は誰に会わない日でも、独房で毎日3時間以上掛けて身づくろいをした。
 
 
さて、このブラメルとは一体何者だろうか?
 
以下、次号。
 
音声版では以上を朗読しました。音も悪くて、費用も掛かるし、意味なーい、って。
 
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4月15日

Bazalgetteという下水屋

 
 
Sir. Joseph Bazalgette
 
 
サー・ジョーゼフ・バザルゲット
 
 
土木技師なんだが、それだけではない。だから、1875年にはナ
イトとなり、Sirの称号を得た。19世紀の中頃にロンドンから汚物
を一掃するシステムを作った中心人物。
 
 
1666年のロンドン大火の後に現在のロンドンの建築の原形、英国式バロック建築を創出した天才、クリストファー・レンにも相当する効果を上げた人物として評されている。日本で言ったら、丹下健三かな。
 
 
下水事情は古代から大都市の重要な課題だった。日本で言えば、奈良時代前後は上下水道問題とゴミ問題で遷都が頻繁に行われる要因になったと言われるほど。他にもオリエントと呼ばれた地域も人口が集中し、川幅を狭めてしまったために、上下水道の便が人口増加に追いつかなくなり、都市衰退の原因になった。同様のことはイスラエル周辺、ギリシア、ローマ半島各地でも起こった。文明は人間自らが出すゴミと汚水に征服されたわけ。
 
 
19世紀のロンドンはそういう文明都市の運命をなぞるように、不潔で危険な都市になっていた。1666年のロンドンの大火というのは、犠牲者には悪いがコレラの病根を断ち切ったという説もあるくらい、きれいさっぱりと焼けてしまったんだが、再び都市が機能を回復すると、疫病の勢いは再興し、その媒介原因である汚物処理と水質の浄化は都市の最大の問題となった。
 
 
「ロンドンが古代都市のように滅亡してしまう」
 
 
そういう危機感を抱いた人物は19世紀にはたくさんいた。1856年にメトロポリタン・ボード・オブ・ワークスという会社はロンドン全体の下水道を何とかしようという主旨で創設された。そして、その問題をグランド・マスター・プランで見事に解決した人物がバザルゲットだった。彼は1889年に同企業がロンドン市に買い取られるまでの33年間をこの事業の中心人物として技術マネージメントに従事した。幾夜も続けて徹し、半年以上も泊り込んで仕事をしていたそうだ。奥さんも大変だったろうなあ。
 
 
1853年から翌年の一年間にロンドンでは10,738人がコレラで一気に亡くなった。しかし、その原因が汚水にあるとは誰も信じなかった時代だった。僅か150年前のことだ。58年にはテムズ河畔の人々、つまり国会議事堂に通う政治家たちの間でも「偉大な悪臭の街、ロンドン」と言われるに至って、下水道整備が立法化され、1866年までにバザルゲット主導のもと、ロンドンの殆どが下水道ネットワークで繋がれることになった。汚水は枝水管から川に流れ込む前にこのネットワークの管に流れ込んで、エンバンクメントの地下にある汚水処理施設で浄化されるシステムが整備された。
 
 
この時、イースト・エンド地域はこのネットワークのプログラムから外れていたので、同年66年にコレラで大量の犠牲者を出すことになった。しかし、シティとウエスト・エンドからはまったく病人が出なかったことから、コレラの広がる理由をようやく多くのヒトが認識するようになった。1898年にドイツのハンブルグでもコレラで9000名近い人々が犠牲になった。これを機にロンドン市はハンブルグに下水道整備を警告しただけでなく、英国の下水事業技術の売り込みをしたことは言うまでもないだろう。
 
 
 
今でも、バザルゲットの作ったSewer Systemはロンドンを清潔な街に保つ原動力となっている。
 
 
彼のモニュメントは3つ。写真のようにVitorian Embankment沿いに埋め込まれたもの、住まいだったセント・ジョーンズ・ウッドの17Hamilton Terraceにはブルー・プラーク、そして墓がウィンブルドンの教会にある。
 
 
 
 
参考資料 "Great Stink of London" £19.99  アマゾンで買えます。和書名にしたら、「チョー臭いロンドン」には、ならない?
 
 
 
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2月20日

キュー・ガーデンの中にある日本

 

初めて行ったのは1980年代の中頃。

 

ベンチや芝生一面にアヒルの糞が生々しく散乱し、悪臭を放っていて、凄く印象が悪かったんですが、もっと愕然とするような景色を目の当たりにしました。南門に向かうとパゴダが見えたので、写真撮っていたら、浮浪のオジサンが、

 

「日本庭園と門があっちにあるよ。ひ、ひへへへへへへへへ・・・」

 

 

と言いながら、むせ返るような臭いをなびかせて行ってしまいました。

 

 

臭いがするもんだ。キュー・ガーデン

 

 

このオジサンの登場で、「どツボー」と、もっと落ち込んだ気分になって、日本庭園に辿り着くと、約70年前に建てられたという勅使門。門とは名ばかりでもはや廃墟。名盤もやっと読める程度。そのうらぶれた姿に怒りと悲しみを覚え、しばし呆然。どう見ても元々はかなり豪華な建築物なのに、放置されるとこれほどのあばら屋と化すものか。日本でも田舎の神社や祠を壊すヤツいるもんなあ、風景は羅生門さながら、などとぼんやり眺めていると、

 

 

ババババッと何かが屋根と軒の壊れた隙間から飛びしたのは、数羽の鳩。この中まできっと糞だらけなんだろうなあ。ド鳩が勅使ってこともないだろうし。

 

 

「何もしていないじゃないか、日本人」

 

 

先ほどの浮浪のオジサンがふらついていられるほど無法地帯だった当時のキュー・ガーデンです。その敷地内にある勅使門には、備え付けられていた数々の彫り物や瓦など、誰もが簡単に盗めるように放置されていました。

 

 

勅使門とは1910年の日英博覧会がロンドン近郊のシェファーズ・ブッシュというところで開催された時、京都館の入口として建てられました。天皇の特使の出入りに使われる京都・西本願寺の唐門を真似た5分の4の複製です。

 

 

当時は日英同盟で日本側ばかりが盛り上がっていた時代。日本には豪奢な英国建築がジョサイア・コンダー(コンドル)の設計で目白押しだった後の時代です。今でも岩崎邸などを残すコンダーに負けじと、日本の心意気を英国にも見せてやっか、という気概で我々の祖先は万博に臨んだことでしょう。

 

 

勅使門は総檜造りで、門扉の装飾金具や華麗な彫刻が施されていました。これなら、東洋趣味のヒトが夜な夜なキューに忍び込んで、彫刻やら瓦を剥がしていても不思議ありませんね。

 

 

キューガーデンが入場料を取るようになったのも改修の始まった1995年の初めごろだったような気がします。それからは当然警備が厳しくなって入場が制限されたわけですから、96年に改修を終えた勅使門は創建当時の美しさを取り戻し、現在も美しく保たれています。屋根裏には今回の改修に関わった人々の名盤が納められているそうです。拙の大事な友人とその会社の社長の名前も刻まれています。

 

 

竣工式には今をときめく紀宮様やアレキサンドラ王女がお出まし。

 

 

ここにも同様の写真が載っています。

 

 

カテゴリを英国の象徴としたのは、そうなればいいな、という拙の勝手な願いです。

 

この話題、キューに行って写真を撮ってから、と思ったんですが、親友が全知全能を尽くして関わった改修事業だったので、自分以外のヒトに先取りされたくないなあ、と思いました。写真のクオリティはダメですが、文章内にいくつかハイパーリンクしたウェブもありますので、是非立ち寄って下さい。英国に来て、わざわざ日本のものを見ることはない、と思う方、それは間違いです。日本のものが何もないこの国でこれだけの建築を施した祖先とそれを修復した現代の日本人の英知を知ろうではありませんか。英人には日本がこのように映っていることを知って頂けたら幸いです。世界をさらに見たければ、ここを応援クリック。

写真が見えるように善処してみましたが、如何でしょうか。日本時間20日の朝5時以降になってもまだ見えない場合はコメント下さい。

 

2月13日

閉店セール

Allders(オールダーズ)という老舗の百貨店が閉まります。
 

こうやって見るとAlldersもでかい。
 
土曜日はそのセールに行ってきました。
 
買って来たのは、£12(\2400)のトースター、£18の攪拌器、£12の息子の靴。
 
蛇の目ミシンも半額(£150)でしたが、自腹で買うと言っていた娘がいなかったので、来週、娘を連れてまた来ようかと。
 

 
新品のトースタ。後ろは年代ものの電子レンジ。
 
 
それにしてもAlldersが閉まるなんて、トンでもないことだ、と思っていたのは拙くらいのもんで、ちまたの人々は驚きもせず、黙々とセールの長い行列に続いていました。
 
「まあ、しょうがないね」
 
「そうだね。工夫がないもの」
 
「良いもの売ってるのにねえ」
 
「でも、他と同じだもの」
 
後続の人々が語るの聞いて、拙も一言。
 
「でも、みんな、ここに並んでいるじゃないですか」
 
一同、爆笑
 
他愛のない皮肉なんだけどね。
 
 
Alldersは創業143年、最盛期には国内200店舗にまで及んだ。しかーし、昨今のリテイル不況と革新性の欠如から取り残された同店は135店舗を残すだけとなった。35店舗は買い手がつきそうなものの、残りの100店舗、従業員5,200名は「ま、次のオーナーの下で働けるだろう」とかなり楽観的。自分たちの責任を感じていないのだろうか。
 
 
店員のやる気のなさは相変わらずだなあ。他のリテイルはここ10年間でだいぶ接客態度が改善されてんのに、Alldersは昔のまま。店員の商品知識もイマイチだったしねえ。
 
 
一般的なAlldersの使い方は、ここで欲しいものの値段を調べて、近くにあるArgasというカタログショップで同じものを安く買う。またはAlldersが欲しいものの値段を下げるまで待つ。それから、クリマスギフトにセットされたものを買うってところかな。
 
 
かつてはやや高級品を集めた百貨店だったけど、拙が英国に来た頃には普通のデパートだった。日本で言えば・・・、どこかなあ?地方都市にありそうな。
 
 
 
 
 
 
あー、今年からクリスマス・ショッピングが大変になるなあ。
 
 
こんなに短いのは異例ですが、昨日は時間を縫って、たくさん下書きを作りました。明日は航空会社時代のことを書きます。良い記事が書けるように応援してください。http://blog.with2.net/link.php/29834
 
2月9日

貴族のおしゃれ

おしゃれってのは、なんだか素直に受け取れないコトバだなあ。根本には反社会的な要素があるしな。
 
 
例えば、着流しとか浴衣ってあるじゃない。ああいう寝巻きのようなだらしない姿で歩いたのは、江戸社会が安定していた元禄時代、人心に余裕が出てきた時期だっていう説。文化が成熟してくると、それを破壊する、或いは新しいものを作り出すダイナミズムが湧いてくる。
 
 
最近というか高度経済成長時代以来、日本人にはけっこう余裕が出ているけど、拙に言わせれば、ファッションの大きなトレンドの移り変わりは、1990年代の終わり頃になるのではないかと思う。この頃は逆に余裕が無くなって、フリーターが出てきた頃かな。例えばこの時期に出て来たのは、キャミソール。あれが日本に出回った時に、大きな意識の変化を感じたな。もともと下着でしょ?「あれ、日本人って隠さなくなったのか」って。
 
それから、しゃがむとズボンの上に見えるパンツ。拙から見ると他人のパンツは男女どちらでもあまり関わりたくないもの。見て不愉快になる人も多いのでは?パンツや尻を見せてセクシーか、と、もし一喝したら、単なる頭のおかしいオジサンだしなあ。実際、ちょっとおかしいかもしれんが。 男がしゃがんで、見せる半尻もあるな。あれはセクシーにはほど遠いよね。俗に言うBuilder's bum。見たいヒトはいないだろうが。工事現場近辺でつい見てしまう。うう、要らん。
 
 
隠すことを奨励しているわけじゃない。ただ、日本っていつ頃からは判らないけど、隠す文化がけっこう長く続いて来たでしょ。拙がガイジンを奥さんにしたのは服を脱がすのが簡単だったから、というのは冗談だけど、日本人女性は夏でも下着をごちゃごちゃ着けて、身体の線を隠していたよね。そういう隠す社会文化だった。異性を気にしなくてもよい社会になってから、露出も気にしなくなったという説が一般化しておるだろ。
 
 
一方、ダンディズムってのは、洒落た男、伊達男と訳されるけど、それは表面的な使い方だ。ダンディズムには社会に反して「目立つこと」がその背景にある。他の奴と俺とは違うぞ、俺は美しいぞ、というナルシストの主張。だから、大多数の人とは相容れない考え方でもある。
 
そんでもって、実際に格好良いから、新興貴族や紳士たちが真似すると、その評価はダンディっぽいじゃんからダンディそのものに変化していったんだろうなあ。
 
でも、何故貴族はそんなにまで退廃的な考え方をしたのか?
 
19世紀の終わりまでに選挙法が改正され、世の中が民主的になったことやチャーチスト運動とかフェミニズム運動、税制改革で、貴族が住み難い世の中になってきた。
 
世の中が民主化することで、貴族に富の集中する構造が破綻を来たした。毎夜、派手に金を使ってきた貴族たちは、昔のようにはパーティも開けなくなるほど、次第に金に困った。気分は退廃的にならざるを得ない。しかし、貴族としてのプライドは保ちたかった。新興貴族や紳士と呼ばれる誰にでも出来る振る舞い以上のことをすることで、孤高の人を演じること、それがダンディズムの端緒だった。
 

 
しかし、やがてそのダンディズムは表面的に英国紳士を象っていくことになる。それが、今日、我々日本人の持つ英国紳士のイメージそのものなんだ。
 
 
以上、ダンディズムの総論をかなり乱暴にまとめました。異論反論、付け加えのある方はコメントください。ついでに、応援クリックもお忘れなく。この数日急降下で寂しい。ランキングは「地域情報」に移しました。http://blog.with2.net/link.php/29834
 
 
2月2日

没落貴族の美意識

自由平等の世の中で、新しいものに飛びつく者を鼻で笑って
ダンディズム
 
近代にわざわざ、バーバリニズム(中世主義)を採用して
ダンディズム
 
典型的なスーツを嫌い、ちょっとしゃれると
ダンディズム
 
田舎を嫌い、都市社交を好んで
ダンディズム
 
政治参加を趣味にして
ダンディズム
 
飯より格好でダンディズム
 
武士は食わねど高楊枝。

 
ダンディズムをかなり簡単に説明すると、貴族の美意識。しかし、これだけではやはり言い足りないなあ。何しろ、貴族そのものの説明と時代背景を語らないと本当の意味のダンディズムは見えて来ない。
 
拙ブログにダンディズムを感じてくれている人たち、どうも有難うございます。でも、本人は何も意識してないんですよ。格好つけるのは得意じゃないし、人間としてもドンくさい。でも、どこかに洒落っ気でも感じてもらえる部分があると勝手に思っておきます。
 
ダンディズムの時代背景は、チャーチルのお父さんの頃のことを語るところからはじめましょうかね。貴族が貴族らしさを維持しようと必死だった時代、ダンディズムは開花しました。
 
 
 
さあ、ダンディズムについて語り始めちゃいました。まともに特集にしていくと午後茶のとき以上に長ーい記事が続きます。それに、今どきの英国に行ってもダンディズムを体験するのはちょっと大変だしねえ。でも、旅行中でも必ず気付くダンディズムの側面を紹介するとともに、少しずつアナタもダンディに染まりましょう。今後に期待して今日もここんとこワン・クリックお願いします。
 
 
 
 
 
1月23日

見えない空港

暗闇で運転するのって嫌ですよね。英国の長い冬は、夜も長くて、とても暗いんです。

 

 

10年くらい前のことですが、仕事帰り、早く家に帰ろうとしていたんですが、道を間違ってしまいました。引き返そうにも中央分離帯はあるし、ラウンドアバウトはないし、暗いから横道に入るのは嫌だし、って考えていて、どんどん南に下っちゃうと、突然右側に大きな飛行機の残骸が薄明かりに浮かび上がって、心の中では「うがー」と叫んでいたりして・・・、さらに進むと両袖が真っ暗闇!「怖えぇぞ、おい」などと誰に話しかけるわけでもなく、一人恐怖に慄(おのの)いていました。(緑の文章は写真の説明です)

センター開業前に拙を怯えさせた飛行機。後ろの建物はターミナル入り口。中には昔のチェックインカウンターがそのまま残っているが、撮影は不許可。右は航空会社の建物だった。この辺の通りの名前はImperial Road とか Queens Wayという王室や国を意識したものが少なくない。

 

 

 

両脇の暗闇の正体は広大な国有地でした。いやア、広いのなんの。そこがかつてロンドン空港と言われた場所であることを後で知ってから納得しました。あの暗闇の深さは本当に何も無かったからでした。暗闇だけならまだしも、当時、開業準備をしていたクロイドン空港ビジターセンターの前に大きな飛行機が横たわっていただけでなく、いろいろな古い建築物が取り壊しに掛かっていたから、荒んだ光景が暗闇の中にも影響したんでしょうって・・・、ただ臆病なだけ。

 

 

ビジターセンターは月に一度だけの日曜日にボランティアのご老人たちに運営されています。中にはレストランパブもあるので、そこはいつでも開いています。拙に「うがー」と叫ばせた飛行機はしっかりライトアップされて綺麗に飾られております。周囲も開発されてかつての荒んだ様子は無くなりました。今でこそ、こうしてちょっと明るくなりましたが、1915年から1946年まで、ロンドン空港と言えば、ヒースローではなくてクロイドン空港のことで、ここはまさに世界の檜舞台でした。しかし、ジェットエンジンの時代になると滑走路ももっと長く取る必要があるし、ロンドンに近すぎるクロイドン空港では手狭になったんです。

ツワモノどもが夢のあと、空港跡の記念碑とクロイドンの野原と化した滑走路跡。週末はローラーブレードで遊ぶ子供たちでいっぱい。

 

 

二つの大きな世界大戦を経験したという意味で、歴史的にとても意義のある空港です。大西洋横断のリンドバーグが飛来したのはパリですが、有名になった彼は何度もここに来てロンドン講演を行っています。ルーズベルト、スターリンに会いに行くためにチャーチルはこの空港から何度も旅立っています。チャーチルと会談しに来る各国首脳もここで乗降したのです。

 

 

日本人も来ています。朝日新聞社の社用機ですが、昭和12年に日本-ロンドン間を94時間で飛行して、英国だけでなく世界の先進国を驚かせました。そして、日本の秘めた技術力に世界中が脅威を覚えることにもなってしまったんですけどね。

 

 

当時の現地での記述はいくつかの資料で確認することが出来ました。飛行機は三菱社製のカリガネ(雁がね)という機種で、一般公募で「神風」と命名され、大日本帝国臣民の夢を背負って飛び立ちました。クロイドン空港では、出迎えた誰もが「まさか」と驚いたのは、当時の最先端の技術を施した華麗なデザインのカリガネと、94時間不眠の飛行で疲れ切っていた筈の飯沼飛行士を認めた時でした。彼は180cmくらいあって、端正な顔立ちだったんです。この機会に日本人ってカッチョイイと思った英人は結構いたようです。当時の新聞にもその意外な容姿が記載されています。当時の日本人男子の平均身長は160cmそこそこでしたからね。まあ、英国人にも認められた日本のヒーローです。

 

 

クロイドン空港跡はロンドンからA23という放射線道路を南に10マイルほど下った所にあります。今でも当時の名残を見ることは出来ます。一番簡単な行き方は、ロンドン・ビクトリアかロンドン・ブリッジからPurleyを経由するナショナル・レイルに乗って、Purley駅からはタクシーです。Purleyから空港跡までは3キロ程度です。ブラックキャブは高いから、駅前のタクシー会社を使うことをお薦めします。気分に浸る間は待っててもらいましょう。或いはビジターセンターまで迎えに来てもらった方が安く上がるでしょう。

クロイドン空港のリンクはこちらをクリック。

 

明日はロンドンを歩く時の心がけについて軽く触れるつもりです。読みたいと思った人はここをクリックして下され

 

1月22日

ロンドンのために作られた乗り物

テレビに、ある都市の映像が流れているとします。その都市がどこであるかを見極めるのに何を見ますか?
 
 
街並みを見ただけではイマイチ判らない。横断歩道はどうだろうか。英国独特のアイランドが道路の真中にあったり、ゼブラクロッシングがあれば、かなりはっきりします。でも、それはロンドンに行ったことのある人でないと判らない程度のものです。しかし、なんと言っても、判りやすいのが赤い2階建てのバスでしょう。最近は英国以外の国にダブルデッカーを持ち込んで、観光目的に使う傾向がありますが、行き先の掲示と道なりを見れば、それがロンドンであるかどうかは明らかです。だって、ダブルデッカーは1954年、ロンドンのために作られた乗り物ですから。
 
 
子供の頃のこと、1960年代初めの外国映画で、トレンチコートの紳士がまだ動いているダブルデッカーから颯爽と歩道に飛び降りて、恋人を抱き上げる姿を見て、「アメリカ人って格好いいなあ」と思ったものです。まだ10歳にも満たない頃のことですが、今でもその背景まで覚えています。あれは確かにトラファルガースクウェアを背にして撮影されていました。でも、映画の名前も俳優たちも判りません。たまにこの程度の情報で映画名を特定できる人がいるので、驚きますが、どなたか如何でしょうか?
 
 
外国と言えば、アメリカとしか考えなかったその頃の子供のことはさておいて、ダブルデッカー、またの名をルートマスター、乗降口が解放されているので、オープンプラットフォームとも、ヒップレスとも言われます。

 
 
会社員だった頃の拙は通勤に、得意先への訪問に、と最大限に利用しました。他の営業職員も同様にバスルートが頭に入っていて、何番のバスがどこそこを通るのでと、乗り換え場所までをイメージしながら目的地を目指しました。多少間違っても修正は簡単ですし、車掌に聞けばアドバイスしてくれます。そして、このバスの最大の利点は、乗降がどこでも出来るということです。渋滞したら歩いてしまえ、というのは導入時以来の使われ方です。新型自動ドアではこうはいかないでしょう。
 
 
 
ただ、車椅子が乗せられない、乗降が危険である、という欠点も指摘されています。2005年、つまり今年の終わりまでにダブルデッカーを無くす方向に動いているのは、そういう理由だそうです。しかし、現状を見る限り、車椅子を乗せる新型車はかなり普及していますし、ヒップレスであるがゆえの乗降の危険性は年に数件の事故が報告されているだけです。しかも、それは停車中のことだったので、どうなんでしょうか。この2つの理由が残り少ない300台あまりの旧型車を無くす理由になるのでしょうか?
 
 
 
廃止反対運動や維持活動も多く行われています。「ロンドンのアイコンを消すな!」「どのバスもあと10年は持つ」「ロンドンの快適さを奪うな」などなど、詳しくはここをクリックして、Save the Routemaster busにアクセスしてみてください。
 
 
 
 
ところで、One Day Travel Cardという券を地下鉄駅やナショナル・レイルの駅で購入すれば、一日中バス、地下鉄、ナショナル・レイルのすべての乗り物に使えます。いちいち切符を買う必要はありません。気をつけるのはゾーンの範囲と時間帯です。ロンドン市内の観光であれば、ゾーン1か2で事足ります。ゾーンの範囲は券売り場に貼ってあります。写真は拙の住むゾーン6から買ったオフ・ピーク券です。英国にも「渋谷」が?

 
 
 
ブログランキング宜しくお願いします。2階建てバス、今年ロンドンに行かないと見れなくなっちゃいます。こんな大事な観光資源を無くしてしまうなんて、ちょっと信じられませんね。ここをクリックお願いします。
 
 
 
 
 
1月21日

ミルクマン

正義のヒーローではない。名前からして、かなり軟弱そうだ。戦わせてもきっとすぐに負けて、マミーのおっぱいに駆け寄るだろう。
 
 
ミルクマンとは牛乳配達員のことだ。拙の近所では最近まで女性配達員だったので、近所のオジイサンとオバアサンたちはmilk ladyと呼んでいた。そう、需要はそういうお年寄りや、牛乳を大量に消費する小さな子供のいる家庭に限られてしまう。新鮮な牛乳を毎日こうして玄関先まで届けてくれる便利なシステムなのに、どうして需要が落ち込むのだろうか。
 
 
拙とミルクマンとの遭遇は英国に初めて英国に来た80年代に遡る。結婚前の妻の実家に泊めてもらった時の話。時差ぼけで夏の早朝に5時ごろに目が覚めてしまうと、遠くからウィンチのような音が聞こえて来る。こんな早くから工事?・・・にしては音が小さいし。人の目を覚ますような音ではないし・・・はて?
 
 
うぃーん・・・・かちゃかちゃ・・コトコト・・かちゃかちゃ・・・・・・うぃーーーーん・・・・
 
 
なんだろうと思って、外を見てみると、うぃーんはフロートの動く音、・・・・はミルクマンが運転席から降りて、ミルクに手を伸ばすまでの間、かちゃかちゃはミルクを片手に2本ずつぶら下げて人家に近づくところ、コトコトは牛乳受けに入っている空瓶と新しい牛乳瓶を入れ替えるところ、次のかちゃかちゃは空瓶を持ってミルクマンがフロートに戻るところ、であることが判った。

 
 
素晴らしい!目が覚めるほど感心したのは、ミルクマンの乗り降りするフロートと呼ばれる電気自動車だった。ほとんど音を立てずに移動して、配達をするのだ。新聞配達員が無遠慮に原付の音をバタバタさせて、日本国民の惰眠を阻害するのとは違いすぎる。英国恐るべし。恐れんでもええ。
 
 
この愛すべき電気自動車を導入したのは1930年代のUnited Diaries社とExpress Diaries社で、それぞれ軍服のような制服をミルクマンに着せて配達させていた。世界中がそういう時代だったしね。それ以前はローカルの牛乳屋が洒落たリヤカーを馬か人が引くものだった。フロートの語源は「漂流」するように、道に沿って右往左往しながら配達するところから来たものかどうか。これは拙の想像。
 
 
ミルクフロートにはマニアックなサイトも多数ある。ほとんどビョーキなサイトはこちら。http://www.milkfloats.org.uk/
 
 
 
 
最近ではネパールの公害対策として、英国で使われなくなったフロートを導入したらどうかという提案もされている。フロートは償却期間が長い。ナンバープレートを見ると30年車なんてのがざらにある。構造が簡単なので故障しにくいのだ。メンテも凄く簡単。単純で丈夫、言い換えれば質実剛健、英国らしい。でも、ネパールには充電できる安定電力があるんか?
 
 
ところで、1970年代からフロートの危機は始まっている。このころからビニル(プラスティック)パックが出て、物流革新が起きた。つまり、セインズベリーなど量販店の勃興の始まりだ。配達される牛乳よりも量販店の方が安いし、瓶をいちいち洗わないで、ボトルは捨ててしまえば良い。その後次第に乳業会社は倒産し、昨年の統計では1970年代の何分の一かの会社数にまで落ち込んでいる。産業規模も100分の1という話だ。何年も前に閉鎖された会社のヤードには多くのフロートが整然と置かれたままだ。これらのフロートはネパールに行くのだろうか。
 
 
スーパーも淘汰される。写真のLifts and stairs to J Sainsburyの先はスイミングプールになって20年以上経つ。現在この地域では巨大なテスコが住民の胃袋を満たす。そもそもSainsburyにJが付いていたことなど知る英人も少ない。
 

 

 
 
感動的なを演出したあのミルクフロートはどうなってしまうのだろう?みんな!フロート見学ツアーを企画してロンドンに見に来よう!!
 
 
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